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『水は海に向かって流れる』の榊さん

祝・映画化。
どちらかというとまだ知る人ぞ知るといった作家さんなので、周知されるきっかけが増えるのは喜ばしいことですね。
主演も広瀬すずさんと。

という訳で元々田島列島さんと原作のファンだったので観に行きました。
言ってしまえば原作ファンからするとあまり……。
そもそもがわりと独特な作風なんですよ。
ひょんなことから高校生の男の子とOLのお姉さんが、相手が親の不倫相手同士の子どもだと知ってしまうというヒューマンドラマなんだけど、基本的には雰囲気が前編通してゆるくユーモアをまとったコメディ風なんだよね。
それって映画化するとどうなるんだとは思ってたけど、まあそのままは出ないよね。
実在の人間にそれをさせると妙にわざとらしくなってしまう。

 まず映画の良かったところ。
それは血の通った人間が演技をするということそのもの。
特に高校生役の男の子が榊さんに、涙ながらに訴える場面は青春の青臭い情動が迸るようで良かった。
あとはラストの展開。あれはあれで好き。
「ばっかじゃないの」

 悪いところというよりは、気になったところ。
ズバリ榊さんの造形ですよね。ずっと不機嫌な仏頂面。
ラストの描写が180度違うという点から考えるに、そもそも原作と映画では榊さんの性格が全く違うのではないか。
原作の榊さんも朗らかに人と接することはしていないけど、雰囲気そのものはとげとげしくなくてむしろ優しい寄り。
過去の経験から心に波風を立てないよう、敢えてしている。
映画の榊さんが優しくないということはないんだけど、ゆで卵を直達くんと競うように食べる場面とか、腹いせに山盛りのポテトサラダを作る場面とか、感情を押し殺す性格では全然ないよね。
原作の榊さんも腹いせにパチンコ行くとかはしてたけど、人との対峙の仕方かな。
だって、原作1話目のタイトルが「雨と彼女と贈与と憎悪」だよ。
ここで言われないと、憎悪を抱えた人間の行動には見えない。彼女が波風を立てないように心情を抑え込んでいるから。
ああ、だから直達くんの行動によってそれが吐き出せたっていうカタルシスがあるんだね。

 もちろん映画と原作はまた違うから、原作そのまんま作らなくちゃいけないことはなくて、映画の終わり方もわりと好きなんだけど、人物造形が全く違うものと思えるのはわりと大事なところなんじゃないかな。


 ただ、明確に間違っていると言えるのがポトラッチ丼について。
映画ではポトラッチ丼の由来が明かされます。
母と決別した高校生の榊さんは、怒りに任せて牛肉を無造作に煮立てます。
「それが、最初のポトラッチ…」

いやいやいや、さも伏線を回収したみたいになってるけど、ニゲミチ先生の説明をちゃんと読んだか?
「『ポトラッチ』は北米の北西海岸に住んでた先住民が、冠婚葬祭に合わせて宴会をして呼んだお客さんとアホほど贈り物をし合うお祭りなんだけど、自分の気前の良さを見せつけるために高いモノぶっ壊したりとか乱暴なコトもしてたのね。
榊さんは時々私財をなげうってかなり上等な肉を買ってきては、フツーの玉ねぎと一緒にフツーのめんつゆで暴力的に煮つけたものをふるまってくれるのでこの名がつきました」
と。
行為自体がポトラッチなんじゃなくて、ポトラッチとは概念でしかないんだよ。

 というかポトラッチに例えたのは教授だろうけど、ニゲミチ先生説明上手だな。

 あともう一点は泉谷さんの扱い雑じゃない?存在感が希薄というか。
何より告白への返答をしてないじゃん。
教室を飛び出して行く直達くんを、「あーやっぱりそうなっちゃったか。分かってたよ。しっかりやりな」的笑顔で見送るだけど。
それでいいの?本人がいいならいいのか。ならそれでいいんだ。


Twitter終わっちゃいそうじゃないですか。
10年以上一緒に生きてたものが消えてしまう喪失感が悲しくて、でも仕方ないよね。
怒ったってしょうがないことばっかりだもん。
あ、これ榊さんの台詞だって思ったら、あれ、もしかしたら原作と映画では榊さんの性格そのものが違うんじゃないかという見解でした。

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