自傷行為、その結末
早速ですが、少し半生記から脱線していきます。
少しディープな話になるかもしれないので、
苦手な方はお気をつけください。
リストカットをはじめた理由
わざわざタイトルにしてしまいましたが、
実は目立つ理由は特にないんです。
きっかけは覚えています。
漫画です。
タイトルは明記を避けますが、漫画誌Cで連載されていた
かなり人気のあった漫画です。
家庭内不穏というほどか判断しきれませんが、
そんなストレスは少しはあっと思います。
中学3年生、おそらく夏頃。
はじめは爪で手首をグリグリ引っ掻いて、
そのうち足りなくなって父の部屋にあったカッターを使いました。
ただ古いカッターで、血が流れるほどは切れなかったんですよね。
エスカレート
それが段々と新品のカッターを買い、安全ガードのないカミソリを買い…。
はじめは大きな理由はなかった自傷行為は、
気がつくとストレスの捌け口でした。
最近母から聞いたことですが、
私は幼少期から我が儘をあまり言わなかったそうです。
ストレスを解消する方法を、きっと知らなかったのだと思います。
物を壊したり壁を破壊したり、暴力や暴言などはできませんでした。
だから、ぶつけるところは自分。
だから、何の問題もないと、心から信じていました。
カミソリを使うようになってからは、血溜まりができるのを見るのが好きでした。
もちろん親にもバレていて、やめるように相当言われてました。
誰にも迷惑を掛けていないし、やめるつとりはないとハッキリ言っていました。
高校2年からは不眠も出て再度心療内科へ通院していたのですが、
ついに心療内科から入院を勧められまました。
ですが親は猛反対。
私は入院したかった。
結局入院はしませんでした。
そして心療内科は、私をもう診れないと…。
そこから、もちろん不眠も治っていないまま、通院もしていません。
本当に辛い時期でした。
この頃は不登校にもなっていましたが、
とてもありがたいことに担任の先生のサポートがあり、
3年生になる前に不登校を解消、リストカットもおさまりました。
本当に死にたかった
短大の二年間もリストカットすることなく生活できていましたか、
就職してその秋か冬くらいから再発してしまいます。
精神科の入退院を繰り返し、そのうち本当に、
本当に死にたかった私は…
オーバードーズ、多量服薬に手を出します。
ただ、多重通院などができなかったので、個人輸入で大量に買いました。
かなり調べて、比較的少量で死に至りやすい種類を。
絶対にこの日に死ぬ、と決めた日、
よりにもよってどうしても外出する用事ができ…
外で薬を飲んだせいで、すぐに救急車を呼ばれてしまいました。
そのあと担当カウンセラーから聞いた話ですが、
340錠ほどを飲んでいたようです。
(たしか1000錠くらい用意していたはず)
その時はさすがに錯乱していたようで、
保護室と呼ばれる、鉄格子の扉の個室で、隔離・拘束を伴う入院をしました。
その後、現在
今の私の両腕、肘下は内側もその側も傷跡がびっしりで、
所々目立つケロイドもあります。
オーバードーズはその一回でやめることができたのですが、
それは担当カウンセラーのおかげ。
リストカットはだらだらと21歳くらいまで続いていました。
高校生の時は、よく傷を消す手術を受けたら、お金は出すよと
母や祖母が気にかけてくれていたのですが、断っていました。
やましいことはないから、消す必要はない。
それに、自分を否定されていた気もしていたんですよね。
でも今は受けたかったと思う。
堂々と半袖を着るようになって、 何年もリストカットから遠ざかって
単純にきれいな腕になりたかった。
今はそう思います。
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