FTMの僕がなぜ遅れたか
今回は少し重い話になるので、
気分が落ちている方は画面を閉じて頂きたい。
僕がどうして28歳にして
FTMとして歩き始めることになったかをお話ししたい。
僕は12歳の頃には自分の心が男性であることに気づいたし、一人称は俺だった。制服のスカートを履かされるのが気持ち悪かったし、何よりなぜ自分が好きな女子と同じ服装をしているのか、ひどく気まずく不自然に感じていた。
しかし親や精神科の主治医(自閉症のため元々通院していたのだ)といった、僕を理解し治療につなげるべき大人たちは、なぜか僕に暴言を浴びせたり嘲笑したりした。そしてとうとう耐えられなくなった15歳の冬の朝、僕は自殺未遂に追い込まれてしまった。その日の記憶はあまりのショックでほとんどない。
そしてその日から僕はおかしくなり、女性を装って生きるようになってしまった。治ったふりをすることで誰とも争わずにすむようにした。
そんなことが13年、今月頭まで続いたのが自分でも驚きだが、その間ももちろん男性の心を抱えていた僕はやはり、自分の身体や声、女性として扱う周りの反応すべてが自分のものではないと感じ、時に吐き気を覚えていたことは言うまでもない。
ついに我慢が出来なくなったのもあるが、気づいたら20代も終わりに差し掛かる今、このままでいいのかという思いもあった。できるなら今度こそ、男性として生き直したいと思う気持ちが日に日に強くなった。
この時FTM、あるいはトランスジェンダーという枕詞が常につきまとってでも、存在しない女性の役を演じたまま死ぬのは御免だと、初めてハッキリと意識したのだ。これではこの世に生まれてすら来られなかったのと同じではないか、と。
これからどうなるかは分からないし、治療以前にやることがたくさんある。誰にどこまでカミングアウトするか決めることや、既にカミングアウト失敗した職場での理解してもらうための最善の努力、これからどう生きるかの計画。
訳あってスタートが遅れた僕だが、生き直しに成功することで同じような事情を抱えたFTMの方々の希望になりたいというひそかな野望すらある。
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