世界の不幸を望むな
いやまぁ、国際情勢がずっとキナ臭いのですが、なんかこう、こういう状況になればなるほど、アノンと言うかカルトというか、そういう連中が活気づいている。
これってまぁ、「世界とは不幸なモノだ」と言う観念によって、自分の不幸を肯定しているからだ。
「世界は悪い奴のせいで不幸な状態になっていて、君はその被害者なんだ!」
と言われてコロっと行く奴は多い。
どっかの頭の悪い連中が、警察に交通違反なんかで捕まったとき、「俺だけ捕まえている」とか「警察の嫌がらせ」とか言っちゃうのは、自分を被害者側に置くことで、自分の道徳的勝利を得たいからなのだ。
だから、「お前が不幸なのは、お前の道徳的価値が高いからだ」と言ってやると、どんな暴論でも信じてしまう人間が出てくるのだ。
そして、そういう顛倒は、世界が不幸であれば不幸であるほど、自分の不幸が肯定されると言うループに繋がる。
少しでも自分に不都合と思える状態を見つけて、それを針小棒大に取り上げることによって、「巨悪が自分を不幸にしている。寄って、自分の道徳的価値が証明される」と言うことに繋がる。
彼らは世界が不幸であれば不幸であるほど、自分の道徳的勝利が近づくと感じるし、不幸な状態を見つけると喜んでしまうのだ。
そして、この道徳的勝利に手を伸ばす方法は、「自分が"何か"をする」と言う方法で実現する。
例えば、マスクを着用するのは公衆衛生の実現のための一手段でしかないが、カルトにとっては「マスクをしないと言うポーズ」が目的なので、それをするだけで自分の道徳的価値を上げることが出来るのだ。
これは他でも同じだ。
運転免許証をレンチンするとか、誰かを罵倒するとか、人と違う格好をするとか。
何か人と違うことをすると言うだけで、自分自身の価値を肯定出来るのだ。
これは小規模なところで言えば、「暴走族が暴走行為をする→社会への反抗→社会よりも存在価値が高い」と言うような顛倒と構造的には同じである。
こういう種類の顛倒は、例えば反AIにしてもAI過激派にしても同じである。
「AIによって被害を受けている→AIを攻撃すれば自分の道徳的価値が証明される」
「反AIによって嫌がらせをされている→AIを使って嫌がらせをすれば自分の道徳的価値が証明される」
の二つが最悪なスパイラルを生んでいるのだ。
こういう風に、世界の不幸が自分の存在価値に繋がるようになると、自分の存在価値のために、世界の不幸を作ろうという人間が現れる。
それがテロルだ。
オウム事件はその最たるものだろう。
最終戦争という最悪な不幸によって、自分の存在意義を見いだそうとしたのだ。
※挿絵はDALL·Eを用いています。
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