【全年齢版】TSしたら息子の視線がやたら熱っぽい件

 不幸にもTSしてしまった父親がなんだかんだで息子と仲良くなる話。


 そもそも息子とは上手く行っていない。
 妻は息子が二十歳を迎える前に亡くなった。それから息子とは満足に口を利いていない。

 自分が仕事人間で、家族のことを顧みなかったと言う典型的なダメ親父故、息子とどう接したら良いか分からない。
 完全に俺が悪いのだが、しかし、仕事が忙しいからそれを改善させるような時間的余裕がない。
 結局、俺も息子も家には寝に帰るような生活を続けている。

 俺は趣味のない男だから休日、ふと一人になると不安で仕方なくなる。
 今までは家庭があり、曲がりなりにも上手くやっていたつもりだったけれど、そんなものは全て幻想だったのだろう。

 息子は所謂オタクなのだと思う。
 高校生の頃も大学に入った今も彼女らしい存在がいたようには思えないし、友達と遊ぶと言っても出掛けるのは色気のない場所だ。
 まさか"そう言う気"があるのでは? と思ってしまうほどだ。
 こんな風に思っているから、余計に息子に避けられているのかも知れない。

 会話しようという努力はしたが、話が続かない。
「最近どうなんだ?」
 と言うのはかなり空虚な結果となって終わった。
 切っ掛けを知ろうとしても息子の趣味が一切分からないから、無理矢理話を作ったところで続かない。
 むしろそれが原因で避けられるようになったのかもしれない。

 幸いなことと言えば、息子が悪い遊びを覚えていなさそうと言う事ぐらいか。
 同級生と飲み会があっても、夜のうちにきちんと帰ってくる。
 男なんだから少しぐらいはアホなことをしてもいいとは思うが、無茶苦茶なことをするよりはずっといいだろう。

 妻の一周忌が終わり、息子と二人家に帰る。
 寺と家は電車で一駅分。ちょっとしたお出かけ程度だ。
 真夏の日差しは午前中から強くて、お互い汗を拭いながら駅前を歩く。自然、黙りこくる。

 ギラギラと輝く太陽が突然暗く感じた。
 急な動悸を覚え、その場でしゃがみ込む。
 胸の痛みと頭痛に襲われ、そのまま俺は意識を失った。

 妻の遠い声が聞こえる気がする。
 このまま俺は死んでしまうのだろうか?

 気付いたら病院にいた。
 なんだか身体が軽かった。
 長年苦しんできた肩こりとか胃の不快感が全くなくて、全て完璧に快調だ。
 息子は目を覚ました俺を目にして、医者を呼びに部屋を出た。

 病室は個室だったので、誰に声を掛けるもない。
 なんとなく身体が小さく細い気がする。
 布団から手を出してみると、それは明らかに女の手であった。
「えっ!?」
 驚いて声を出せば、それは割と可愛い系の女の声であった。

 それから病室にやってきた医師にあれこれ説明を受ける。
 急性性別再割り当て症候群(SRS)と呼ばれる病気で、原因も治療法も不明だ。
 症例が少ないが、国の相談窓口があるらしい。

 色々書かれたパンフレットだの書類だのを貰うと、その日のうちに退院になり、その日から"この身体"と付き合う事となった。
「隼人、色々済まなかったな」
「お、おう」
 息子はどうにも目を合わせづらそうだった。

 俺の身体は高校生か、或いはもう少し幼いぐらいに見えた。
 小柄で細身で髪の長い女の子で、大人しそうな雰囲気がある。
 自分の事ながら見つめると照れるのは分からないではない。
 はっきり言ってしまえば、美形でアイドルよりはモデルに近い顔立ちである。

 役所に行く前に、自分の名前を決めなければならない。
 息子に相談するも「そんなもん自分で考えろよ」と言われるし、悩んだ結果、隼人が生まれてくる時に「もし女だったら」と決めていた名前にした。
 陽夏と書いてヒナと読む。見た目からは想像できそうにない活発な名前だが、この夏の一日が新たな誕生の日とするなら、それも悪くない。

 会社の方は落ち着くまで休暇でよいと言われているが、色々と仕事のことが心配だ。
 だが、役所の手続きは複雑で、一ヶ所で丸一日かかる手続きを、市役所、裁判所、県庁行って、また市役所に戻ってくるみたいな事をしなくちゃいけなかった。
 服を買ったり、経過観測の診察もあるので、結果として一週間ほどお休みを貰う必要があったのだ。

 手続き自体は不快ではないが、SRSだと言う話をするとき、皆一応にそこはかとない嫌悪感を見せる。それは終始そう言う顔をする人もいれば、一瞬だけの人もいる。いずれにせよ、嫌な顔を見せない人は例外的であった。

 中身がおじさんの少女という存在は、やはり危険に思えるだろう。
 それこそこの姿で女風呂にでも入れば、男の眼差しで女性の体を拝むことになる。
 権利的には女性と認定されるけれど、それは単にその場でそれを判断することが出来ないと言う理由だけだ。
 法の運用効率が女性の不快感を制圧したと言える。

 俺自身はそんな事をしたいとは思わないが、他人からはそんな事は知ったことがない。出来るものは発生する蓋然性があるのだ。

 そうであるならば、この俺が法では裁けないタイプの犯罪者の予備軍と見られるのは仕方がないのかも知れない。
 SRS患者は少ないから、「そのように見られない平等」を声高に叫んだところで、ノイジーマイノリティなのだから。

 金曜日の用事を片付けていたら、部下から大変な事になったと言う連絡が入った。
 それは取引先の工場が、品質問題を起こしたと言う連絡だった。
 俺が勤めているのは飲食店のチェーンを展開している会社だ。セントラルキッチン方式なので、二つの自社工場で作った加工食品を店に送り込んでいたのだ。
 そして最近、他の地域での展開を始めた。
 展開は慎重にしている。なので自社工場を建てる判断が付かない。それ故、協力会社の工場で材料加工をお願いしていたのだ。
 だが、そこで食中毒が発生した。

 俺はこの会社を視察に行った時、衛生面で不安を覚えたので、あそこは使わないようにと強く進言していた。
 だが、部長権限で決裁が下りて、あの会社の工場が決まったのだ。

 当然、その時展開した七店舗と問題の工場に保健所の立ち入り検査が入り、それは大きく報道されることになった。
 週末のうちに動きがあったので、俺も出社すべきかと思ったが、「課長はそんな姿ですので、マスコミの格好の餌食ですよ!」と言われて思いとどまった。

 月曜、社長が会社の近くのホテルで会わないかと言ってきた。
 未だにマスコミが来たり来なかったりしてるそうで、俺の姿は目立ちそうだと言うのだ。
 ホテルのロビーで待っていると、社長と専務、常務、人事部部長から課長までやってきた。
 話によると、俺が責任を被ってくれないかと言う事だった。
 どう考えても悪いのは部長だが、他の面々がそれを口に出すことはない。
 全員その事は分かっている筈だが、「原因究明をすると会社が潰れるから」と言うあやふやな言い方だった。

 あの部長、実のところ結構実務能力が怪しげな人間で、俺はその部長の代わりに色々仕事していた所もある。
 何故こんな人間が部長になっているかと言えば、会社の取引している地銀のエライさんの三男だからだ。所謂人質と言う奴なのだ。
 ついで言えば、会長の二女、つまり社長の妹の夫でもある。
 この人間の責任を問う事は出来ない。
 仮にそんなことをすれば、課長がNGを出したところを覆したのは、一体何だったと言う事になる。
 ここを本気で突いたら、背任だの贈収賄だのともっと大変な事になるだろう。

 面々は「君がこの姿でもきちんと働いて貰うつもりだったが、申し訳ない」と何度も頭を下げつつも、「対外的にその姿は難しい」と言う事も何度も言っていた。やはり、後者の方が本音なんだろうなと思わざるを得ない。

 何にしても、退職金はきちんと貰えるらしい。そこに早期退職の加算金が増えるそうなので、暫くは静かにしていられそうだった。
 俺は何もかもが面倒くさくなったので、彼等の言い分を飲む事にした。
 長年働いてきた会社の仕打ちがこんなものかとつまらなくなったのだ。

 会社に対する気持ちは完全に醒めたので、"二度と自分に関わらない、追加の責任追及しない"と言う念書を書かせた。
 社員も社長印もしっかり入っている。
「二度と会うことはないでしょう」

 俺は真っ直ぐ家に帰ることにした。
「疲れた」
 慣れない女性用のスーツも放りだして、布団に突っ伏した。

 目が覚めたら日が暮れていた。
 昼メシも食っていなかったし、流石に腹が減った。
 その時、息子が帰って来た。

「今日、会社を辞めてきた。
 メシでも食いに行こう」

 息子はギョッとしつつも「近くなら」と言う。
 少しは豪勢なものでも食いたい気分だったが、息子は「そんなもん、ファミレスでいいよ」と言う。
 社割が使えるから、割と自分のところのチェーンへと出掛ける事が多かったのだ。

 俺は一瞬憎悪感を覚え、「酒とかどうか?」と言うと、「その格好で酒飲んだらヤバイだろ」と言われる。
 一応、成人している証明みたいなものは発行して貰ったのだが、それでも世間体を気にするらしい。
 結局、回転寿司屋で食べる事にした。

 いの一番、「なんで仕事辞めたんだよ」と言われ、「会社には色々あるんだ。何事も辞め時があるんだよ」と笑うと、「これからどうするんだよ」と責めるような口調で尋ねる。
 退職金があるから暫く大丈夫だし、少なくともそれで息子の学費は払える。
 その間に真面目に仕事を探せば、息子の卒業後、一人暮らしを続けるぐらいは出来るだろうと考えている。
 そう言う話をして、「仕事って見つかる?」と言われる。
 これでも地方の中堅企業で課長をやってきた人間だ。何処かしら拾ってくれるだろう。
「そんなに簡単にいく?」
 息子は怪訝そうだった。
 終始、視線を外し目に話している。

「もし……そうなら、もう少し化粧とか身なりをしっかりした方がいいよ……」
 息子はぼそぼそとそう言うと、目を回転寿司のレーンへと向けた。

 化粧……確かにすっぴんの女が会社に来たらみんな嫌がるな。
 鏡を見れば肌の調子は良いし綺麗だ。顔も可愛いのは分かる。
 だが、それでも化粧をしない女と言うのは、何か見てはいけないものを見た気にさせる――そう言う事をうっかり言えばセクハラで怒られるに違いないが。

 しかし、化粧って何処で教えて貰えばいいのだろうか?
 軽くネットで検索すれば、知らない単語が大量に出てくるし、買いそろえなくちゃならないモノが山ほど出てくる。
 メイクレッスンのお店も見つけたが、一回数万円だとか言う。
 化粧に一体いくら金を掛ける必要があるのだろうか?

 翌朝、息子は一コマ目から授業があるとかでさっさと出掛けてしまう。
 朝から突然暇になった。
 どうすれば良いのだろうか? ふと思えば、今まで仕事ばかりだった。
 この姿になってからもアレコレ忙しかったけど、今、この時点から永遠に暇な時間となってしまった。

 何処かに出掛けなければ。
 このまま家にいれば、それこそ行き詰まった老人のようになってしまう。
 でも何処へ行けばいいのだろう?

 俺は趣味らしい趣味はなかった。
 付き合いのゴルフはしていたが、それを今更してみたいと言う気は起きない。
 カラオケももう何年も行っていない。
 会社の飲み会で二次会に付き合う課長なんて嫌だろう。
 サウナに行くのは好きだが、どこもかしこも男専用ばかりだ――女性用に行けばただの覗きと何も変わらない。

 じゃぁ、ナンだろう? この姿で出来る趣味って?
 一番良いのは、この姿と同じぐらいの女の子に聞く事だが、生憎そんな知り合いはいない。
 話を聞いてくれそうな女の子がいる店か……そう言えば駅前にメイド喫茶があったなぁ。男向けの店だろうけど、女の身体で行っていいのだろうか?

 悩みつつも、他にそんなアテはないし、よく分からない店に行ってそこの店のモノを何万円も出して買う気にもならなかった。
 そういう訳で、メイド喫茶――最近はコンカフェと言うのか――喫茶アリスの家の扉を開けた。

 駅前は小さな商店街と、地元スーパー、飲み屋の並ぶちょっとした横町と言ったところだから、メイド喫茶……じゃなくてコンカフェはやや異質な存在ではあった。
 扉を開けると、雑談していただろうメイド(?)二人が俺に気付き、「お帰りなさいませお嬢様!」と声を掛けた。
 十一時半開店の十一時四十五分入店だった。
 他に客はいなくて酷く暇そうだった。

「当店のご利用は初めてですか?」
 素直に「はい」と答えると、すらすらと説明する。
「当店、チャージ二千円のワンドリンク制になります! メニューはこちらになります」
 しっかりした装丁のメニューが渡される。
 レギュラーコーヒー、アメリカン、ダージリン、アッサム、ウバ、キーマン、オレンジジュース、コカコーラ、ハイネケン、カナディアンクラブと幾つかのオーソドックスなカクテルが用意されていた。
 食事のメニューはケーキ、スコーン、今日のパスタのみ。

 昼も近いので、俺はレギュラーコーヒーとパスタを頼んだ。
 注文を聞きに来た店員は一旦引っ込み、奥でもう一人と幾らか話したあと戻ってきた。
「お客さん、初めての顔だね? この辺の子?」
 その子は、二十五歳ぐらいの女の子で、雑に俺が持つメイド喫茶のイメージよりか、年嵩があるように思えた。
「そ……その……」

 おっさんと言う種族は、こういうところで無駄に格好を付けたがる。
 俺が若い頃――パソコンが世の中に出回り始めた時期だ。
 その頃、家電屋のパソコン売り場でバイトをしていた。
 そこに訪れるおっさんは誰も彼も訳知り顔で、「Windowsは売れているかい?」とか「息子に丁度良い分かりやすいパソコンが必要なんだが」とか言うのだ。
 自分が必要で買いに来ているのに何かと「自分の事ではないが」と言う話をする。
 そして自分が理解できないと癇癪を起こす人間まで出てくる。

 今、自分はそのダサいおっさん連中の側に立たされていた。
 マズい。このまま変な話をして誤魔化していてはダメだ!

 自分は必死な思いで自分の事を語った。
 突然こんな姿になって、着るものもメイクの仕方も分からないのだと。
 さすがに中身がおっさんだと知るとその店員はギョッとした。
 あぁ、またか。
 だが、彼女はすぐに笑顔を取り戻すと、「メイクとかそう言うの教えてあげるから、ウチで働きなよ」と手を握った。

 その店員さんは奥の店員(店長?)の名前を呼んだ。
「フミカちゃーん! この子、雇おうよ!」
「えっ!? えぇ? ちょっと! ちょっと待って!」
 フミカと呼ばれた店員が顔を出した。
 お盆にはトマトとナスのパスタが乗っていた。

 店長のフミカは「ここ、給料安いけどいいの!?」と驚いている。
 別にするともしないとも言っていないが、副店長のキララが「えー、この子可愛いから絶対に必要だよ!」と言うのだ。
 店員二人とも二十後半というところで、十代半ばと言った風体の俺は、店にとっても大切なようだった。
 しかしそれにしても客のいない店だ。
「お給料っていうか……お店って大丈夫?」
 俺は急に心配になって尋ねる。

「大丈夫……多分大丈夫」
 フミカが苦笑いする。
 曰く二人とも漫画家らしいのだが、余りにも仕事に集中して身体を壊したらしい。
 今、漫画の方はリハビリ中とのことで、程ほどに店の仕事して、程ほどに漫画が出来れば幸せなのでは? と言う話だった。

 二人ともそこそこ名の知れた漫画家らしいのだけど、俺がそれを知らないと見ると「知らないままでいいから」と笑った。

 なし崩し的にここまで来てしまったが、しかしまだ就職活動する前からこんなところで決めてしまっていいのかと言う思いはある。
 俺は「じゃぁ……きちんとした仕事が見つかるまで」と答えた。

「それじゃぁ、店、閉めよっか?」
 二人ははあっさりと閉店の準備を始めた。
「えっ!? えっ!?」
 俺が驚いていると、「化粧品とか服とか色々必要でしょう? その……何と言うか野暮ったい服じゃダメだよ」と笑った。

 それから電車に乗って街に出掛ける。
 その間に、色んな事を尋問される。
 自分に息子がいることとか、会社のトラブルの話とか。
「そっか! じゃぁ、そう言う事を全部忘れちゃいましょう!」

 買い物行脚はドラッグストアから始まり、様々なものが買い物かごに放り込まれていく。
 「うーん、陽夏ちゃん色白だからなぁ」とか、「まだ肌が若いから」とか、二人は勝手に相談し、勝手に商品を決めていく。

 ドラッグストアで揃わないものは、パウダールームのあるコスメ用品のお店で揃える。
 そして俺はそこで二人にメイクされた。
 はっきり言って、何が何だかだ。
 兎に角、アレコレ塗られていく。

 しかし、着実に肌の雰囲気、顔の様子が変わってくる。
「ほーら、可愛い!」
 メイクが完成すると二人がキャッキャしている。
 確かに鏡の中の自分は可愛く、そして美人だ。
 そこそこはかなげで、男の心をぐっと掴みそうな顔だった。

 その後は服を次々に選んでいく。
「貴方はこういうファッションが絶対に似合うから!」
「ダサいより可愛い方が絶対にいいでしょ?」
 そんな風に強く押されつつ、どんどん買い物が進んでいった。
 仕舞いに更衣室の中にまで乗り込んで俺の着替えをやっていく。

「えっ!? トランクスなんて履いているの!? ダメだよ!」
「ほら、下着もきちんと着替えて!」
 女の前で裸を曝すなんて恥ずかしさの極みであるが、言われるがままに着替えるしかなかった。

「いいねぇ。これでみんな納得する!」
 誰が納得するんだと思ったのだが、行きと帰りでは明らかに人の視線が違うのに気付く。
 こんなにも注目されるものなのか……

 そうしてお店に戻ってくる。
「もう、これでキミはお店の従業員だからねぇ」
 店で"試着"と称してメイド服――正確に言えばエプロンドレスを着せられる。
 それから散々写真を撮られて二人はにっこにこになっていた。
「お店開くよ!」
 試着じゃなかったのかよと突っ込みたくなったが、黙っておいた。

 それにしても、こうも簡単に開いたり閉じたりしていいのかと思ったし、研修もなにもなくていいのかと思ったが、兎に角営業開始となった。
 これでも飲食業界にいたからなんとかなるか。

 開店して暫くすると、一人二人と来店者がいた。
 しかしノリが所謂メイド喫茶のソレではなく、どちらかと言えばスナックみたいな雰囲気である。
「昨日ぶりだね」
「あれ? 火曜日に来るの珍しいね」
「腰やっちゃったんだっけ? 大丈夫?」
 来る客もオタクっぽい男子と言うよりおっさん連中だった。

 夜営業はメニューが変わり、焼酎だのレモンハイだのも追加される。
 おつまみはナッツや柿の種、業務用のマカロニサラダや冷凍の枝豆やフライドポテト、店で作るのは厚焼き玉子や砂肝炒め、ブタキムチとか言うメイド喫茶的なものの一切ないスタイルだった。

 常連客一人一人に紹介され、頭を下げていく。
 全体的に見ていくと、とても洗練された営業とは思えなかった。
 先に言ったようにこれはちょっとお洒落でカラオケのないスナックだなと思った。

 俺はなるべく中身がおっさんだとバレないように、適当に話を流していく。
 他の客は「エラく美人さんじゃないか」と褒める程度で、そんなにセクハラじみた事を言うことはなかった。
 こういう店だから、そう言う男の汚さに溢れていると勝手に思い込んでいたフシがあった。
 客の数は多くもなく、少なくもなく……三人で営業するにはやや物足りないと言う雰囲気ではある。
 ただ、彼女達は別の収入源がある訳で、それをアテにしていないのは明白だった。
 俗に家賃収入の味のするとか、年金の味がするとか言われる店があるが、印税の味がする店と言うのはそう多くないだろう。

 息子には遅くなると伝えたら、息子も息子で遊んでから帰ると言っていた。
 閉店時間は少し早めの九時。
 二人は医者から十一時には寝ろと言われているからだ。店から歩いて五分のマンション暮らしらしい。

 メイクの仕方をイマイチ覚えていないので、明日の朝は自分たちの部屋に来てくれと言われた。
 面倒くさいなと思いつつも、メイクをきちんと覚えるのは就職活動の一つだなと考えることにした。

 店を出て駅前の方まで出てくる。
 その時、ちょうど息子の姿を見掛ける。
「おーい!」
 息子は自分の事とは思っていないのだろう、完全に気付かず歩いて行く。
「おい! 隼人!」
 流石に名前を呼ばれて気付いたようだ。
 振り返り様に驚く顔が面白かった。
「おっ! おや……」
 息子は親父と言いかけて言葉を飲み込んだ。
「ちょうどのタイミングだな」
 俺が笑うと「お、おう……」と目を逸らした。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「何もないよ」

 家に帰って来て風呂に入ることにした。
 言われたとおりに洗顔料で顔を洗う。
「おや……じ……先に入りなよ」
 お言葉に甘えて風呂に入る。
 しげしげと身体を眺める。

 今までの風呂は何かと苦痛だった。
 自分の身体がこんな風になってしまったと思わされるのは何かとしんどい。
 SRSに対しては「綺麗な身体になれたんだからいいだろう」と言う世間の声が聞こえてくるが、そうは言えども自分の身体、自分の顔には愛着がある。
 自分の事をそんなに美男子だと思った訳でもないし、身体の慢性的な不調はあちこちにあった。だからそれがリセットされたのは確かにいいことかも知れない。
 だが、これからずっとこの身体で暮らしていかなければと考えると、自分の顔、自分の身体と言うのは、それ自体が不快じゃないにしても不快な未来を連想させるのだ。

 役所巡りの時に見えた不快な表情は、それを確実に教えてくれるものではある。
 それでも俺自身は仕事が出来る人間だと思っているし、仕事のスキルがあればなんとでもなると思っている。
 しかし、あの回転寿司屋で息子の言った「上手くいくか?」と言う問いかけは妙に頭に残っていた。

 膨らみかけの胸、細いウェスト、厚みのあるお尻。
 身体的特徴を今になって点検している。
 それを恐れて今日までシャワーで適当に済ませていたからだ。
 でも今日は風呂が沸いている。
 ゆっくりと湯船に浸かって色々考える。
 先ずはメイクを覚えて……見た目に違和感を感じない程度の身のこなしと言葉遣いを身に付けて……どれぐらい店に通えば手に入るだろうか?

 これもあの二人に教えて貰ったとおりにスキンケアをする。
 女はこんなに面倒くさいのか……
 ふと思いつつも、取り敢えず下着を着る。

「隼人、出たぞ」
 リビングでビールを飲みながら寛いでいた息子に声を掛ける。
 振り返った息子はビールを噴き出し、「馬鹿! 服を着ろ!」と慌ててそっぽを向いた。
「今まで俺の裸なんて気にしなかっただろ」
「うるさい!」

 翌朝も倅の出発は早かった。
「多分、昨日と同じ時間になるから」
 そう言って、自分も身支度をする。
 沢山の服と化粧品は一度に持ち帰れないので、店に置きっぱなしだ。
 数日掛けて持ち帰らないと。

 差し当たりは二人の漫画家の暮らす部屋だ。
 少し前に建ったタワマンの一室だ。
 漫画家も忙しい人になるとこんな部屋に暮らせるのか。
 部屋にはフィギュアやポスターなどが貼ってある。
 そう言えば息子の部屋で似たようなものを見た気がする――まぁ俺からしたらアニメなんてみんな似たようなモノだが。

 そこであれこれとメイクレッスンが始まる。
 勿論、朝の忙しい時間だ、そんなに悠長にはやっていないが、彼女達は俺が望むのなら何度でもやってあげると言っていた。

「なんでそんなに親切にしてくれるんですか?」
「漫画家の性かな? 何と言うか、面白いじゃない? SRSの人なんて積極的に逢える機会なんてないし」
 そう言われればそうだが、それは自分が無料の取材対象と言っているようなものだ。
 別に不快ではないが複雑な気持ちにはなる。

 何にしてもこのメイクを自分でやる必要があるのだから真剣に話を聞く。
 流石に漫画家だけあって、眉毛を描くのが上手い……気がする。
 メイクが完成すれば昨日の通り、ずっと可愛い顔になっている。

「プラモデルとか作った事ある?」
 出し抜けにキララさんが尋ねてきた。
「ガキ……子供の頃なら……」
「アレみたいなものだよ。綺麗に仕上がると嬉しいでしょう?」
 そういうものなのだろうか?
「貴方、いい造形してるんだから、大切にしなさいね」
 フミカさんが背中を叩いた。

 その日は平穏に一日が過ぎていく。
「女の子ならさ……」
 これは二人の口癖になるぐらいに、色々な事を訂正されたけど。
「陽夏ちゃん、自分の可愛さにもう少し気付きなさい」
 そんなことも言われた。

 確かに店では可愛い、美人と言われまくっているが、どうにも自分自身のことを言われていると言う感覚にはならなかった。
 確かに可愛いのだけど、それを自分の事として受け取るのがむずがゆいと言うのもある。
 二人の漫画家はそんな"私"の心理を見透かしているように「自分の可愛さに気付いたらバケるかもね」と笑っていた。

 家に帰ると息子は帰っていた。
「メシと風呂は先に済ませた」
 そう言って部屋に戻ろうとする。
「なぁ隼人……お……私って可愛いか?」
 息子は顔を真っ赤にして、「そんなこと聞くなよ!」と怒りだした。
「そうか……」
 私は静かに立ち去ろうとすると「ちがっ! そうじゃなくて!」と叫んだ。
「どういうことだよ?」
「そ……その……違う……そういうのじゃなくてさ」
 今ひとつ要領を得ない。
「隼人、大丈夫か?」
 私が近付くと、隼人は足をもつれさせてこちらに倒れてきた。

「あっ!」
 二人して大声を出してしまった。
 隼人と私の顔が至近距離に近付いた。
 息子は口を広げ、目をまん丸にして固まった。
 その時間は長かったのか短かったのか、自分でもよく分からない。
 息子は跳ね起きて「やっ! やめろよ!」と言って部屋に戻っていった。

 どうにも息子の様子がおかしいが、どうにも話をするのが難しい。
 翌日も、また翌日も顔を碌々見ないようにしているのだ。
 今日もすぐに部屋に逃げ込んだので、息子の部屋の前で問いかける。

「隼人……気になる事があったら言ってくれ。こんな姿になったし、仕事も変わったから色々と迷惑を掛けていると思う。
 だから気に入らない事があったら言ってくれ。
 私はいい父親じゃなかったし、今更父親顔をしても仕方ないと思うけど」

 暫く沈黙の時間が続いた。
 そして私が諦めて立ち去ろうとしたら、「別に何も悪くない。気にしなくていい」と言うぶっきらぼうな返事がやってきた。
「日曜日……今度の日曜日だけど、買い物に行かないか? お前の誕生日も近いし、何か買ってやりたいんだ」
 そう言うと、「いいよそんなの」と言う声の後、「考えておく」と追加の返事が来た。

 土曜日は息子は暇らしかった。
 ちょうどいい機会だ、私は初めて自分でメイクをしてみることにした。
 上手く行かないと思っていたものだが、そんなに悪い感じにはならなかった。
 息子に「綺麗に出来たか?」と尋ねると。
「あぁ……」
 とだけ返事が返ってきた。

 フミカとキララの二人は「よく出来てるじゃん」と褒めてくれて、「息子にも見せたんだ」と言うと、「照れてなかった?」と茶化された。
 私が「そうかも知れない」と言えば、「息子さんと上手く行ってるの?」と言われる。
「よく分からない。だから今度、息子と一緒に出かけようと思って」
 私がそう言うと「へぇ」としたり顔をしていた。

 その日は、何だかんだで息子のことでいじられた。
「○○ってゲームをやってるみたいなんだけど」
 とか、断片的な息子の情報をつなぎ合わせていく。
 新しい情報が入る度、二人は「ふーん」と言いつつ、何処となく嬉しそうだった。

「息子さんとのデート楽しんでね!」
 帰り際、二人はそんな風に笑って送り出した。
 デートってなんだよ……

 家に帰ると、息子はやっぱり部屋に引き籠もっている。
「隼人……明日どうする?」
 尋ねると「行くことにするよ」とだけ返事が返ってきた。
 時間を伝えると「うん」とあっさりした返事だ。
 まぁいいか。

 翌日は二人に選んで貰った"余所行きの服"を着ることにした。
 割とふりふりな服で一言で言えば可愛い系の服であった。ロリータと言えばいいのだろうか?
 メイクにも気合いを入れて臨んで、そして全てが完成すると、案外悪い見た目じゃなくて嬉しい。

「隼人、行くよ」
 息子が部屋から出てくると、急に顔を背けて「い……いいと思うよ」と答えた。

 街中へと買い物へ出掛ける。
 火曜日ぶりの電車。
 やはり人の視線が集まっているのに気付く。

 行き先は隼人が行きたいところでいいと言うと、オタク向けの店を何店舗か回る。
「あのさ……友達が絶対に一緒に行った方がいいって言っててさ」
 息子は話しにくそうに言いながら、少しずつ喋ってくれる。
 何のゲームの何と言うキャラが好きとか、そう言う話をしてくれる。
 何の事かは全然わからないけど、真剣に色々話してくれるのが嬉しかった。

 ファーストフードで昼食を済ませ、街中を歩いているとカメラを持った女性に声を掛けられる。
 彼女が言うには、自分は雑誌の記者で、街ゆくカップルに色々な取材をしているそうだ。
 息子が「カップルとかじゃなくて」と言うと、記者は「あぁ、兄弟とか!?」とニコニコしていた。
 息子の「そういうのでもなくって……」と言う言葉に、「私から見て、お似合いのカップルだと思いますよ! このまま付き合っちゃいましょうよ!」と言う。

「ほら、彼女さんももっとくっついて! 今日一番のベストカップルですよ!」
 確かに息子の顔は悪い方ではないけど、ベストカップルと言われると複雑だった。
 言い訳も出来ぬまま強引に取材を受けて、写真まで撮られてしまった。
 誕生日プレゼントとか、初めて一緒に買い物に出掛けるとか言う断片的な情報は、記者を勘違いさせるのに十分なのだ。

 取り敢えず息子お目当てのフィギュアを購入した。
 何処かで見た気がするけど、まぁこういう趣味のことは分からないからなぁ……

 何だかんだで晩飯まで一緒に遊び歩いた。
 こういう休日の過ごし方は結婚前の妻とのデートが最後だったなと思う。
 私は特になんともなしに妻の話を息子に聞かせた。
 そして、仕事一辺倒だった自分のことを謝った。

「そんなこと気にしてないから」
 息子は照れながら答える。
 そるから「さっきの取材のだけど……迷惑だよね? ああ言うの」と口早に昼過ぎの話を始めた。
 話題を変えたかったのかもしれない。
「そうだよな……そうだね」

 息子は照れつつも普通に話をしてくれたのは嬉しかったし、息子が案外社交性があることにも気づけた。
 家に帰ってしみじみとしてしまった。

 それから少しずつ息子は私の顔を見てくれるようになったし、私も自分の身体に馴染んでいく。
 お店の方も徐々に私目当てのお客さんも増えてきた――勿論変な意味ではない。
 別に自分の正体をばらした訳ではないが、妙におっさん臭い話題に乗っかってくれる変な子ぐらいには思われているのかもしれない。

 そういう訳で、徐々にこの身体での自信が付いてくる。
 だから私は就職活動も頑張れた。

 ただ、就職活動は色々な場面で上手く行かなかった。
 外食産業系は、私の関わった一件を警戒している。
 内情を知っている人も少なくないが、しかし社会的な目もあるので経歴的にアウトとなる。広く見えて狭い業界だ。少なくともこの地方にいる限り無理だろう。

 そんな訳で異業種にもアレコレアタックしてみる。だが見た目なこんな小娘だからナメて掛かられる。
 圧迫面接的な事や、セクハラなんかも散々受ける。
 そこまで行かないにしてもSRSの患者だと分かれば、興味本位でかなり失礼な事を聞いてくる人間もいる。

 徐々に正社員どころか普通の会社に就職するのが無理だと分かってきた。
 それは本当に大きなストレスになっていたが、それは全てお店での楽しい会話が吸収してくれた。
 二人の漫画家も親切にしてくれる。
 息子だって、偶には一緒に遊びにいってくれる。
 悪いことではない。

 SRSの再就職が厳しいというのは調べればすぐに分かった。
 最初は敬遠していた患者会にも登録してみると、私の状況は他の人達よりずっといい事も分かった。
 一家離散だの、生活保護だのは珍しくなかった。
 別に下を見て満足した訳ではないが、社会的にそう言うものだと思えば、就職で出来ないことを気に病むことはない。
 こういう状況に心を痛めたとて、誰かに何かを訴え出る訳にはいくまい。

 フミカさんとキララさんは、私と息子のことを心配してからあれこれ聞いてくれる。
 まぁまぁ上手く行っているのだという話をすれば、自分の息子の趣味を言い当てて、アレを買うと喜ぶ、ココに連れていくと喜ぶとアドバイスしてくれる。

 息子との仲は、二人のお陰でずっとよいものになっていた。
「隼人ぉ。そろそろ彼女とか出来たでしょ?」
 私が冗談半分に尋ねると、「そんな訳ないでしょう」と素っ気なく応えた。
「お前、そんなに悪い顔じゃないんだから、いい人が見つかるって」
 そう言うと、「陽夏さんがいるから無理だよ」と笑った。
 この頃は、"親父"とか"あんた"とか言わず名前で読んでくれるのだ。

「私が邪魔?」
「そうじゃなくってさ!」
 息子は顔を真っ赤にしている。
「俺って……そんなに大丈夫な顔?」
「大丈夫って言うか、むしろいい方だと思うけど。お前なんかよりずっと不細工な男が女連れて歩いてるだろう」
 私は素直に返事する。
 息子は、「そ……そう」と言うので、「もっと自信を持てよ! その顔なら気になる子の一人や二人いるんだろ?」と背中を叩いた。

 その時、風呂お給湯チャイムが鳴った。
「お風呂入ってくるよ」
 私がリビングを立ち去ろうとすると息子は「いるよ」と答えた。

「陽夏さん……陽夏ちゃんが好きだよ」
 息子は絞り出すように言う。
「よ、よせよ……私はお前の……」
 咄嗟に言葉が出たがその先は言えなかった。
「それ以上言うなよ!」
 息子は叫んだ。
 そして小さな声で続ける。
「SRSって遺伝子の構造が変わるんだって?」
 遺伝子の再構築がSRSの原因だ。
「そ……そうだけどさ」
「ならいいだろう?」
 振り向いた息子は覚悟を決めたような顔をしていた。
 こんな顔、全人生でなかなか拝めるものではない。
「よくない……と思うよ?」
 私は詰まりながら答えた。
「どうして?」
「どうしてって……」
 それ以上何も言えなかった。

「もう、こんなのいい加減終わりにしたいんだよ!」
 息子は私の顔を初めて見たときからずっと好みの顔だと思っていたのだ。
 そう言う事について、周囲の友達は割と真剣に話を聞いてくれたそうで、色んな事を調べてもくれたそうだ。
 肉親がSRS患者となった時、その子供が示す反応は拒絶か溺愛のどちらかだと言う。
 そして隼人は後者だったということか。

「少し考えさせてくれ」
 私はそう答えると風呂に入った。

 それから翌朝まで語る事はなかった。
 一晩考えて思えば息子は何も悪くない。
 勘違いさせた私が悪い。
 だけど、私なんかとくっつけば一生このままになりそうな怖さがあった。
 隼人にだって未来がある。こんな私なんかと一緒になって良い筈がない。

 翌朝にもそう言う話をしたが、「陽夏ちゃんはどうなんだよ?」と言われ、そして答えが出せぬまま出勤となった。

 お店で二人に相談すれば「素敵なことじゃない」としれっと言われた。
「そんな簡単な話じゃないですよ!」
 私が怒ると、フミカさんは「簡単な話でしょ? 好みの女の子が空から降ってきたらそりゃぁねぇ」と笑う。
「気に入らないかもしれないけど、周りがこんなに応援してるんだったら、やっぱりお似合いなんだと思うよ」
 キララさんも同じような事を言う。

「陽夏ちゃんがさ」
 フミカさんが真剣な顔をする。
「陽夏ちゃんが息子さんのこと、好きにならなかったら……それを漫画に描いていい?」
 "ならなかったら"と言うのはどうなんだろう?
「賭けみたいなものだよ。ならなかったら私達の気持ちが収らないでしょう。そういう時、クリエイターって人間はその願望が叶う話を描くものだよ」
 キララさんはそう言うと、「いやぁ楽しみだねぇ」と笑った。

 こんな煽られ方をして意識しない訳にはいかなかった。
 その日の昼過ぎ、見ない顔の来店があった。
 息子と同じぐらいの歳の大学生だ。
「この辺の人?」
 私がそう言う話をしてると、「いや、違うけど友達がこの辺でさ。待ち合わせしてるんだよ」と答えた。
 ちょうど暇な時間と言うのもあって、彼と色々な話をする。

 友達は気になる人がいて告白したが、はっきりした答えが返ってこないのだと言っていた。
 彼曰く、まだ会ったことがなかったけど、凄く可愛くて友達好みの顔なのだという。
 どうやらその友達の好きなゲームの好きなキャラクターに雰囲気が似ているとか何とか。
 その事に関して、そのキャラクターを描いた漫画家さんに直接質問をぶつけたらしい。
「何て答えたんですか?」
「全力で応援してやれって」
 しれっと答えたので、それで終わったのかと思った。
「それだけ?」
 私の返事に、彼は話を続けた。
「いや、その後も色々と相談に乗ってくれたんだよ。
 多分、忙しい人だと思うんだけど、こんな一人のファンに親切にしてくれるだなんて……気まぐれだと思うけど感謝してるんだ」
「君もその友達のこと応援してるんだ」
 私が微笑みかけると、「良い奴だからね。幸せになって欲しいから」と言う。

 暫く後に扉が開いた。
 彼は「来た」と言う。
 私が扉の方へと顔を向けると、そこに立っていたのは隼人だった。
「あ……」
 二人して言葉を失った。
 それから隼人は「か、可愛いよ」と答える。
「あ、ありがとう……お席へどうぞ」

 私が奥に引っ込むと二人が微笑みかけてきた。
「こういう事を友達に相談できるだなんて、素直でいい子じゃない?」
 例の漫画家とは二人のことだった。
 してやられたと言う気持ちよりも、息子のことで色々と手を回していた事に感謝するしかなかった。
「その……ありがとうございます……」
「それ、あの子に言うべきじゃない?」
 キララが笑うけど、私は「そう言うのは違うんじゃないの?」と答える。

「貴方があの子を評価するところがあるなら、それはもう愛情と言って差し支えないでしょう? 大体、貴方も自分の気持ちがそうだから迷ってるんじゃない? 今度は貴方が素直になる番だよ」
 こんなにも見透かされていたのかと思うとなんだか腹が立つ。
「隼人はきちんとした彼女を作って、結婚して子供を作らなくちゃいけないんだよ。私なんかじゃダメだよ!」
「貴方がその"きちんとした彼女"になればいいじゃない?」
 さらっと言われた言葉に、急に顔が熱くなる。
「素直になりなよ」
「違う! そういうのじゃない!」
 そう叫んで隼人の席の方を眺めると、胸の高鳴りを感じた。

 心の中で何度も何度も、そう言うのは違う、そう言うのはダメだと叫んだ。
 隼人から目を離せなくなる。
 頭の中がぐちゃぐちゃになって、どうしようもなくなっていく。

「ほら!」
 フミカさんが背中を叩いた。
 押し出されるように私は店内に出る。

「は、隼人……そ……その。
 もう親父だなんて呼ぶなよ」
 隼人は立ち上がって微笑む。
「よろしくね、陽夏ちゃん」
 どちらともなく抱きしめ合い、誰ともなく拍手が上がった。

 それで……後日、この様子が漫画になってSNSを賑わした。
「"好きにならなかったら"としか言ってなかったよね?」
 キララが笑う。
「隼人が怒ってたよ!」
「私の書き下ろしイラストを送ったんだからチャラだよ」

 世間は漫画の内容をフィクションだと思っているようだった。
 世の中で、あの二人の漫画家コンビがコンカフェをやっているだなんて知られていないから、まさか登場人物が本人とも思ってないだろう。

「それでさ、漫画の方が忙しくなったから、昼の間、ワンオペしてくれない? 業界人だったんでしょ? それぐらい出来るよね?」
「また無茶な……まぁいいけど。
 二人こそ身体壊さないでね」

 その後、私が三面六臂の活躍をして店が繁盛してしまった話はまたいつかしよう。
 色々あって、傾いた"あの会社"が、アリスの家多店舗展開をしようと持ちかけた時はどんな顔をしてやろうと思ったものだ。
 私は堅実に、そしてSRSの患者を雇って事業を広げようと思っている。



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