同じ目線で話さないと無理です。
地方再生スクール(仮)のようなモノが流行っている背景って、やはり地方が疲弊していてサスティナブルでは無くなってきつつある(このままでは消滅してしまう)というという危機感があると思っています。
そこで地方再生のスペシャリスト(自称・他称問わず)が市や町から呼ばれてテコ入れしようと地方再生スクールのようなモノを開催する訳ですが、そうしたもので傍から見ても成功しているモノはあまり無いように感じざるを得ません。
スペシャリストさんはスペシャリストとしてのプライドを持っているし、町の人達は町の人達で自分が住んでいる地域にプライドがあるから住んでいる訳です。
地方再生スクールに出席したり、スクールに参加する人達に関してですけど。
そうした人達はプライドがあることで、上から目線というのを嫌いますから、どちらもマウントを取ろうとします。
その場でマウントが取れなかった場合はnote等に書いてマウント取り返そうとしたりとか・・・。
マウントの取り合いでは何も解決しない。
マウントの取り合いをしていても何も解決はしませんよね。
少なくとも”根本”から変えていこうとするならば。
文字通り地域に”根”ざすことでしか”元”から変えていくことは難しいのですから。
このことが分かっていないスペシャリストも、地域の意識高い系の人たちもマウントを取ることで自己表現しようとか、自分を正当化しようとか考えているウチはなかなか難しいと言えるでしょうし、だったら他人に頼らず自分で出来ることを出来るだけやったほうがよほど地域のためになります。
マウントを取りたがる人は地方にもいますし、秘境というか僻地と言うかに移住してきた私自身も常々感じています。
移住者のなかにもマウント取りたがる人は多いですし、地元で生まれ育った人の中にもマウント取りたがる人は多いです。
私の場合、ほとんどマウント取らせちゃうと言うか、基本的にはまずは下手に出ることが多いです。そうすると殆どの場合相手は安心してくれますからスムーズにことが進む場合が多い。
ただ問題なのは相手が安心してくれない場合で、安心してくれない人はいつまで経ってもマウント取りたがります。そうした場合まずスムーズに話が進むことはありません。
理路整然と話せば分かってくれる場合は良いのですが、下手に出ても依然としてマウントを取ることだけに必死な人の場合、私は・・・。
ブチ切れます。
移住してきて5年。私の場合、2018年に1回、2019年に1回ブチ切れました。
ずっと下手に出ている人がブチ切れると、相手はほぼ確実にビビります。いつも横暴なジャイアンが怒っても「あぁ、またジャイアンが怒っている」となりますが、しずかちゃんや出来杉君がブチ切れたら怖いんです。
のび太ではなくやはりここはしずかちゃんや出来杉君です。ああ見えてのび太は結構短気ですからね。
そうして無意味なマウントの取り合いが終わり、同じ目線で話し合うことで初めてお互いに相手の言っていることを理解出来る環境が整い、話の本題に入ることが出来ると言えるのではないかと。
ただ、仮にブチ切れても、理路整然と話を続けても、全く話が噛み合わない人は存在します。
養老孟司の言うところのバカの壁ということですが、最近ではある程度偏差値が高い人の中にも話の噛み合わない人が増えています。
先日も自殺未遂をした人に対して、「この人を信じて着いていけば幸せになれる」と言った人たちがいましたが、そうした新興宗教的なものを信じている人も話は噛み合うことはありません。
最初の地方再生スクール(仮)に来るような人に関して言えば、あまりバカの壁があるような人たちは来ないと思います。
地方再生スクールに来るような人たちは基本的に意識高い系の人であることが多いのでその時点でバカの壁を乗り越えているので。
新興宗教的な人たちに関して言えば来る確率はそれなりに高いと思われますが、存在数自体がまだそれほど多くは無いと考えられるので、それほど考えに入れる必要は無いのかもしれませんね。
もちろんバカの壁も新興宗教的なものに関しても、田舎だから都会だからというものではありませんが・・・。
さて、話が少しズラ、ちゃう、ズレましたので戻しますが、地域に根ざすということは何もその地域に長いこと住むという事だけではありません。
マウントを取り合うことなく、同じ目線で話すことが出来る人であれば、その地方に住んでいなくとも地域の人たちはリスペクトをもって接してくれます。
観光カリスマでスイスのツェルマットに住んでいる山田桂一郎さんなどはその好例と言えるでしょう。
山田さんなどは地域再生のスペシャリスト中のスペシャリストですが、全く上から目線ということは無く「私がテコ入れしてあげます」とか「私の言うことを聞いていれば良いんです」といったところが全くありません。
「地域と一緒に考えていきましょう(^^)」という姿勢があるからこその好例と言えるのではないでしょうか。
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