「反AI学習」論的な感じのやーつ
イラストAI批判の文脈で「俺は"違法な学習方法"に反対であって、新技術に反対しているラッダイトじゃないんだ!」的な話が出てきつつある。
流石にAI技術そのものを批判して、最後行き詰まって心中してしまうって自体は避けたいようだ。
しかしこの問題、二つの点でもやっとするので軽く整理する。
そもそも論、AIの学習と人間の学習は別のモノなのか? と言う話。
前提として、AIを自動トレパク装置だと思っている話に対する反論だが、例えばStable Diffusionはスタンドアロンでも動くのだが、Stable Diffusion自体は12GB程度しかない。
ほぼ無限に画像を生成する装置が、イラストの「部品」を用意して組み合わせるとしたら、どんな巧妙な可逆な画像圧縮が出来るんだと言う話だ。
パソコンを少し囓れば分かる事だが、データの可逆圧縮は理論上の限界があり12GBがまるまる画像だとしても、自ずと限界があると言うのがわかる。
なのでAIの学習とはそれをコピーする方法ではないということである。
画像自体のコピーでなければ、学習自体は著作権法で訴えられないよねというのが、例の「やっかいな法律」の趣旨である訳だ。
勿論、具体的に誰かイラストレーターが特定できる画風でイラスト生成をして、そのイラストレーターの仕事を奪うようなムーブや、そのイラストレーターと錯誤させるようなムーブをしたら、多分面倒くさい裁判をすることになる。
具体的に判例はないし、あくまでもイラストレーター寄りの判決が下ると仮定すれば、意匠権か不正競争防止法辺りで決着が付くだろう。
任天堂が訴えたゴーカートレンタルサービスの「マリカー」に関して、「マリカー」と言う言葉が任天堂のサービスと錯誤されたと言う証拠に、Twitterの投稿が利用された事もある。
なので、そう言う意味で「画風を盗んだ」はあり得る話ではある。
しかし、この問題「ありふれた画風」と認定されれば裁判では確実に負ける。この点では、作家性と言うモノを如何にして発揮するかと言う、創作論に入って行くので深入りはしないが、意匠権や形態模倣で攻略しようとすれば、第三者が見て同じと判断できることを証明したり、他に同じようなものを提示されないなど苦しい戦いをすることになる。
他には、意図して全く同じ画像を出力したとか、自分の絵をI2Iで利用したともなればそれは著作権で訴えられるに違いないが、それはもはや「学習」の問題ではない。
自分の画像が学習されたということを武器に戦うのは難しそうである。
(特定のイラストレーターが狙い撃ちされるでもない限り)自分の絵が学習されたというのを証明するには、AI出力物に自分の意匠が含まれていることを証明する必要があるが、多くの場合はそれが困難である。
それでも学習元のライブラリに自分のイラストが含まれているという反論は出来るかもしれないが、ではAIはその絵を本当に参考にしたのか? と言う話になる。
先に言うが、AIの本体はたかだが12GBである。絵柄というものがどれほど含まれているのだろうか? その中に自分の絵が無視できないぐらい――例えば引用とは言えないレベルで含まれているというのは如何にして証明できるだろうか?
そして結局立ち返るのは、人間とAIと学習方法に何の違いがあるのかと言う話になる。
人間だって学習する方法は分かっていても、その内部で具体的に如何なるプロセスを経ているのか詳細は明らかではない。AIもかなり近い状況で、何がそうさせたのかを理屈立てて説明することは出来ない。
明らかでないものを明らかに違うという事は出来ない。
AIはコンピューターで人間とは違うと言うかも知れないが、それを出力物から判断出来ない時代が来たとき、その言い訳はいつまで出来るだろう?
それはLEDより電球と言い、電球よりランプと言い、ランプよりも蝋燭や灯籠が良かったのだと言うのと本質的に変らない。
その光が何由来であるか人間が判断出来なければ、本質的に同じモノである。その過程をとやかく言う法律は恐らくない。
勿論、「人間の手で描きました」と言って、AIのイラストを販売したらそれは詐欺だろうが、それは前提で嘘を吐く必要があるかどうかだ。
そして、ここでは学習が人間とAIで本質的に違うことの証明が求められていて、その判断が出力物に寄るのであれば、それは早晩難しくなる。
そうでなければ、コンピューター科学と大脳生理学に精通する必要があるだろう。
もっと別な仮定を考えよう。
人間の姿を模して、コンピューターも人間のニューロンを模した構造として生まれたアンドロイドが現れたとする。
そのアンドロイドが美術館に行き、ミロやカラヴァッジオ、ユトリロや岡本太郎、ダヴィンチにデュシャンに影響を受けたとしよう。
その結果、何か絵を描いて、それはAI学習だから無効だと言えるだろうか? 彼はコンピュータとして生まれたから権利を制限されて然るべきと言う結論でよいのだろうか?
法律論は兎も角、学習に関する印象は違うかも知れない。
じゃぁ、その学習元が既に著作権を失った画家だったら許されるのかや、学習元が数えられるレベルの数だから許されるのかと言う話になったとき、どうやってその合理性を証明できるのだろうか? そのアンドロイドは偶然街中で見掛けたイラストを学習するかも知れないし、貴方の絵を意図せず見るかも知れない。
そして、貴方だってそれと全く同じプロセスを経ていないとは言えない。
そこまでの解像度を持ってAI学習は不当だと言えるのかどうかはかなり疑問である。
議論しているエントリーがあったら教えて欲しい。(嫌みではなく純粋に読みたい)
そもそも論、なんでイラストAIの学習だけが議論になっているのだろうか?
我々(絵を描かない人達)の普段しているツイートやブログ、学術論文を学習していると言うのに、ChatGPTについて同じ熱量で噛みついただろうか? 他にも小説系AIや翻訳AI、もっと言えば画像処理AIやイラストを3Dにしたり短い動画にするAIについては言及がないのだろうか?
イラストの学習は許されないが、他の創作物について学習は許されるのだと言う見識なら、何故他とイラストが質的に異なるのか説明して欲しい。
確かに、普段のツイートやブログ記事を学習されるのをよしとしない人もいるだろう。そう言う意味でAIに勝手に学習されることを包括的に許せないと言う人は道理が通っている。
そんな人はDeepL(等の翻訳ソフト)やChatCPTやsiri(等のAI応答システム)はおろか、Adobe製品などの高度な画像処理ソフト、TikTokやTwitter向けの画像や映像処理サービス、Google等の大量のデータをAIによって処理しているシステムを利用していないだろう。
無自覚にそれを利用しているのなら、今すぐにそれを理解する努力が必要だ。
自分が詳しくもない分野を、狭い知識で判断して批判すべきではない。
最近、住所の正規化なんてExcel使えば2時間で出来ると言った人が居る。
地名に漢数字や丁や番が付く地名、ハイフンに類する文字の種類の多さ、突然の「の」やスペースの登場、マンション名、大字小字の特殊事例、京都の「上ル」等の特殊事例、旧住所と現行住所の修正、同じ漢字で読みの違う別の地名の判断。
住所関連に触れたことがあればそれが魔境である事が分かる。そしてそれが大してお金にならない事も。
風力発電について議論するならば、絶滅危惧種の大型猛禽類が沢山犠牲になってることや、近頃のトレンドは高さ200mほどになること、地熱発電に関して言えば掘った井戸は三年で塞がるし、万が一近隣の温泉地に影響が出たときの補償の問題があること、"汚染水"に関して近隣各国が日本よりも沢山のトリチウムを放出していることや、普通の水道水やミネラルウォーターにもトリチウムが含まれていること。
無理筋の議論をする人はみんなそう言う都合の悪い知識を無視するか軽視する。
大丈夫か? そう言う連中と同じ人間になっていいのか?
批判がいけないと言う話ではない。批判するなら問題をきっちり理解してくれ。理論武装してくれ。それだけだ。
自分に不都合な証拠が出てきたときにブロックして「失礼なヤツだ」と議論を閉ざすこと。
嘘の根拠を持ち出したり、嘘のAI絵師の暴言を生成したり。
君たちがアニメ調のイラストを描いているとすれば、そういう事をする連中がどんな連中だったか分かるだろ? なぁ、お前もそう言う人間のお仲間になりたいのか?
ああ言う連中と同じ種類の人間だと言われて何も思わないのか?
私が心配し、今後注視するのはこれだ。
AdobeがAI使った便利機能を公開した。
君たちは批判したか? 使わないようにしたか?
私はコレについて、予言というか予想をした。
その通りになった。
済まない。君たちは予想されうる程度の行動しかしてないんだ。
自分がAIではなく、人間だというなら、もっとクリエイティブになろう。それぐらいしか君がAIに勝てる道はないのだから。