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ハヤブサ使い 全十一話
第一話 出会い
8月も終わりに差し掛かったころ、わたしは高速道路を北へ急いでいた。待ちに待ったハヤブサの若鳥が遠くイギリスから入荷したのだ。肉食の鳥を調教し、鷹狩をするという十数年来の夢がいま始まろうとしていた。
猛禽ショップの一角におとなしく繋がれた30cmほどの小柄な茶色の鳥、それがわたしのハヤブサだった。これからどんな鳥に育つのだろう。店員が左手に厚手の革手袋をはめ、そのハヤブサの両足を繋ぎ止めている紐を緩めたとたん、わたしのハヤブサは飛び立ち、体に似つかない大きな警戒音を発し、紐でぶら下がっている格好になった。
ああ、これは長い調教の道のりになりそうだ。慣れている猛禽なら差し出された革手袋(グローブや餌掛と呼ばれる)に乗り、じっとしているものだが、このハヤブサはグローブを嫌悪していた。店員は慣れた手つきでハヤブサの背中を右手で支え、グローブの上に止まらせた。紐でぶら下がってもなお逃げ出そうと羽ばたいた(専門用語ではベイトすると言う)ため、口を開けてあえぎながらも、ハヤブサはその目に捕食獣独特の鋭い光をたぎらせていた。
わたしがハヤブサの大きくて黒い瞳に目を奪われていると、店員はどこからかスエード製の小さな頭巾を取り出し、ハヤブサの頭に近づけた。フードと呼ばれる頭巾はハヤブサの視界を遮り、落ち着かせる役目をする。熟練の店員はハヤブサの頭に難なくフードを被せるはずだったが、怒りに満ちたハヤブサの鋭いくちばしがそれを遮った。見る見るうちにフードを持っていた右手の指から血が滲む。ほらやっぱり噛んだ。このハヤブサはグローブだけでなくフードも大嫌いなのだ。
程なくして店員は静かだが確固たる動作でハヤブサにフードを被せることに成功した。滑らかでハヤブサに悟られないその手の動きに感心しつつも、わたしは安堵することができなかった。果たしてこのハヤブサに噛まれずにフードを被せることは可能なのだろうか。店員が器用に右手と前歯を使ってフードの後ろの紐を引き締める。もし唇をハヤブサに噛まれたらどうするのだろう、わたしはハラハラしながら見届けた。
フードを被されたハヤブサは先ほどとは打って変わっておとなしくなり、持参したIの字型の鉄製の止まり木(ファルコンブロックと呼ばれている)に乗せられた。フードが被されるとハヤブサは夜になったと勘違いし、無駄な動きを止めるのだ。紐の端はブロックの根元にある鉄製の輪っかに鷹匠結びと呼ばれる結び方で注意深く結ばれた。インコが鳥かごの扉の開け方を学習するように、猛禽は片結びを解いてしまうことがある。わたしは店員が鷹匠結びをする手順を頭の中の記憶と照らし合せた。この日のために動画を見ながら練習しておいたのだ。
「どのフードがちょうどいいサイズですか?」わたしは持参した3つのフードを店員に見せた。ハヤブサの調教にフードを欠くことはできず、鳥を迎え入れる前に小さめ、標準、大きめの3サイズのフードを準備しておくのが鉄則だと聞いていたのだ。
店員は片方の唇の端を歪め、どれも大きすぎる上に柔らかすぎてハヤブサの目に当たってしまうことを伝えた。何ということだろう、少しでも安いパキスタン製のフードを買い求めたのが間違いだったのだ。こんなことならハヤブサの頭の形をした型で作られた1mm刻みの米国製のフードを1つ5000円で買っておくべきだった、わたしは落胆し、安物買いの銭失いを深く後悔した。フードがないままハヤブサの調教を始めるだなんて、鞍なしで馬を乗りこなそうとするようなものだ。ハヤブサがフード嫌いになった原因のスエード製の輸送用簡易フードの表面に目の形をしたシミが2つ広がっていく。わたしは何とも形容しがたい不安に包まれていた。
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