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【続日本100名城スタンプ】125.小机城

続日本100名城のスタンプを押しに、2025年1月に神奈川県かながわけん横浜市よこはまし小机城こづくえじょうへ行きましたのでご紹介します。

※ 本記事は訪問当時の情報を記載しておりますので、最新情報は公式サイトやお問い合わせなどで確認をお願いします。


スタンプ設置場所の情報

小机城こづくえじょうの続日本100名城スタンプは、「横浜市城郷小机地区センター」に設置されています。公共施設のため、入館は無料です。

スタンプまでの道のり

今回は、JR横浜線の小机駅から小机城へ向かいました。小机城の続日本100名城スタンプへは、小机駅南口から行きます。

小机駅 南口

小机駅を出て東を向いたところの建物に続日本100名城スタンプがあります。

小机駅の近くにある横浜市城郷小机地区センター

スタンプ設置場所の紹介

小机駅から歩いて、横浜市城郷しろさと小机地区センターに着きました。

横浜市城郷小机地区センター

小机城の続日本100名城スタンプは、地区センターの入口にあります。

続日本100名城スタンプ(横浜市城郷小机地区センター)
小机城 続日本100名城スタンプ

スタンプのデザインは、小机城の空堀跡からぼりあとです。西曲輪にしぐるわ本丸広場ほんまるひろば)あたりの北空堀のようです。

小机城 空堀跡

小机城について

スタンプが押せたので、小机城についてご紹介します。

小机城址の石碑 @ 西曲輪

小机城は、遅くとも文明8年(1476)の「長尾景春ながおかげはるの乱」から使用された平山城です。

武州小机城のしろラマ @ 横浜市城郷小机地区センター

長尾景春方が小机城に立てこもり、扇谷上杉おうぎがやつうえすぎ氏の家宰かさい太田道灌おおたどうかんとの攻防で攻め落とされた記録があります。その後、小田原北条氏の拠点となりましたが、豊臣秀吉の小田原征伐により、小田原北条氏が滅ぼされて廃城となります。現在は、「小机城址市民こづくえじょうししみんの森」として開放されています。

小机城址市民の森 @ 小机駅

続日本100名城スタンプが設置されている横浜市城郷しろさと小机地区センターの二階には、小机城の歴史に関するミニ展示コーナーがあります。

横浜市城郷しろさと小机地区センター ミニ展示コーナー

ちなみに、2025年1月時点では、令和に実施された小机城試掘調査の結果が展示されており、発掘されたかわらけなどが展示されていました。

「発掘された小机城」ー令和3・4年度小机城跡埋蔵文化財試掘調査成果速報展ー

さて、小机城へ行ってみるのですが、2024年11月に公開された埋蔵文化財センターの動画では、小机駅の北口から小机城へ向かっています。

小机駅の案内図では、小机駅の南口から小机城へ向かっています。途中に「横浜市城郷小机地区センター」があるので、スタンプを押してから行くのは南口からの方が楽です。

小机城址までのご案内 @ 小机駅

横浜市城郷小机地区センターを出て、駅と反対方向へ進んで左へ曲がります。

小机城と反対方向を左へ

左へ曲がった後は、県道12号線を右へ曲がります。ところどころに「小机城址こづくえじょうし」の案内があります。

県道12号線を右へ

県道12号線の小机商店街を西へ進みます。屋根があるので途中までは雨でも濡れずに進めます。いや、雨の日の小机城はやめておいたほうがいいです。

小机商店街

小机辻交差点まで来たら右へ曲がります。右手にJA横浜があるところです。

小机辻交差点(JA横浜のところ)を右へ

JR横浜線があるので、踏切を渡ります。

JR横浜線の踏切

左手に蔵がある十字路を左に曲がります。このあたりは小机城の城下町にあたり、由緒正しそうな町並みを少し感じます。

蔵がある十字路を左へ

「小机城址」の案内を見つけたら右へ曲がります。

「小机城址」の案内を右へ

ここから登りになります。いよいよ小机城へ入城していきます。

小机城の入口

小机城を進んでいくとまずは「根小谷広場ねこやひろば」に出ます。根小屋ねごや山城やまじろにおいて、ふもとに置かれた城主の居館を指します。平時はこのあたりに居館があったのでしょうか。

小机城 根小谷広場

前述の通り、小机城は「小机城址市民の森」となっています。小机城は主に3つの曲輪くるわで構成されます。西曲輪にしぐるわ本丸広場ほんまるひろば)・中曲輪なかぐるわ矢倉跡やぐらあと)・東曲輪ひがしぐるわ二の丸広場にのまるひろば)です。それぞれの曲輪のまわりが土塁どるい空堀からぼりで囲われています。

小机城址市民の森の地図

根小谷広場から曲輪くるわの方へ登っていきます。小机城は全体が竹林たけばやしになっています。小机城の竹は戦後に植えられたそうなので、昔の光景はもっと違ったのかもしれません。

小机城 竹林

坂を登り切ると、壮大な空堀が現れます。左へ行けば西曲輪(本丸広場)、右へ行けば東曲輪(二の丸広場)に着けます。

小机城 根小谷広場を登ったところの空堀跡

まずは左へ曲がって西曲輪(本丸広場)へ向かいました。4~5mはあるかのような空堀に圧倒されます。

小机城 本丸広場手前の空堀跡

西曲輪(本丸広場)の前には大きな冠木門かぶきもんがあります。市民の森として整備された際に設置されたようですが、何かしら門があった可能性はありますね。

小机城 本丸広場にある冠木門

西曲輪は本丸広場と名付けられていますが、西曲輪と東曲輪のどちらが本丸であったかは、現在でも定かではありません。西曲輪は東曲輪に比べて空堀が深くなっており、その点では西曲輪の方が守りが固かったという話があるようです。

小机城 西曲輪(本丸広場)

西曲輪の西側は東京オリンピック直前の昭和38年(1968)に第三京浜道路が建設されたことで、一部破壊されています。

小机城 西曲輪の西側を通る第三京浜道路

西曲輪は空堀に加えて周囲を土塁で囲われていました。

小机城 西曲輪の土塁

西曲輪の東側には小机城の説明板がありました。

小机城の説明板

西曲輪と東曲輪の真ん中にある中曲輪へ行ってみます。

小机城 西曲輪から中曲輪へ

中曲輪は、西曲輪と東曲輪の間にある細長い曲輪で、矢倉跡と案内されています。

小机城 中曲輪(矢倉跡)

中曲輪は、東曲輪・西曲輪に比べて高く、見晴らしが良い場所となっています。先ほど根小谷広場から登ったところが丸見えで攻撃がしやすいので、矢倉があったとしても違和感はありません。

小机城 中曲輪からの眺め

中曲輪から東曲輪(二の丸広場)へ行ってみます。

小机城 中曲輪から東曲輪へ

東曲輪(二の丸広場)の手前には、井楼跡せいろうあととされる高台があります。中曲輪と井楼跡で防御力が高い点を見れば、東曲輪が実は本丸だったという話も一理あります。

小机城 井楼跡

小机城は、第三京浜道路建設前に西曲輪の一部で発掘調査をされた以外、ほとんど調査が行われたことがありませんでした。そのため、小机城がどのように使用されていたかはあまりわかっていないようです。

小机城 東曲輪(二の丸広場)

東曲輪(二の丸広場)から北へ行くと、空堀を降りることができます。

小机城 東曲輪から北空堀へ

空堀を降りると竹林で囲まれた神秘的な空間があります。先ほどいた曲輪からの高さを見るに、なかなか空堀から登っていくのは大変そうです。

小机城 北空堀跡

小机城から第三京浜道路をくぐって反対側には「富士仙元ふじせんげん」と呼ばれる小机城の続きがあります。

第三京浜道路をくぐって富士仙元へ

富士仙元からは、先ほどの小机城、第三京浜道路、JR横浜線と更に日産スタジアムが見えました。見晴らしは良いですね。

小机城西曲輪(左)、第三京浜(中央手前)、日産スタジアム(中央奥)、JR横浜線(右)

富士仙元には、「小机富士」と呼ばれる小山があり、「富士仙元大菩薩」と書かれた富士塚がありました。

小机富士

まとめ

今回は、神奈川県かながわけん横浜市よこはまし小机城こづくえじょうと続日本100名城スタンプについてご紹介しました。

  • 最寄駅:JR横浜駅 小机駅

  • 移動:小机駅から徒歩1分

  • スタンプ設置場所:横浜市城郷小机地区センター

  • 城跡:小机城址市民の森(スタンプ設置場所から徒歩10分)

小机城の続日本100名城スタンプは、最寄駅から近くにあって便利でした。城跡へも駅から10分ほどで見学できるので、気軽に行ける山城でした。

小机城 全景

長く発掘調査が行われてこなかった小机城ですが、前述の通り、令和に試掘調査が行われ、徐々に小机城を解明していく動きがあります。今後の調査を楽しみにしています。

「発掘された小机城」の展示 @ 港北図書館

小机駅の近くには、小田原北条時代に小机城代だった笠原越前守信為かさはらえちぜんのかみのぶためが創建した「雲松院うんしょういん」があります。

雲松院

雲松院には、江戸時代に旗本となった笠原かさはら家の墓所があります。

笠原家墓所

また、小机城の近くにある「折本や」には、小机城にまつわる和菓子があります。

折本や

小机城最中は、城の形をした最中の中に栗が入っていて美味しかったです。他にもいろいろありました。

折本やの小机城スイーツ

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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