生産的な趣味と中年の危機

「オタクが子供も作らず、消費的趣味だけで人生回していると、途中で詰んで人生消化試合になるぞ」

 って話、この頃やったら見かける。
 ゲームする体力がないとか、最近の作品が面白くないとか。

 ぶっちゃけ大人になるとは、自分は一端の何者かになることではなくて、自分が何者にもなれない事に気付くことだ。
 それが出来ずに藻掻いている限り、モラトリアムは終わらない。
 みんないい加減いい歳なんだから気付いてくれ!

 そういう人が生産的な趣味を指して、「承認欲求を満たせる」だなんて言ってしまうのだ。

 他の人がどうかは知らないが、生産的趣味は生産的な事が楽しいからやってるだけだ。
 俺の小説のPV見たら、俺がこんなにも(承認欲求を満たせない)小説投げ続けつる理由が分からなくなるだろうと。

 勿論、承認欲求の強い人も多いし、それでつよつよになれるならいくらでも頑張ればいいが、しかし、そう言うのは、一歩間違えるとデマや炎上芸を使うようになるぞ?

 人生万事言えることだが、金だの義務だのという制限がないなら、好きなことをやればいいのだ。
 重要なのは、幅広く興味を持って、沢山の好きなものを作ると言うことなのだ。

 年寄りでも感性が高い人間はいるし、若くても枯れ果てた人間もいる。
 それは生産的とか消費的ではなく、受動的か能動的かの問題ではないだろうか?

 結局何が言いたいかというと、俺の小説を読んでくれ!

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