食堂
東京の飲み仲間Dさん(仮名)から聞いた話。
Dさんは若い頃に反社会的勢力の組織に在籍していたという人で、現在はしっかり堅気になって土木関係で働いているという、少し特殊な経歴を持った方だ。
話だけ聞くとかなり厳つくて怖そうなイメージを持ちがちだが、痩せ型の端正な顔立ちをしたおじさんで、話し方も穏やか且つ理知的な方だ。
そんなDさん、本人は否定しているが霊感じみた能力を持っているようで、組織にいた頃から現在に至るまで、色々と不思議な体験をしているのだが、Dさんから聞いた話を一つ。
Dさんが北関東の山奥の現場に数日泊まりがけで出張した時のこと。
その現場での仕事は山道に架かる橋の保守作業で、Dさんは他社の塗装職人のBさん(仮名)と一緒に仕事をしに行ったそうだ。
元々DさんとBさんは面識もあり、他の現場でも何回か一緒に仕事をしたり、飲みに行ったりするような仲で、その現場の仕事も順調に進んでいっていたそうだ。
Dさんがその現場で働き始めて3日ほどした日のこと。
作業も佳境に入り、後は元請けの業者に渡す前の詰めの作業のみとなったそうで、
元々の工事日程を1〜2日ほど早められそうな見込みとなった。
早めに終われば今夜麓まで下りて飲みにでも行こうとBさんにお誘いをかけたところ、Bさんは少し渋い顔をしてこう言ったそうだ。
B「あーDちゃんここの現場来るの初めてだったか・・
せっかくだけど、飲みに行くのは東京に戻ってからにしようや」
Bさんは大のお酒好きだったそうで、それを聞いたDさんはガッカリというよりビックリしたそうだ。
その様子を見ていたBさんは笑ってこう言ったそうだ。
B「代わりと言っては何だけど、今夜飯食いに行こうや。麓まで下りないけど、車の距離で行ける定食屋があんだよ。俺は飲まないけど、ハンドルは俺が持つからDちゃん飲んだらいいや」
それを聞いてDさんは更に驚いたという。
当時はまだ飲酒運転にもそこまでうるさくなかった時代で、それにこの現場は人里からかなり離れた山間の僻地だ。
もちろん車も通るが、一日に数える程度の台数で、今日に至っては工事関係の車両しか見ていない。
具合でも悪いのか?と聞いてみてもBさんからは「そんなことはねぇよ」と笑って返ってくる。
怪訝に思いながらも、その日の作業を終えて一度宿に帰り、汗を流してBさんと合流して件の食堂へ向かった。
現場近くの宿から車で更に山を下り、30分ほど走って食堂に着いた。
それは峠道の途中などにあるドライブインのような食堂で、その当時の時点でかなり古い食堂だったそうだ。
手動のガラス引き戸を開けて中に入ると、何基かのテーブル席と、5〜6人がけのカウンターがあり、その奥から還暦を超えているであろう男性が「いらっしゃい」と声を張った。
どうやら店主のようだった。
Bさんの顔を見ると「あぁ、どうも」としなを作って挨拶をしたところを見ると、顔なじみのようであった。
適当なテーブル席について、Dさんが壁にかかったお品書きからメニューを物色していると、お冷の入ったコップを2つ持った老婆がニコニコしながらお冷を持ってきたそうだ。
さっきの店主の奥さんで、夫婦二人で経営しているお店だという。
おかみさんはBさんを見ると、
「あら、いらっしゃい。また来たね」
と、まるで親戚の子にかけるような言い方で笑いかけた。
Bさんも「おかみさん、ごぶさたしてます」と笑顔で返した。
そのやり取りを見ていたDさんは「あぁ、いい店なんだな」と何気なく思ったという。
おかみさんはDさんを見て、Bさんに「相方さん?」と聞いたので、
Bさんも「えぇ、相方だったり、飲み友達だったり」と言って笑った。
Dさんも思わず「どうも」と言って、立ち上がってお辞儀をしようとしたら、
おかみさんはゆっくり、だがDさんが立ち上がり切る前に手で制して「ゆっくりしていきなさいね」と笑顔で言ったらしい。
Dさん「なんだか、不思議な感じでしたよ。
私、格闘マンガが好きでよく読むんですけど、ホラ、よくある『達人が未熟な挑戦者の攻撃を出させる前に制する』ってパターン?と言っていいのか分からないけど・・(笑)
正にそんな感じで、全く無駄がなかったんですよ。
怖い、とかいうより、素直に感心しましたよね。
それに動きを見てたけど、本当に無駄がないんですよ。
歩く姿一つにしても、普通なんだけど、どこにもスキがないというか・・・
配膳の時も全く無駄な所作がないんです。
私も元々アッチの世界にいましたから、事務所でお客人が来た時とかの盆の上げ下げからしこたま仕込まれたもんですが、そんな私から見ても気持ちの良くなるような見事な所作でした。
何かされてたのか?って聞いたけど、ただの定食屋のばあちゃんだよ〜っつって笑ってて。
とにかくいいおばあちゃんでしたね」
そんなこともあったからなのか、元はBさんが飲まないのなら自分も食事だけで酒は控えようと思っていたDさんは、食事と一緒に何本かビールを頼んで飲んだそうだ。
食事も美味しく、話にも花が咲いて楽しい時間を過ごしたのだという。
数時間ほど飲み食いして、Dさんに欠伸が出てきだした頃にBさんが「帰ろう」と言うので、店を出ることになった。
会計を済ませ、次回はいつか分からないが、同じ現場に当たったらまた絶対に来ようと思っていたら、
おかみさんがBさんにこう尋ねた。
おかみさん(以下C)「そういえば、今回はどこの現場に行ってるのかね?」
B「〇〇橋です。なんで今日僕飲んでないんですよ」
C「あぁ〜そうだったんかね、、じゃあこれをそっちのお兄さんに持っていきなさい」
そう言ってCさんは何やらお守りのような袋をBさんに渡した。
それは何だと聞いてみると、Cさんは
「お守りみたいなもんよ。この辺りはいろいろおかしなことが起こるでねぇ」
と言って、うらめしや〜のポーズを取って笑ったという。
おちゃめなおばあちゃんだな、と思って、Dさんもありがとうと言ってそのお守りを受け取った。
そのお守りは白い布生地の巾着袋で、触ると中に薄く細長い板切れのような棒状の硬いものが入っていたという。
中身が気になったが、日本人ながらの感覚なのか、
『お守り』といって渡されたものの中身を確認することが罰当たりに思えて、開けて確認することはしなかったそうだ。
それからBさんの運転する車で宿まで帰ったそうだが、帰りの道中でBさんにこう言われたそうだ。
B「Dちゃん、今日おかみさんにもらったお守りさ、今日枕元に置いて寝なよ」
からかわれているのかと思って、
「いやいや〜なんでよ?」
と返したが、Bさんは至って真面目な顔と口調でこう返した。
B「真面目な話だよ。それは絶対この現場が終わるまで手放しちゃダメだ。何なら明日も現場に持ってきた方がいい」
始めはからかわれているだけだと高をくくっていたDさんも、Bさんの真面目な調子に気圧されて、どういうことかと聞いてみたが、Bさんはなかなか教えてはくれなかったそうだ。
B「悪ぃ、全部言っちゃうと多分先が続かねぇと思うし、それに多分信じちゃくれねぇとも思うからさ。
とりあえず、この仕事が終わるまでは俺の言った通りにしてくれ。
多分今の調子でいったら明日にはおおよその作業が終わって明後日の朝には帰れる。
そしたらさっさとこの山下りて、東京戻って飲みに行こうや。
その時にでもちゃんと話すから」
そんな調子のBさんを見たことがなかったDさんは、
Bさんが冗談で言っているのではないと思い、その言葉に従うことにしたそうだ。
宿に戻り、酒の余韻を戻そうと自室で再びビールを飲んでいたそうだが、
やはり先程のBさんとの話が頭を離れず、
適当なところで切り上げて、一応言われた通り枕元にCさんから貰ったお守りを置いて就寝したそうだ。
眠りについて数時間した頃だろうか、
Dさんはふと目が覚めてしまった。
普段は大変寝付きがよく、滅多に途中で目が覚めることがなかったそうだが、
きっと中途半端な飲み方をしたからだろうと思い、
水を飲んで寝なおそうと身体を起こしかけたその時、
身体が動かない
いわゆる「金縛り」というやつだ。
初めてかかったが、確か身体が寝ていて頭が起きててっていう現象だったっけか、
なんて考えていたそうで、怖かったり焦ったりはしなかったという。
ただ一点、部屋の様子が変わっていたことに気付いて、急に恐ろしくなった。
Dさんが泊まっていた部屋は6畳ほどの和室で、部屋にはちゃぶ台とコイン式のテレビ、布団とDさんの持ってきた荷物くらいしかない殺風景な部屋だったそうだが、
明らかに部屋の中に『誰かがいた』そうだ。
その人?は、はっきりと見えた訳ではないが、
最初は部屋の隅にぼんやり立っているように感じたそうで、
足音もさせず、どこか剣道のすり足のような動きで、ゆっくり、ゆっくりとDさんの方へ向かってきたのが「分かった」のだそうだ。
Dさん「びっくりしましたよ。
その時私は身体動かないでしょう?でも明らかに人がいるんですよ。
人相も声も、来ている服だって分かりませんでした。
電気を全部消して寝てたんで部屋が暗かったからってのもあるけど、その人?自体が真っ暗に見えましたね」
Dさんは必死に身体を動かすか、大声を張り上げようとしたが、全く身体も声も上がらない。
何が目的か知らないが、こんな時間に見ず知らずの人間の泊まっている部屋に入って来る輩にまともなものはいない。
どうにかしなければ、、どうにか、、、
そうして頭の中でもがいている最中にも、その人影はDさんの方にゆっくり近づいて来たそうだ。
もうダメだ・・・せめて最期にコイツの顔だけでも・・と目を見開いたその時、
Dさんの目の前にまで迫っていた黒い影が、
まるで焼却炉の火に顔を背けるような避け方をしてのけぞったのだそうだ。
それからその人?はのっそりと立ち上がり、
居室の入り口方面にゆっくりとすり足のような動きで進んでいき、
部屋を出る直前にDさんの方を向いて
「チッ」
と舌打ちのような音を出して、そのまま出ていった。
直後に、緊張が解けたのかDさんの身体は動くようになり、同時に声も出るようになった。
しばらくは動悸で息もつけない状態だったそうだが、ある程度息が整うとさっきまでの恐怖も忘れて、先程の人影を追って部屋の外へ駆け出して行ったのだという。
(怖くなかったんですか?と訊いたら、
「怖さよりも賊の確保が先だと思っちゃいました(笑)」と言って笑っていた時の笑顔が怖かった・・orz)
しかしどれだけ廊下を見回しても、人っ子一人見当たらない。
他にもBさんを始め、何人か宿泊客がいたはずなので、誰かに被害があっては大事だ、
深夜に大騒ぎして・・・と思いはしたものの、事件になる方がいけないと思い、宿の主人を起こしに行って、事情を説明したそうだ。
だが、Dさんの説明を受けた宿の主人は、
一通り聞き終えると、少し青ざめながらも
「お客さん、無事だったんですよね。
なら、もう少なくとももうお客さんとこには来ないと思うんで、寝なおしちゃもらえませんか?
見回りは私がしますんで・・」
なんともぶっきらぼうな説明にDさんは思わず声を荒げそうになったが、
宿の主人が「どうかこの通り!」と手を合わせて頼むので、そのまま任せて部屋に戻ったそうだ。
それからしばらく目が冴えていたそうだが、いつの間にか眠りに落ちていたようで、気付けば朝になっていたそうだ。
なんとも不可解な体験だったが、部屋の外に出てみても特に何か事件が起こっているような気配はない。
本当に何だったのか?と怪訝な気持ちで共同の洗面所に顔を洗いに行くと、ちょうど同じく洗顔に来たBさんに出くわした。
B「おはよう!昨日はどうだったね?」
D「いや〜変な夢見たのか何なのか・・昨日人生初の金縛りにあっちゃってさ〜
そんで俺の部屋に盗人か何かが入ってきちゃったみたいで、それから宿のオヤジさんに見回り任せて、そのまま寝ちゃったんだけど、おかげで寝不足でさぁ・・」
黙って聞いていたBさんは急に青ざめた顔になって、
「Dちゃん、お守り、ちゃんと持ってる?」と真剣な口調で訊いてきたので、
部屋の枕元にある、と伝えると、一緒に見に行こうということになり、訳も分からずDさんの部屋に飛び戻ったそうだ。
お守りはDさんの言った通り、昨夜にDさんが置いたままの場所に置かれてあった。
ここにあるぞ、とDさんが袋ごと拾い上げると、Bさんは「・・・開けて見てみな」と言うので、罰当たりな気持ちを抱きながらも、巾着の口を開けようとした時、早速違和感に気が付いた。
中に入っている木らしきものが割れているような感触がした。
よく触って確認してみると、折れているのではなく、真ん中から割れかけているような感触がしたという。
少し怖くなったものの、恐る恐る袋から中身を出してみると、真ん中からキレイに折れるように割れていたらしい。
中に入っていたのは、アイスの当たり棒のような形の木の板で、何やら達筆すぎて読めない梵字のようなものが何文字か書かれていたという。
Dさんは昨夜の事を思い出し、やっぱり何かが自分の部屋に入り込んでいたのだと再認識させられて震え上がったそうだ。
程なくして、宿の主人がDさん達を訪ねてきた。
宿の主人(以下:主人)「お客さん、昨日は大丈夫でしたか?」
D「あ、、はい、おかげさんで。あの、昨日は無理言ってすみませんでした・・・」
主人「いえいえこちらこそ・・色々と説明が足りなくて。
あれから何もなければ良かったですが・・・それは?」
そう言って主人はDさんが持っていたお守りの中身を指した。
Bさんが「昨日Cさんから貰ったもんです」と言うと、主人はピンときたようで、
主人「あ〜▲△屋さん(定食屋の屋号)の!それで何事もなかったんですね。
いや〜私もあれから心配になって、さっきもらってきたんですよ〜」
そう言って、Dさんが昨日貰ったお守りと同じような巾着袋を提げてDさん達に見せた。
どういうことだ?とDさんは困惑したが、
宿の主人の「そういやお客さん方、今日の現場は大丈夫なんですか?」との一言で仕事を思い出し、急いで出立の準備に取り掛かった。
宿の出掛けに主人から、
「持ってってください。まだ油断は出来んと思うので」と言われて、新しいお守りを貰った。
昨夜のこともあり、今度はしっかり作業着の胸ポケットへお守りを大事に閉まい、その日の現場へ出ていった。
そして全ての作業はその日の昼前に終わり、
元請けの会社の人間に作業の引き継ぎをして、宿へ荷物の受け取りと主人へのお礼を言いに行き、
最後に件の定食屋へお礼を言って帰ろうとしたが、
店の入口には【定休日】と書かれた看板が下がっていたので、
Dさんは手持ちのメモ用紙にボールペンで
【ありがとうございました。また必ず来ます】
とだけ書いて、店の入口引き戸に挟んでその場を後にしたそうだ。
その足で東京に戻り、勤め先に作業終了の報告を済ませて、打ち合わせしていたBさんと合流して近場の居酒屋へ移動し、
ささやかながら打ち上げをしたのだが、その時にBさんから聞いた話はこういうものだった。
Dさんが行った現場は何かしら曰くのある場所らしく、
数年に1回、橋梁や欄干などの保守で作業員が入るのだが、その時に少なからず事故が起こるのだという。
事故に遭うのはその現場に初めて来た作業員ばかりで、作業が終わりに近付いた頃に起こりやすいそうなのだ。
B「俺も前の親方から紹介されて初めて行った時に例の定食屋に連れてかれてな。
そこで酒飲んだんだけど、酒好きの親方が一杯も手をつけようとしなかったんだよ。
そん時俺もあのばあさんからお守りをもらってね、
眉唾モンだと思って軽く見てたんだけど、おっかない親方から『絶対肌身離さず持っとけ!!』ってすっげぇ剣幕で言うもんだから・・(苦笑)」
D「その時、どうなったんだ?」
B「俺はそんなん霊とか分からんから、親方の言う通りお守りを持ってただけだけど、
実は同じ日の夜に別の作業で来てた連中の新入り一人が同じように酒飲んでたらしくてな。
そいつはばあさんのお守り持ってなかったそうで・・・」
D「・・・どうなったんだ?」
B「次の日に欄干の足場撤去があったんだが、そこから落ちて死んじまった」
D「・・・偶然じゃないのか?」
B「次に行ったのが5〜6年後なんだが、その時は元請けから来てた監督役の若いのが欄干側の何かの確認してる時に強風に煽られて転落死、
その次が橋板の補強で来てた業者のこれまた若いのが重機に指ぃ巻き込まれて全切断の重症、
俺が行かなかった時もあるから分からないが、もしかしたら他にもいろいろあるかもな」
それを訊いてDさんは絶句したという。
全てがここ数十年とはいえ、同じ現場で頻繁に事故が発生していた事になる。
土木作業や建築作業の現場において、死亡や重症事故が起こることは会社的にかなりの不利な要素になる。
中にはそういった曰く付きの現場を避けて仕事を取る業者もいるとか聞いたことがあるくらいだ。
Bさんは前の親方さんから仕事の一切を受け継いで一人親方をしており、
なかなか仕事を選べない事情などはあったろうが、
逆にそういった仕事を敢えて外す選択も出来たはずなのだが、何があってその仕事を受け続けたのだろうか。
B「俺だってそんな案件、避けて通りたいけどさ。
でも、俺もDちゃん程じゃないけど、ガキの時分にそれなりヤンチャしてて、どうしようもないクズだった頃に拾ってくれたのが親方だったんだよ。
俺からすれば親父も同然の人だったからさ、あの人が持ってた仕事は俺もしっかり受け継いでいきたいと思って」
Dさんはそれを静かに聞いていたという。
元いた自分の稼業も同じような繋がり合いで出来ていたから、Bさんの『親方の恩に報いたい』という気持ちが沁みるほど分かったという。
B「怖い現場に何も知らせず誘っちまって申し訳なかった。
今回の現場については、一回何かしらあって、何もなく終われたら次は何も無いと聞いてる。
でもDちゃんがもう行きたくなければあの現場が入っても誘わないようにするからさ、
今後ともいろいろ仕事を振らせてもらってもいいかな・・?」
そう申し訳無さそうに頭を掻きながら話すBさんに、
Dさんは「こちらこそ」と言って場をとりなした。
それからはBさんも幾分元気を取り戻したようで、銘々話に花を咲かせてその場はお開きとなったそうだ。
だが、この話には後日談がある。
その話を聞き終わって、私はDさんに率直な質問をぶつけた。
私「その橋の仕事って、今でもあるんですか?」
D「あると思いますよ。私はもう受けていないんで、今はどこが請け負ってるかは分からないけど」
私「え?Bさん引退でもされたんですか?歳でいったらDさんより少し上くらいの方ですよね?」
D「Bさんね、もう亡くなってるんですよ」
一気に体温が下がった気がした。
Dさんは遠い目をして続けた。
D「亡くなったのは例の橋での仕事だったと聞いてます。
もう何十年前だったか・・・
奥さんが知らせてくれて、私も葬儀に行ったんでよく覚えてます。
転落死だそうで、橋から下の川に真っ逆さまで、頭なんかは原型を留めていなかったそうです。
着ていた作業着と、若い頃に入れた墨の模様で、やっと本人だと分かる位の損傷具合で、むしろご遺体が出てきただけでも奇跡だって言われてました」
鳥肌が立った。
しかし、それと同時に疑問も湧き上がった。
私「でも、一度現場を無事に終えたら次回からは大丈夫って話じゃないですか。
それにBさんは何回も同じ現場の仕事をこなしてたんでしょう?
一体何が原因だったんでしょうか・・・」
Dさんは少し考えて、首を捻りながらこう答えた。
D「私にも詳しい理由は分かりません。
正直、あれからBさんが気を遣ってくれたのか、1回もあの現場には入りませんでしたから。
別の現場の仕事でBさんと一緒に仕事はしてましたけどね。
最後に会った時も、二人で楽しくお酒を飲んで話してましたし」
余計に分からなかった。
特段、悩みも抱えているようではなかったと聞くし、亡くなった年齢も50代後半と、まだ耄碌するような歳でもない。
D「私も心霊系の薀蓄はさっぱりなんですけど、一つだけ思い当たるフシがあるんですよ」
Dさんは3分の1ほど残っていたウイスキーの水割りを一気に飲み干し、お代わりを頼んで言葉を続けた。
D「Bさんの葬儀が終わって、私も仕事が一段落した後に、一回だけ例の橋に行ってみたんです。
供養のつもりでもあったし、単に興味本位って感じでもありました」
到着した水割りで口を湿らせて、Dさんは続けた。
D「何しろ10年以上ぶりの場所だったんで、当時の記憶と現場の地名を事前に地図で調べて、車で迷い迷いしながら行きました。
多少道が舗装されて変わってはいたんですが、走ってる内に当時の記憶が少し戻ってきまして、そのまま道なりに進んでいったんですよ。
そうしたら、あのお守りをくれたばあちゃんがやってた定食屋がありました。
尤も、既にお店は辞められてて、半ば廃墟みたいになってましたがね。
そういや『また来ます』とか書いて、結局行かなかったな、なんて思い出したりなんかして。
それで橋まで着いたはいいんだけど、結局何が原因なのかなんて分かりゃしない、当たり前ですけどね(苦笑)
それでもここまで来たんだからと思って、当時泊まってた宿に行ってみて、それでも何も掴めなかったらそのまま帰ろうと思って、ダメ元で行ってみたんですよ」
普段はそんながっついてあれこれ知ろうとする素振りがないDさんの話はどれも意外だった。
それだけBさんという仕事仲間でもあり、また大切な友達を失ったのがDさんの心には相当にひびいたのだろう。
Dさんは話を続けた。
D「車の中で地図を確認して、当時の宿に向かってみたら、改築なんかして外面はすっかり変わってたけど、しっかり宿は残ってたんです。
中に入ると若い・・っつっても歌屋くんより年嵩の男性が出てきましてね、
聞けば、私が泊まってた頃の主人のご子息だと言うんです。
それでこちらも素性を話して、もし聞けるんなら当時のご主人に何か話を聞けないかと頼んでみたら、今は身体が弱って、麓の街の老人ホームにいるけれど、頭と耳はしっかりしてるから話は出来るはず、って。
ちょうどご子息の奥方が替えの肌着やら洗濯物を取りに行かれるとのことで、私も着いて行くことになりましてね。
今思っても、何であんなに一生懸命したのか分かりません(笑)」
Dさんはどこか懐かしむような、それでいて何気に悲しそうな横顔をしていた。
D「奥方の車に着いて行って、麓の少し大きい街にあった老人ホームでご主人と再会しました。
事情を話すと色々と覚えていらしたようで、あの橋と定食屋のおばあさんについて教えてもらいました。
元々あの橋付近は大変な交通の難所で、
度々鉄砲水やがけ崩れで、昔から多くの死者が出ていたそうです。
それだけじゃなくて、あの山自体にあまりよろしくない神様が棲んでるとかで、それが多くの災害や事故を起こしていると言い伝わっていたのだと聞きました。
我々が作業をした橋に変わったのも割と最近なのだそうですが、橋の工事でも多くの事故があったようで、何人も亡くなられたそうです。
その事故が多発しだしたのが、最初の事故で一人亡くなられてからだというのです。
定食屋のおばあさんは、元々あの土地で生まれ育った方のようでしたが、ご実家がいわゆる拝み屋さんだったようで、
何かあったら檀家の寺よりも、そこのお宅に相談に行くほど信頼されていたお家柄だったと聞いてます。
もしかしたら、私が感心したという所作のあれこれも、そのお家柄の中で培ったものなのかも知れませんね。
家族が散り散りになって、婿に入れた旦那さんが定食屋を開くことになったで、おばあさんも拝み屋稼業を辞めて、嫁として定食屋の手伝いに出ていたそうなんですが、
橋の事故が多発しだした辺りに周りから相談されて、地鎮祭のようなものを執り行ったのだそうです。
しばらくは何もなかったのだそうですが、日が経つごとに再び事故が起こるようになり、その前兆として、件の宿に何かが現れるようになったのだといいます。
宿とその霊?のつながりは分からないそうですが、宿のご主人が困り果てておばあさんに相談したところ、私やBさんが貰ったお守りを渡すようになったと聞きました」
そこから先はBさんから聞いた通りで、
お守りを持っていて助かった者、持たずとも助かった者、持たずに助からなかった者と分かれるが、
何も対応がなされる前に比べては格段に事故発生の割合は減ったそうだ。
私「それで、その後食堂のおばあさんとかはどうなったんですか?」
D「宿のご主人も良くは知らないようでしたけど、年齢的に限界を感じたのか、Bさんが事故に遭う何年か前にお店を畳んで、おばあさんの方は体調を崩されたのか麓の町の病院へ入院されたそうです。
旦那さんの方は分からないけど、家と一緒になってたお店を空けられたところをみると、もしかしたらどこか老人ホームとかに入られたのかも知れませんね」
話を聞いていて、私は定食屋のばあさんに土地の守り人のようなイメージを抱いていた。
それをDさんに伝えると、Dさんも同じような印象だと言った。
年齢や土地柄など、色々と維持をしていく上での問題はあったろうが、ばあさんはその土地を去っていく時、一体どんな気持ちだったのだろうか。
D「私が宿を訪ねた時、ご子息ともお話をしたんですけど、近々あの宿も閉められる予定と聞きました。
結構な田舎だし、ご子息の奥方のご実家が麓にあるそうで、そこに入ればいいからと言ってました。
私も自分の一時代の一つが幕を下ろすのは少し寂しい気もしましたが、時代だって人だって動いてかなきゃいけないものだからね、
ご子息夫婦とご主人の安泰な未来を祈るばかりですよ」
時代も人も動いていかねばならないものーー
Dさんが言う言葉だからこそ、私には深く心に刺さった。
どんな状況にあったとしても、自ら動いていかねば何も変わらない。
D「あの橋もいつまで残るかは分かりませんけど、
あの土地自体が限界集落みたいなもんでしたから、いずれは無くなるでしょう。
Bさんの事も勿論残念でしたけど、そういうことも生きてたらありますよ。
何がとか、誰が悪いとかでもなく、そうなる流れだったんでしょうよ」
そう言ってDさんは残りの水割りを飲み干して、
「明日も早いんで、また」と微笑んで店を後にした。