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ブラックスーツはダサい

私は演奏会と葬式以外ではブラックスーツを着ない。ダサくてかっこ悪くて奇妙だからである。私はブラックスーツが好きという人を見たことがなく、実際に「仕方なく」着ているという人が多いだろう。その一方で多くの人はブラックスーツを着ることに疑問を持たない。

みんなスーツに興味がない

みんなダサい格好をしている自覚がない。スーツを選ばないのと同様にネクタイも靴も選ばない。そのため本当に奇妙な格好をしている人が多い。

少し医学生らしいエピソードとして、解剖実習後の返骨式の話をする。私は返骨式を喪に服すよりむしろ感謝を示す場だと思っている。喪服として黒を着るのではなく、派手にならない程度に、あえてダークグレーのスーツとえんじ色のネクタイで参加した。

他の参加者はご遺族含め当然ブラックスーツが多いが、葬式と違いネクタイは黒以外が多かったように記憶している。

学生の多くはペラペラのリクルートスーツみたいなブラックスーツだった。ネクタイの締め方も滅茶苦茶で、スニーカーソックスに革靴を履いている人も見られた。

別の例ではOSCEの服装も同じである。白衣の下は多くの学生がブラックスーツだが、そこでもやはりスニーカーソックス(裸足?)の学生がいた。

スニーカーソックスに革靴ってダサいと思わないのかな?思わないならそれで好きにすれば良いけど、おそらく興味がないだけだろう。

返骨式が終わると、同級生から「スーツ似合ってますね」と言われた。当然だ。ちゃんと考えて着てるからな。

黒にはどの色も合わない

黒は本当に合わせるのが難しい。ネクタイ、シャツ、靴、何を合わせても70点どまり。頑張れば「良」がもらえるが、だいたい「可」である。私からすればブラックスーツを着ている人の9割は「不可」である。

黒に黒は合うだろうが、そういう服装の人が集まるのは本当に奇妙で気持ちが悪い。ヤクザの会合か?

ブラックスーツばかりのパーティーは本当に奇妙である。結婚式や披露宴でも女性はフォーマルな雰囲気のなか多様なファッションで着飾り、華やかである(ブラックスーツでパーティーに出席する女性なんているか?いや、いない)。一方で男性はブラックスーツの出席者が非常に多い。ネクタイは白かシルバーである。センスのかけらもない。ダサいんだよ。

ブラックスーツを着る場合、基本的にファッション性は犠牲にするしかない。ファッション性の不要な場面なら問題ないが、葬式以外にそのような場面があるだろうか?政治家でもなければモーニングコートを着るようなフォーマルな機会は皆無である。つまり服装をガチガチに固める機会なんて実際にはないのだ。パーティーの服装に「正解」を求めてはいけない。まあブラックスーツはダサいから不正解だと思うけどね。

ビジネスでも黒はダサい

社会人のスーツは人から見られていると意識した方が良い。髪型からスーツの色、サイズ、シャツ、靴、さらにファッション性も非常に大事である。ファッション性はいらないという言説もあるが、それは嘘である。

「顔採用」なんて言葉があるくらい就活において見た目は重要で、ダサい格好をしていたらそれだけで減点である。ペラペラの黒いリクルートスーツを着た就活生は見た目がゴミなので基本的に20点マイナスである。

医学生は教授と外部から来た製薬会社の社員のスーツを見比べて欲しい。前者はヨレヨレ、後者はバリっとしているはずだ。そして両者とも絶対にブラックスーツを着ていないはずだ。ブラックスーツを仕事で着ることは基本的にない。

出来るビジネスマンの姿を想像して欲しい。絶対にブラックスーツを着ていないはずだ。「プルデンシャルゴリラ」の着こなしは好みではないが、やはりブラックスーツではない。新入社員のイメージだけでブラックスーツを買った諸君は、それを今すぐ捨てて良いスーツを買い直すべきである。

礼服とかいうブラックスーツ

礼服はブラックスーツである。

両者を違う種類の服と考える人もいるが、礼服は少し色の濃いブラックスーツである。略礼装の一つで、それ以上でも以下でもない。違う種類の服というなら、礼服は英語でなんて言うのだろうか?海外には無い概念だと思うが…

略礼装の基本はダークスーツ(ダークネイビー、ダークグレー)である。
黒はちょっと変なのだ。

準礼装にはラフすぎ、パーティーにはダサすぎ。「何にでも使える便利さ」と形容されるが、私からすれば「何にも使えないゴミ」である。

気にしない人からすれば「礼服」は非常に便利なのであろう。だがあえて言おう。「センスがない」。

ファッションに興味はあるくせに

そのセンスのなさ、服への興味のなさが非常に残念である。またカジュアルな服装に対するこだわりの強さと矛盾を感じる。

fashion:流行、流行の服装・様式、時の好み

私はカジュアルの流行に全く興味がなく、快適さとコスパ重視でだいたい同じような服を着ている。それを他人から指摘されたこともある。「いつも同じような服着てるね」と。しかし私にそういう指摘をしてくる人(特に女性)こそ、ダサいスーツを着がちである。

過去に女性のスーツを見てカッコイイと思ったことは1度だけである。社会人時代、同期に背が高くてグレーのスーツを着た女性がいた。もう顔も名前も忘れてしまったが、かっこよかったことだけは覚えている。それ以外の女性は一様に黒いスーツだった。

女性のカジュアルの多様さとスーツの一様なダサさ、この対比は何なのだろう。女性はスーツに興味がないのだろうか。なぜあんなダサいスーツを着て我慢できるのか不思議である。おそらく「皆と同じものを着る安心感」がファッションセンスに勝ってしまうのだろう。そしてデザイナーがかっこいいスーツを作っても実際には売れないのだろう。

ブラックスーツは子供の着るもの

私はグレーのダブルを愛用しているが、これは20歳の頃に買ったもので、定価8万円の服を5500円で購入できた。大幅な値引きで売られていたサヴィル・ロウはサイズもピッタリで、本当に良い買い物ができた。

当時はスリムスーツなる奇妙なスーツが流行っており、「グレー」も「ダブル」も売れなかったのだろう。おかげで私は安くスーツを手に入れられた。
スリムスーツといえば任天堂の故岩田社長を思い出す。
https://www.youtube.com/watch?v=BdQg43n2OaM
スリムスーツと明言されてはいないが、私は岩田社長を見ただけでスリムスーツを着た時の、腕と背中が締め付けられる感覚を思い出す。

私はそのグレーのダブルを来て成人式に参加したのだが、なんと新成人ではなく教職員の方へ案内されてしまったのだ。確かに私は少し老け顔ではあるが、当時の新成人の男性はド派手な和装かブラックスーツばかりなので、グレーのダブル(しかもカラーシャツ、ネクタイも少しオシャレなものを選んだ)を着ている人間が20歳とは思わなかったのだろう。

成人式は大体どこもド派手な和装かクソ地味なブラックスーツの二極化である。スーツでオシャレをする人間は私以外に誰もいなかった(女性はみな一様にモリモリの髪にモコモコ付きのド派手な振袖だった)。

ブラックスーツは赤とか金の和装と同レベルの人間が着るものである。つまり子供用の服である。リクルートスーツと同じで、働き始めたらもう着るものではない。

まとめ

・形式を気にしてブラックスーツを着るなら、靴下を含めちゃんとした格好をするべき

・黒はファッションとして難しく自由度が低い

・ブラックスーツはフォーマルにはラフすぎ、カジュアルには地味すぎで、中途半端である

・フォーマルでもないのに皆同じ格好をして安心している姿はキモい

・女性を含め社会人はダサいブラックスーツから卒業するべき

・なぜカジュアルの情熱をスーツに向けないのか

私は昔からスーツが好きだが、医者を目指すきっかけとなった先生が病室で白衣を着ずにブラウンのスーツを着ていたことも少し影響している。スーツの似合う人間になりたいという気持ちを持ち続けており、スーツという範囲内でオシャレすることもだんだん楽しくなってきた。

スーツに限らず何事も好奇心と追求が大事である。美的意識を持って行動していきたい。

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