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Guardくん嫌われすぎでは?
先にどう読もうと読者の勝手だし、どういう理解するのも自由ではあると言う前提を確認した上で、ちょこちょこ言われる批判に対して、僕なりの解釈を与えようと思う。
いや、何と言うか、神の視点で読めるのは読者だけであって、それぞれのキャラクターはそれぞれに持ちうる情報が違うのだけど?
大体、キャラクターの一貫性がないって言うけれど、普通の人間はそんなに一貫性があるとは思えないが?
政治家もダブスタだし、会社にいる人間なんて大抵プライベートと会社では顔が違うし、それが目の前で大きな事件とか、大人物に出逢っていたら、そりゃぁ考え方も変わっていくだろうと思うけれど。
なんかこう、近頃はキャラクターの変化(敢えて成長と言わないが)を一貫性がないっていうのかなと。
否、Guardくんに関しては、そういうものに流されて行くただの能力のない一人の人間と言う意味では一貫性があると思っているのだけど。
ロドスが理想主義者の楽園と言うのは確かな指摘で、その理想主義を現実に出来るほどの傑物が揃っている。
逆を言えば、そういう存在のいない(タルラはその暴力的な能力を存分に発揮しようと言う意思はないだろうし)レユニオンがどうするのか。
ただの普通の人間であるGuardくんやレユニオンの面々が、如何にしてアーミヤと同じ境地へと辿り着けるのか? と言う意味では決して無駄な話ではないと思うんだよね。
確かにアーミヤは繰り返し「感染者、非感染者に関わらず」と言っていたけれど、それを頭で理解しているのか、精神的に受肉したのかと言うのは別の事で、普通の人であってもその境地へと辿り着けたと言う事に尊さがあると思うのだ。
大体、こういう時に「脚本上必要だから~」とか言うのは、ホラーを見ているときに一々「この時、役者がうんたら~」とか「配信会社の都合で~」みたいな事を言い出す連中と同じなんだよな。
目の前の情報を真実として受け止めるのが、自分の精神のボリュームに対してしんどい時に、人間はちょけるのだ。
本当はアニメに興味のある男が、「オタクくせぇ」と笑ったりするのと同じだ。
タルラ奪取の一件に関したって、自分が反対していたと言うだけで、組織として決まった事に駄々を捏ねる方がよっぽど子供であると思うし、逆を言えばGuardくんの手引きがなければ、何らかの死傷者が出ていてもおかしくなかっただろう。
裏切りとか変節とか、それは確かな事だけど、一度レユニオンに取り込まれ、その後、どうやってロドスに戻るのか? と言うのは単純な話ではないだろう。
鉱石病に感染して、その状態で物理的にロドスアイランドまで移動する方法はないだろう。
Guardくんが、何処までもレユニオンの多くの人と同じく、ただの普通の人間だったと言う事から考えれば、名誉ある死や英雄的行動と言う死に方は出来なかっただろう。
ロドスや模範軍や自救軍、或いはダブリンとは違う人達によって、それらと同じ道を歩むにはどうすればいいのか? と言う、レユニオンの物語が紡がれていくのを、あまり冷ややかに見過ぎるのはどうなのかと思う。