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横浜時代の話。

上京前の学生時代、地元で弾き語りとバンド活動をしていた。
主にグラインドコアやスクリーモを中心にしていたのだが、
地元にはほとんど同ジャンルのバンドがいなかった。
ただ、同級世代にはそれらのジャンルの愛好者が多かったため、
身内でイベントを組んだり、県外へ遠征して細々とやっていた。

高校を卒業し、みんな進学や就職していく中、
私は迷わずフリーターを選択した。
音楽で食っていきたいという気持ち一つで、ある程度自由に時間が使えるから、という理由からだった。
深夜のコンビニバイトに、引っ越しや単発の仕事をちまちま重ねて、
Gibsonのアコギを購入し、上京資金を貯めて、高校卒業後から約2年後に横浜へ上京した。

東京ではなく横浜を選んだ理由は、
学生時代の知人たちが就学や就職で割と多く横浜に渡っていたことと、
初めから東京に渡るのにちょっとした恐怖心があったからだと思う。
結局、仕事をするにも、音楽をするにも、東京の方が便利だということに上京して2〜3ヶ月して気付かされたのだが。

20歳の春、横浜へ渡った。

数ヶ月もすると都会での暮らしにも慣れた。
東京の方からすると「横浜なんて地方だ」なんて言われるかも知れないが、
九州のど田舎から出てきた20歳そこらの若造にとっては、
それでも充分刺激的な都会だった。
初めてみた都会の夜景や、初めての電車移動、ゴミ収集車から流れるCKBの歌、夜勤明けの駅で初めて聞く人身事故のアナウンス、
何もかもが新鮮で、心の背伸びの材料だった。

ある程度落ち着いた頃に、地元時代のバンド仲間たちに連絡を取った。
当時はiモード主流の時代で、アドレスが分からないと、
キャリアが同じでない限りショートメッセージすら送れないという不便な時代だった。
数名はアドレスが変わったのか、メールが送れなかったりしたのだが、
一緒にバンドをしていた友達とも連絡が取れ、スタジオに入ったり飲みに行ったりした。
Yという男もその内の一人だった。

Yは地元のバンド仲間でも変わった奴だった。
彼はデスメタルやブラックメタルといった、嗜虐性、宗教色の強いジャンルを好んで聴いており、
周りのバンド仲間少し浮いた存在だった。
少し陰気な性格だったが、話してみると根は良い奴で、
デス系やブラックメタル系の新譜の情報なんかをよく聞いたりしていた。

Yの家も少し特殊だった。
地元の高級住宅地にバカでかい家を構えており、
聞けば父は貿易関係の仕事をしており、母はYの出生後数年で逝去されたとのこと。
ジャンルの関係でほとんど本番のライブは出来なかったYだが、
初めて彼の自室にお邪魔した時、
学生当時の我々からしたら喉から手が出るほど欲しかった高級メーカーのギターやアンプが部屋に飾ってあって度肝を抜かれたものだった。

Yは高校卒業後、横浜にあった専門学校に進んだ。
父親の仕事関係で必要な資格でもあるのかと思ったが、
全く別の仕事に就きたいから、と言っていた。
卒業ライブ後に「その内、俺も横浜に行くから」と言うと、
「待ってる」と笑顔で答えた。

Yとの再会の日、
休みの夜19時頃に横浜駅のロータリー付近で待っていた。
彼は専門学校を卒業し、横浜で就職したそうだ。
本当に父親の仕事を継がなかったのかと少し疑問に思ったが、さして気にしないようにした。
待つこと15分くらい、ビシッとしたスーツを着た青年から名前を呼ばれた。
よくよく顔を確認して、それがYだと気付いた。
薄っすら面影はあるものの、地元にいた時の陰気な雰囲気はほとんど無くなって、
仕事が出来そうな若いビジネスマン然とした変貌を遂げていた。
元々痩せ型ではあったが、スポーツでも始めたのかスーツの上からでも分かるくらいガタイが良くなっているように見えた。

私が「変わったなぁ…」と言うと、
「2年もこっちにいたら変わる」と、
ボソッと、でもはっきりした口調で答えた。
以前はボソボソした喋り方で、周りからよくいじられていたのだが。

駅近のチェーンの居酒屋に場所を移して、近況を語り合った。
Yは専門学校を卒業後、横浜の一般企業に就職したらしい。
実家の家業こそ継がなかったが、それと似たような仕事なんだそうで、
都会暮らしに疲れたら家業を継ぐのも良いかも知れないと話した。
音楽はさっぱりやっていないらしいが、
相変わらずデス系やブラックなんかは聴いていて、
都会だからCDを探すのが楽だとも言っていた。
横浜市内にデス系のみを流すバーもあるそうで、今度飲みに行こうとも話した。
雰囲気は少し変わったが、中身はそれほど変わってなさそうで安心した。
その日は終電間際辺りまで飲み、そのまま別れた。

次にYと会ったのは、前回の再会から1週間後くらい。
Yから「こないだ話したメタルが聴けるバーに行かないか?」
と誘われたので、お互いの休みが合う数日後に再び横浜駅周辺で落ち合うことになった。

待ち合わせ場所に来たYは、前回会った時よりやつれて見えた。
仕事が忙しくて、ストレスがハンパじゃなかったと言っていたが、体調が悪そうに見えたので、
無理をしないよう勧めたが、大丈夫だと言うので件のバーに向かった。
激しめの音楽を聴きながら飲んでいる内にお互い調子が出てきて、
気付けば終電までに駅へ戻るのが無理な時間まで飲んでしまった。
まだネカフェなどもほとんどない時代のこと、最悪、2時間位歩いて帰ろうかと考えていたところ、
Yが「泊まっていけ。うちで飲み直そう」というので、お言葉に甘えさせてもらうことにした。

Yの家はバーからタクシーで15分くらい、
専門新卒の給料で住めるのかってくらいの大きなマンションだった。
駅からも近く、近隣には商店なども多い。
近くのコンビニでタクシーを降り、適当な酒とつまみを買ってY宅へ入ったのだが、
中も2LDKの広い間取りで、当時私が住んでいた風呂なしの1kアパートとは雲泥の差だった。
普段Yが暮らしている部屋で改めて飲み直し、そろそろ寝ようという時間になったのだが、
Yは自分のベッドを指差し、

Y「寝るなら俺のベッドを使ってくれ。俺は隣の部屋で寝るから」

そう言って、ブランケット一枚を持って隣の部屋に入っていった。
こっちは雑魚寝でもいいと言ったのだが、お互い微睡む手前の状態だったので、
止める間もなく私も眠りに落ちた。

その日、夢を見た。
子供の頃、たまに見ていた夢で、私は家に帰ろうと必死に走っている。
何かに追いかけられているような感じがするが、何が追いかけてきているかは分からない。
振り返ろうとするのも怖いが、そもそも追いかけてきているものすらが見えない。
それに身体全体がプールの中で走っているように鈍く重い。
早く家に着かなければ。
早く鍵を締めなければ。
だけど一向に身体は軽くならない。
後ろを振り返るのも怖い。
自分を追いかけているものの正体を確認するのが怖い。
それでもじわじわ自宅の玄関が近づいてくる。
なんとか間一髪(?)というタイミングで玄関に滑り込み、
急いで鍵を掛けてホッと一息をつく。
そこで目が覚める。
そんな夢だった。

気がつくとYの部屋で目を覚ました。
そこでさっきまでの体験が夢だったと知る。
脳が覚醒していくにつれて、それが子供の頃によく見ていた悪夢だった事も思い出す。
しばらくは見ていなかったのに何故今頃…?
などとタバコを咥えて考えている内に、Yがコーヒーを持って来た。
当たり障りない挨拶を交わした後、Yが朝メシを食いに行こうというので出ようとした時、
隣の部屋のドアが少し開いているのが見えたので、
私が「隣の部屋って何に使ってんの?」と訊くと、
Yは少し考えた後、
「お前だったら大丈夫かな…」と言って部屋を見せてくれた。

部屋の中はYの部屋よりも少し狭い間取りだったが、
壁際から窓がある面までスチールラックや棚が立ててあり、
その中にはいろんな物が並べてあった。
少し大きめの石、
どこの家庭にもありそうな文化包丁、
十字架があしらってあるペンダントみたいなもの、
写真のアルバムみたいなファイルなど。
何の統一性もない雑貨が、等間隔で無数並べてあった。

普通に引く絵面ではあったが、
Yの電波と悪趣味は以前からの事なので、落ち着いて「何あれ?」と訊くと、
「呪いのアイテム」と返ってきた。

どういうことかと訊くと、
Yは以前から曰く付きの物品を集めることが趣味らしく、
当時では珍しかったネットを通じて購入したり、
貿易関係の父親のコネを使って、海外の曰く付きアイテムを買ってたりしていたそうだ。

Y「そこの縄は自分で取りに行ったけど、A樹海で木の枝にぶら下がってたやつ。
そこの包丁は人を刺したっていうやつ、ネットで知り合った人から買った。
そのアルバムに入ってるのは全部心霊写真、ちょくちょくネットとかで出回ってるな。
そこのアクセサリーはオヤジのツテで外国から入れてもらったタリスマンっていう魔除けみたいなもん、一応本物だよ」

一つ一つ、雑な博物館のガイドみたいにさっさと説明していくY。
ただ、真贋つきかねるものではあるものの、おそらくは100種類と利かないレベルで陳列されている呪いのアイテム群、
それを平然と説明していく学生時代の友人、
コイツこんな奴だったっけ?
心の中にじんわりと、しかしてハッキリとした恐怖の感情が浮かんだ。

Y「昔から集めてたよ(笑)歌屋が知らなかったのは、実家の時は別の部屋に集めてたからね。
ちなみにオヤジも知ってる。ってか一緒に集めてるからね。
そういう趣味とかも一緒だから、オヤジと同じ環境で仕事したくなくて家を出てるんだよ」

分かるような、分からない話だが、
要は同族嫌悪に似た気持ちなのかと思った。
どうあっても普通の感覚の持ち主には許容出来ない趣味であろう。
「お前だったら大丈夫」という言葉は、
『私だから受け止めてくれる』という信頼よりも、
『コイツならこの程度で引かないだろう』という観測だったんだろうと思う。
実際、そのくらいで友達を止めるほど薄情でもないつもりなのだが。

私「で、こんなん集めてどうするつもりよ?
すっげぇ蠱毒でも作るつもりなん?」

Y「ははは!それもいいかもな(笑)
でもそんなんじゃないよ。
オタクがフィギュアとか同人誌集めてる感覚かな。
この家だってコレクションの保管のために2L借りてるんだし。
俺は霊感とかないから何にも視えも聴こえもしないけど、
飽きたらオヤジに高値で買い取ってもらおうかな(笑)」

私「昨日の夜、久々に怖い夢見たぞ。
多分そのコレクションのせいじゃねぇか?
もう10年位は見てなかったし…」

Y「そういうのいいよなぁ…
俺もそういう霊感体質?っていうのになりたいよ(笑)」

全然笑えなかった。

それからもちょくちょくYとは会っていたが、
しばらくすると私もYも忙しくなって来て、会う頻度も少なくなっていった。
お互い時間がある時は例のバーで飲んで近況を語らうこともあったが、
年末頃にはたまにメールでやり取りするだけになっていた。

そうこうしている内に年が明け、
世の中の流れも通常通りに戻った2月頃、Yから着信が入っていた。
いつもはメールでのやり取りがメインだったので、何事かと思ってかけ直すと、
しばらく家を留守にするので、数日家に居てほしいという。
理由が曖昧だったので詳しく訊くと、
例のコレクションが荒らされないか不安だからと言う。
そもそもオートロックのマンションで何か不安に思うことがあるもんかと思ったが、
電話口のYは真剣な口調で依頼してくる。
あのオカルトグッズの蠱毒部屋の横で寝泊まりするのも憚られたが、
Yの勢いと、彼の家からなら職場までも近くて便利だと思い、
旨味を取って依頼を受けることにした。

数日後、夜勤明けにYから鍵を受け取るために待ち合わせした。
数カ月ぶりにあったYは、以前よりも遥かにやつれて、顔色もどす黒く見えた。
仕事の繁忙で身体が休まらないと言っていたが、
体調云々の以前にメンタルの不調じゃないかと思った。

鍵の受け渡しの際、Yから以下の条件を守るよう強く言われた。

1、風呂や台所など、家の設備は自由に使って構わないが、
例のコレクション部屋は食事や寝室として使用しないでほしい

2、一日一回、コレクション部屋の様子を見て確認してほしい
万が一空き巣や荒らされているようであれば、写メを送った上ですぐさま連絡をほしい

3、自分が帰ってくるまで、必ず家守をしていてほしい

というものだった。

一日一回あの部屋を覗かないといけないというのがかなりのハードルではあったが、
そもそも何があるのかもよく分からない部屋だったので、
異常をどう察知したらいいか分からない旨を伝えると、
「とにかく一日一回、確認をして貰えたらいい」とのことで、
渋々ではあるが了承した。
どこに用事に行くのか訪ねたが、曖昧に「仕事関係」とだけ言われた。

思えばこの時、少しでも怪しさを感じて断っておけば良かったと後悔している。

Yから鍵を受け取り、数日分の着替えを詰めたバッグを持ってY宅へ。
行きはYに書いてもらった地図と住所を頼りに自転車で向かった。
始めの2日位は快適だった。
何より当時風呂なしの安アパートに住んでいた私にとって、いつでも風呂に入れるのが大変ありがたかった。
職場までも自転車で行ける距離で、交通費も浮いた。
隣のコレクション部屋でも大した事は起きず、半ば楽勝ムードで過ごしていた。

3日目の夜、
夜勤に向かうために準備をしていると、隣の部屋から物音がした。
Yの部屋は6階にあり、窓際もカーテンとスチールラックで塞がれているため容易には侵入出来ない。
まさか、と思いながらも、一応はYからの言付けだったので、部屋を確認しようとドアを開けようとした

どさっ

音がした。
今度は完全に何かが床に落ちた音だった。
何か置き場所でも悪い物があったのかと思いつつ、ドアを開けた。
真っ暗で何も見えないので電気を点けようとしたが、電球が付いていない。
おそらくYが付けていないのだろう。

仕方ないので自分の携帯のライト機能で室内を照らそうと充電中の携帯を取りに行こうとしたその時

どさっ

と、また同じ音がした。
さすがに薄気味が悪くなってくる。
でもここまで来たら原因を探らなければ逆に薄気味悪いままですっきりしない。
足早に携帯を取ってライトを点け、隣の部屋を見渡してみると、何も落ちていなかった。

更に気味が悪くなってくる。
確実に2回は隣の部屋から床に何か落ちるような音を聞いた。
しかし、床を見渡しても、棚の中身を照らしてみても、
何も動いてもいなければ、塵一つ落ちていない。
とりあえず異常なしとして、少し早かったが職場へ向かった。

その日の夜勤で、相方だった後輩のMから、

M「歌屋さん、どっかスポット行きました」

と訊かれたので、行ってないと答えると、

M「ホントですか?
すみません、なんか変な感じがしたんで…」と言われた。

Mはバンド以外でよくつるむ後輩の一人で、
某有名霊能力者に命名されたという珍しい経歴の持ち主、
かつかなりの霊感の持ち主だった。
本人も結構なオカルト好きで、ちょくちょく別の先輩たちと一緒に心霊スポット巡りをしていた。

その彼が何か感じ取るくらいだから、余程我が身に何かしらの事が起こっているのだろうと思い、
最近友達の家守をしている事と、出勤前の出来事を話した。

Mは、
「それ、多分相当ヤバいですよ。
そのお友達の方が集めてるオカルトグッズがパチもんだったらいいと思うんですけど、
話を聞いてるだけだと限りなく本物っぽいですし、
仮にパチもんだったとしても、所有者の気持ち一つで本物の曰く付きアイテムと変わらなくなる時もあると思うんで」

そんなにヤバいの?と聞いてみると、
Mはこんな例え話をしてくれた。

M「人間だって誰とでも仲良く出来る訳じゃないですよね?
そういう曰く付きの物だって、場合によっては気持ちを事もあると思うんです。
そんなお祓いもされていない物が一斉に集められたら、
中には喧嘩するようなのも出てくると思うし、
その影響は生きてる持ち主にしか返ってこないんじゃないかと」

付喪神(つくもがみ)みたいなもんか、
と問うと、少し違うとMは言った。

M「例えば、台所に置いてある包丁でも、
『これは人を切った包丁だ』って紹介されたら、何となく触れるのすら躊躇うもんじゃないですか?
学校の図書館に置いてある怖い本と一緒で、触れるものの感覚次第で呪いのグッズに変わってしまうんですよ。
少なくとも、歌屋さんのお友達の方は、それらのグッズを本物だと信じているんだろうし、
それだけでそのもの自体が変質してしまうんだろうし、
その感覚が広まっていけばいく程、曰く付きグッズとしての力も強くなっていくんじゃないかと思います」

何となく分かるような話だった。
イワシの頭も何とかじゃないけど、信じることによって白いものも黒に変わって力を持って、
そんな力を持ったもの同士が喧嘩しあって環境を悪化させる、って意味なんだろうと。

だとしたらYのコレクション部屋はリアルに蠱毒部屋になってしまっているのだろうか。
そう考えると怖気が走った。
そんなカオスな部屋の隣で寝食しているなんて生きた心地がしない。
どうすればいいかとMに訊いてみたところ、

M「気にしなきゃいいと思います。
呪いなんてあるはずがない、
仮にそのグッズが本物だったとしても、自分が生み出した物じゃないから関係ない、って。
それでも気分がいい話じゃないと思うから、早めにそこを出られるようするのが一番ですよね」

それが出来たらどれだけ良いことか…

M「もし何かあったら、僕で良ければご一緒しに行きますんで。
でも、お友達のお家なんですよね…
万が一、僕がいる時に帰って来られたら、歌屋さんが気まずくなっちゃうと嫌だし…」

地味に八方塞がりだと思って泣きたかったが、
最悪Mを呼ぼうとも考えていた。

夜勤を終え、Y宅へ戻った。
昨晩の出来事もあり、かなり気は進まなかったが、
約束まであと数日だと自分に言い聞かせて、
明るい内に昨晩の異常が本当に起こっていないことを確認するために、件のコレクション部屋のドアを開けた。

やはり何一つ落ちても無ければ動いてもいない。
多少陽の光が入ってきているので昨日よりよく見える。
Mの言うことではないけど、思い込みもあったのかな、と思うことにして、そのまま眠りに落ちた。

また夢を見た。
同じく幼少時代に過ごした家の近くで、何かから逃げるように走っている。
相変わらずプールの中を走っているみたいに身体が重い。
視界ははっきりしているが、不思議なことに誰もいない。
夢の中なはずなのに、現実に感じるような不安感でいっぱいになる。
とにかく逃げなければ。
必死になって玄関に向かう。
今回も何とか追いつかれずに玄関に滑りこめた。
鍵をかけ、いつもならそこで夢が覚める
はずだった。

なぜだか夢が覚めない。
玄関で鍵を締めた状態で固まっている。
当時の家の玄関は千本格子という型で、細い格子状の棒がガラス張りのサッシに嵌っていて、
玄関前まで誰かが来たらシルエットが見えるような造りの引き戸だった。
このままではきっと追いかけて来ていたものの姿を見てしまう。
早く覚めろ、と念じるも、何一つ場面が変わらない。

その内、足音が聞こえてきた。
ジョギングの駆け足程度の間隔で走っているようだ。
人影が徐々に玄関の引き戸前まで迫ってくる。
成人男性くらいの背丈があった。
玄関前で立ち止まり、呼び鈴を何度も鳴らす。
私は固まったままその場を動けないでいる。
引き戸の外の人影から目を反らせない。
そして人影が何か持っていることに気付いた。

何か、棒状のものを左手に持っている。

右手で呼び鈴を何度も鳴らしながら、時折身体が引き戸に近づいては離れてを繰り返している。
その度に左手の棒がキラキラと光る。
考えたくない。
もう呼び鈴の音も聞きたくない。
ガラス戸に映る人影も見たくない。
何も考えたくない。
早く覚めろ。
早く。

最悪の気分で目覚めた。
2月だというのに汗びっしょりになっていた。
時計を見ると、まだ4時間も眠れていない。

多少不安感を持っていたにしても、この流れは本当にマズいと思った。
ずっと玄関口で鍵を締めて終わりだった夢の続きがなぜああだったのか、
もはや考えることすら億劫だった。
Yには悪いが、今日限りで家守は辞めさせてもらおうと思い、メールを打とうとしたその時、Yが帰ってきた。

Y「留守番ありがとう。何かあった?」
そう訊いてきたYの顔色は数日前に比べて幾分かマシになっているようだった。

私「何かあった?じゃねぇよマジで…」

心底疲弊している私にYは少しびっくりしながらも、
『何かあった』ということだけは理解してくれたようで、
少し落ち着いてから家守中にあった出来事と、夢の内容をYに話した。

Y「俺もここ一年くらい体調が優れなくてさ、
ジム行って身体鍛えたり、休みの日によく休むとかして改善を図ったけどダメだった。
特に最近は何か無性に家から出たくなくてよ。
最初は仕事嫌なのかとも思ったけど、働いてる時は楽しいし、外にいる方が体調良いから、
いろいろおかしいとは思ってたけど、どうしてもこの家を空けたくなくてさ…」

家を空けていた間、早く帰りたい気持ちは相変わらずだったものの、体調はすこぶる良かったそうだ。

私「なぁ…多分そのコレクションのせいだと思うぞ?
俺だってここ来てから例の夢とか見出したし、
全部捨てろとは言わんけど、ちょっと実家に送るとかして様子見たらどうだ?
マジでこのままだと何かヤバいこと起こりかねんぞ」

そう言うとYは、
「そうだよなぁ…何か考えるか」
と、肩を落としつつ、これまでの詫びと称して焼肉をおごってくれた。
お互い何かあったら連絡し合う事を約束し、その日は別れた。

それから数日後、Yから連絡があった。
例のコレクションはレンタル倉庫を借りて保管すること、
それに伴って近々家も引っ越す予定だから、落ち着いたら遊びに来てくれ、といった内容だった。
何やら事態は好転したようなので、
落ち着いたら遊びに行くから連絡をくれ、
もし引っ越し要員が要って暇だったら手伝うという旨を返信した。
それがYとの最後のやり取りになった。

数ヶ月後、連休も終わった頃に見知らぬ便号から着信があった。
たまたま出てみると、Yの叔父を名乗る人物からで、
Yが失踪したので、少し話を訊きたいとのことだった。
突然のことで軽く動揺したが、Y叔父は今横浜に来ているらしく、時間を合わせて待ち合わせることになった。

横浜駅近くの喫茶店であったYの叔父は疲れ切った顔をしていた。
「急に呼び出して申し訳ない」と切り出された後、
Yの失踪について聞かされた。

Y叔父「2月の終わり頃だったか、弟(Yの父親)から『Yの勤め先からYが会社に来ておらず、連絡がつかないと電話があったから様子を探ってほしい』と言われたんです。
父親なんだからお前が何とかしろ、って言ったんですけど、ご存知かも知れませんがYの父も忙しい男でして…
私もYの携帯に連絡したりしたんですが、なかなかつながらなくて、3月の頭頃だったか、家に行ったらYがいたんですよ」

2月の終わり頃といったら、私が家守を終えてYと最後に会った少し後くらいだ。
そうすると、Yはあの後から無断欠勤していたということになる。

Y叔父「玄関のドアは鍵がかかってました。
エントランスの郵便受けには会社の方が入れていった安否確認のメモとか郵便物でいっぱいでした。
大家さんに訳を話して中に入れてもらったんですが、Yは普通に暮らしていたみたいで、
私の顔を見ると『あれ?叔父さんどうしたの?』なんて訊いてくるので、
お前こそ会社サボって何してんだ⁉って怒鳴ったら、
『家守をしているんだ』って言うんです」

ゾクッとした。
Yはあの後もずっとあの家にこもっていたという。
引っ越しやレンタル倉庫の話は何だったのか。

Y叔父「何バカなこと言ってんだと思いましたね…
ヤモリ?ああ、家を守るって書く家守なんですね。
とにかく、会社はクビになってるようだし、様子もおかしいので、地元に帰るよう促したんです。
それでも上の空みたいな顔をしていたんで、
お前が動かんなら俺が荷物まとめてやるから、ってYがいた隣の部屋のドアを開けようとしたら、
すごい剣幕で

さわんな!!

って喚いたんですよ」

私は何も言えなかった。

Y叔父「後にも先にも、Yが叫んだのは初めて見ました。
ご存知でしょうが、おとなしい子だったので…

しばらく面食らってると、Yから
『仕事はなんとかする。引っ越しもする。貯金もあるし、
もし厳しいならオヤジに相談するから。面倒かけてごめん。もう手間かけさせないようオヤジにも言っとくから、
今日はこのまま帰ってくれ』と言われまして。
お恥ずかしい話、さっきの剣幕に驚いていたのもあって、
その時はそのまま帰ったんです」

Y叔父「次に弟から連絡があったのは4月の中旬頃だったか、
今度はYのマンションの管理会社から、家賃が支払われていない旨の連絡があったそうです。
滞納分は弟が立替えたようで、また様子を見てこいと言うので、今度こそお前が行けと言ったんですが、
弟は『わかった』とは言うものの、なんとも反応が薄かったので、今回時間が取れてこちらまで来たんですが、
Yは家の中におらず、携帯も部屋のテーブルにそのまま残された状態でした。
一応、警察に捜索願も出しましたし私も数日待ってはいますが、一向に帰って来ない有様で…
Yの携帯を見たら、歌屋くんと一番やり取りをしてたみたいだったんで、今回お呼びした次第です…」

そう言ってY叔父は頭を下げた。
慌てて制して、こちらも上京してから再開するまでの経緯、
隣の部屋のコレクションの事、2月の家守の件など、知っていることを話した。
Y叔父は終始怪訝そうな顔をして聞いていたが、
コレクションの下りの時だけ、少し驚いた顔をしていた。

Y叔父「あれにもそんな趣味が…
実は弟、、Yの父親にも同じ収集癖があるようでして…
何ともお恥ずかしい」

私「Yから訊いています。
2月にYに『実家に送ったらどうだ?』って言ってはみたんですが」

Y叔父「そうでしたか…
決して仲が悪いわけではないと思うんですが、どうも弟も昔から分からない事というか…掴みどころのない男で。
貿易関係の仕事を始めて、人並み以上に働いていたから安心していたんですけど、
◯美さん…Yの母親なんですが、彼女が亡くなった辺りから仕事ばっかりになってしまって…
身内のことなんで悪く言いたくはないですけど、おとなしかったけど良い子だったYまでああなってしまうと、
自分としてはどうしたらいいか分からないことだらけで…」

そう言って視線を落としたY叔父は相当に痛々しく見えた。
何か出来ることはないかと思って、Yに電話を掛けてみたが、

(おかけになった電話番号は、電波の届かない所にいるか…)

案の定の展開だった。
いつ見られるかも分からないが、
『叔父さんが心配してるから早く帰れ。戻ったら連絡よこせ』
とメールを打って、Y叔父とメアドを交換し、何か進展があったら連絡をし合うよう約束して別れた。

あれからYの動向は分からないままだ。
Y本人からも、Yの親族からも連絡はない。
一度たまたまY宅前を通りがかった際にYの部屋を見てみたが、
例の蠱毒部屋に当たる部屋のカーテンが取り払われていたように見えた(もしかしたら部屋を間違っていたかもしれない)ので家族が解約したのかも知れない。
何度かYに電話を掛けてみたが、その年の夏頃には
(おかけになった電話番号は、現在使われておりません)
のメッセージが流れてくるばかりで、メールも送れなくなっていた。
それから私も地元に戻り、携帯やアドレスが変わるなどして今に至る。

余談だが、数年前に東京へ渡る直前に、Yの実家近くのアパートに住んでいた。
たまにYの実家前を通りがかることもあったのだが、
家屋敷はそのまま残っていたが、表札が変わっていた。
結局、彼とその家族がどうなったかは分からないが、
未だに例のコレクションたちが何かしらの悪影響を及ぼしたんじゃないかと思っている。

あれからYの家で見た夢は見ていないが、
もしあのまま夢から覚めなかったら今どうなっているのかと考えることが偶にある。
結局、あの夢の原因は何だったのか、
Yが集めていたコレクションとどんな関係があったのか、
未だに謎のままだが、今更知ろうとは思わない。
知らない方が幸せなこともあると思って、放置している。

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