「聖書を悟らせるために」

復活節第5主日 2023.5.7
ルカ24章44~53節

板野のメモによる八谷先生の説教のまとめ

日本基督教団信仰告白はこのように始まる。「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり」。

 これは何を告白しているか?それは「旧新約聖書が教会の唯一の正典である」と告白している。まず始めに聖書について信仰告白が行われている。「正典」とは何か?それは英語ではCanonであり、その語源は定規(ものさし)量りである。それは、長さを計り、重さを量る基準を意味する。その「正典」は何をはかるのか?それは「正典」によって、教会のあり方、一人一人の生き方が計られるのである。だから聖なる物という「聖典」と基準である「正典」とは区別される。

 では「旧新約聖書」とは何か?そもそも「聖書」とは何か?あなたは「聖書」を見たことがあるか?実は私たちが使っている聖書(新共同約)は、二つの聖書の日本語訳を合わせた物である。旧約の底本はビブリア・ヘブライカ・シュツットガルテンシア(ビブリアは聖書ヘブライカはヘブライ語、シュツットガルテンシアはシュツットガルトの聖書協会発刊を意味する)、新約の底本はギリシャ語新約聖書である。この二つを合わせて、これらをキリスト教会の「正典」として信じ、それを「正典」と告白しているのである。

 イエスの時代には新約聖書はない。当時の「聖書」とはユダヤ教の「正典」である「ビブリオ・ヘブライカ」である。それは「律法(トーラー)」と呼ばれるモーセ五書、ヨシュア記やイザヤ書などの「預言書(ネイビーム)」と詩編やヨブ記などの「諸書(ケトゥービーム)の三つの部分から構成されている。「イエスは言われた。『私についてモーセ律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する』(44節)」。「モーセ律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄」とはつまりはヘブライ語聖書全体を意味する。つまりイエスが旧約聖書全体において成就するというのである。

 それはどういうことか?それはイエスの生き方を見るならば、そこに旧約のすべてが読み取れるということである。さらに言い換えるならイエスは旧約聖書の信仰を生き抜いた方だということである。だからイエスの生涯に旧約聖書が成り立っている。イエスの生き方の中に旧約の信仰があり、イエスの言葉の中に旧約の真理がある。しかし弟子たちは聖書をわかっていなかった。イエスを理解していなかった。だからイエスは「聖書を悟らせるために、彼らの心の目を開く(45節)」ために言われる。弟子たちの心は聖書に向いていなかった。今まで聖書を読んでいたが、何も理解していなかった。今までイエスを見ていたが、実は何も見えていなかった。

 見ても見えず、聞いていても聞こえず、わからなかった。しかしイエスが弟子たちの「心の目を開く」するとかれらは「悟る」。それを起こすのが「甦りのイエス」である。イエスとの新しい出会い、それが「甦りのイエス」に出会うことである。心の目が開かれると、今まで、聞けなかったイエスの言葉が聞こえてくる。今まで見えなかったイエスの御心が見えてくる。

 今始めて、本当のイエスの姿が見えてくる。それが「甦りのイエス」である。イエスは言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する』(46節)」と。ルカ福音書では、しばしばイエスによって「人の子」の「受難」と「復活」が語られる。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている(9章22節)」。「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾を吐きかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから、殺す。そして、人の子は三日目に復活する(18章32節)」。「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている(24章7節)」。

 これらと46節の違いは主語の違いである。46節では主語は「メシア」であり、他の箇所は「人の子」である。「人の子」は多義的で、曖昧な言葉である。それは1.「私」2.人間一般;「人の子は安息日の主である」3.再臨のメシア;「見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り(ダニエル書7章13節)」など多くの意味を持っている。

 それ対し46節のイエスの言葉は明瞭である。「メシア・キリストが苦しみをうけ、三日目に甦る」と言う。これがイエスの「新しい言葉」である。「メシア・キリスト」とは誰か?旧約のように「人の子のような者」とは言わない。ここでは「イエスこそが苦しむメシアであり、三日目に復活する『甦りのイエス』である。弟子たちは、今「甦りのイエス」に出会っている。そして弟子たちに「立ち返り」、「悔い改め」が起こっていく。彼らがもう一度生き直すために。「『また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなた方はこれらのことの証人となる。私は、父が約束されたものをあなた方に送る(47~49節)」。この新しい約束が全世界に宣べ伝えられる。

 次週よりルカ福音書より使徒言行録に移る。復活節は続く。ただしそれはイエスの復活物語ではなく、「甦りのイエス」を証する人々の物語である。


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