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キムチ・アキハバラとナラティブ
この話、面白かったので少しお話ししよう。
근데 생각해보면 할수록 블루 아카이브는 스파게티 웨스턴 장르와 놀랄만큼 흡사하다. 미국 서부개척시대의 스토리지만 감독,제작사 모두 이탈리아인 스파게티 웨스턴과, 일본 씹덕물의 스토리지만, 디렉터,제작사 모두 한국인인 이 장르는 김치 아키하바라가 맞다.
— 남캐프사 (@YSYXVIIIRoma) February 25, 2024
翻訳)
— 잉크/インク (@zpdldlfrkwl) February 26, 2024
「ブルーアーカイブは『非日本人が作る日本のサブカル物語』という性格上『イタリア人が作る西部開拓時代物語』のマカロニ・ウエスタンと酷似している」
「よって、ブルアカのジャンルはキムチ・アキハバラと言うのが妥当だろう」 https://t.co/A2IRdv7J2q
これ日本人の描くヨーロッパ――それこそ世界名作劇場辺りから(或いはもっと前から)こっち――にも言える事で、或いは異世界モノ(その起源を具体的に述べるとこっちがあっちだと喧々囂々となるが)でナーロッパと揶揄されるものも、スシ・ヨーロッパみたいなものである。
フリーレンに於いてエルフの描写が分からない人が居ると言うのは、恐らくナラティブの問題だろう。
長命種であり、耳が長い――作品が違えば弓矢を使うとか、高慢な性格だとか――と言う特徴を、特に説明もなく共有できている。
教養とは権威化されたオタク知識と定義される――なんて話を耳にするが、恐らくそれは確かな事だ。
汚い話になるが、某ゲイ向けAVの登場人物の語録が日本人と中国人、韓国人との共通言語になり、なんなら中国人にとって自由の象徴となっていると言う話は、ある意味でいえば教養だろう。
それがゲイビの出典であると知れば、"例のポスト"みたいなことにはならないだろう……(まぁそれを知るべきかと言うと怪しい話だが。
ナラティブ(物語)と言えば、ポストトゥルース界隈でよく出てくる言葉だが、本来は一つ一つのストーリーを繋げる大きな流れ的な意味がある。
レンブラントが集団肖像画で有名になったとか、光の魔術師と呼ばれることはストーリーではあるが、末期にゼウクシスとしての自画像と言うものを描く事に至った彼の人生や、ゼウクシスと言う存在に如何様なストーリーがあるか。
その全ての状態がナラティブである。
西洋絵画に於けるこういう構図やモチーフは、こういう物語を象徴していて、つまり描いているのは○○だが、実質のところはキリストを描いている――みたいな話は無茶苦茶でてくる。
コレもナラティブだ。
そして、先のエルフの話だってナラティブではあるし、例のゲイビ主人公が如何なる文脈で語られ、世界に広まることになったのか? も言ってしまえばナラティブではある。(誇るべき話ではないが)
今日日、ハリウッドに出てくる日本が無茶苦茶だ――と言うことに目くじらを立てる人はいない。むしろ、ハリウッドの描く日本が好きだと言う人さえ多いのだ。
ネット上に転がる無数のミーム、小ネタ。それも大まかに言えば"教養"ではある。
まぁ知るに値するべきかと言う話ではあるが。
でも、こういうのは昭和の映画の一シーンのパロディを理解できるとか、大昔のロックのPVのアンサーなのかとか。幾らでも"権威化したオタク知識"は見つかるのだ。
我々創作者が作るのはストーリーではあるが、それを幾重にも重ねてナラティブを形作る。
それは天才一人だけの力では成し得ないし、もっと言えばAIだけでも無理なことだ。
大勢の人がそれに共感し、自分も創作をして行く。
その連鎖が新しいナラティブを作っていくのだ。
正しいとかリアリティがあるなんてもはやどうだっていい。
ブルアカの日本人名がやや古くさいと言うのも、多分、キムチ・アキハバラでは普通の事だし、それを積み重ねていけばむしろそれも味になるだろう。
日本に来たことのない人が、ブルアカで創作してもいいし、日本人が全然知らない国の事を描いたっていい。
だから創作は重要だし、二次創作も重要なのだ。
※挿絵はDALL·Eを用いています。