『老』
近頃思う。
老いとは何だろうか、と。
古来、平安時代では老いというものを美としてとらえていた。
老いていくほどに、心身ともに成熟し
やがて一人の人間としての魅力が増していくというのだ。
ただ、現代ではその通念はほぼないと言っていい。
高齢化社会と言われる現代において
もはや老人で溢れる社会になりつつあることは言うまでもない。
電車で老人に優先席を譲る学生。
老人ホームで75歳の男性が90歳の高齢者をお世話するニュース。
テレビでは2人の若者が1人の老人を支える構図になると警笛を鳴らす。
一見高齢者に優しい社会であるように見えるが、
年齢という尺度を前に高齢者との間に線引きをしてまるで偶像のように扱い
老いていることの美化など一切されない。
これが正しいのかはわからないが
長い人生を歩んだ先輩だからこそ
同じ人間だからこそ
もっと寛容に受け入れて表舞台に立ってもらう必要があるのではないか。
個人的な思いではそのように感じる。
ただ、いまだ正解はわからないし
高齢者の気持ちにならないと投げやりな議論で終わってしまう。
人生100年時代。
どう生きるかはキミシダイ。
どこまで生きるかもキミシダイ。