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【1周年】『たびたびデーモンストレーション』感想

「さあ? いつの時代のどんな土地にもいんじゃないの?
うちらみたいな不謹慎が♪」

 
 ジャンプSQ.2019年12月号に掲載された、西尾維新さん原作、暁月あきらさん作画の読み切り漫画。

 いきなり自分語りから入ると、昨年、私はこの作品を読むために漫画雑誌を購読した。思えば『めだかボックス』の単行本から西尾維新作品の愛読者になった者として、“西尾維新原作”を求めて漫画雑誌を購読したのは、『パートスリーズ』(河下水希さん作画)が掲載された週刊少年ジャンプ2018年2・3月合併号が初めてだった。
 そのとき、実に、人生で初めてジャンプを買ったのであった。
 『めだかボックス』を読むまで、ジャンプという雑誌の存在を知らなかっただけだが⋯⋯。 
 その次に買ったのは、少年ジャンプGIGA2019 WINTER vol.2──『見え見えのオミット』(岩崎優次さん作画)。それから、週刊少年ジャンプ2019年42号──『覆面探偵 マスク ・ド・ホームズとキス泥棒』(佐伯俊さん作画、附田祐斗さん構成)。今回語る『たびたびデーモンストレーション』は、4回目の購読となる。

 漫画原作に限らなければ、『症年症女』に関する暁月あきらさんのインタビューを読むためにジャンプSQ.2016年7月号を、『「十二大戦対十二大戦」予告編 大戦前夜』が収録された小冊子を読むためにジャンプSQ.2017年11月号を、それぞれ買っているので、正確には6回目か(初めて漫画雑誌を買ったときは、緊張した。デカイなと思った)。

 西尾維新さんは漫画原作に限っても多作で、私が追い始めてからも追えていない作品もあるのだけど(『精密機械とてきとー人間』とか、『少年法のコロ』とか。『大斬』が書籍化されたのは救いだった)、今回語る『たびたびデーモンストレーション』は、『めだかボックス』コンビによる作品ということで、手に入れない選択肢はなかった。

 

 ⋯⋯で、本題に入ろう。『たびたびデーモンストレーション』。まずはそのタイトルについて。
 言うまでもなく、デーモン(demon)とデモンストレーション(demonstration)が掛かっているのだけど、加えて、作中においてそれは、「悪魔の証明」のルビとして使用されている。

 悪魔の証明(デーモンストレーション)。
 悪魔(demon)の証明(demonstration)。

 毎度のことながらハイセンスというか、あまりにもハマり過ぎていて、demonはdemonstrationの語源なんじゃないかとググってしまったほどである。de(強意)+monstrum(示す)+tion(名詞化)なので、demonは無関係だった。
 そのついでに、デモ(抗議活動)がデモンストレーションの略語であることも知る。こちらも作中に少なからず反映されている。タイトルにまつわる複数の意味を物語の構成要素として仕込むところは、同じ西尾維新さん原作の読切漫画『ハンガーストライキ!』などを連想させる。

 後は「たびたび」が「旅々」と掛かっている。こちらは物語の題材が旅行であること、事前の煽り文「可愛い子には、旅をさせよう!!」から気付かされた。

 
 物語について。
 舞台はドイチュランド(ドイツ)。テーマはベルリンの壁。 
 ⋯⋯ベルリンの壁については、同年に刊行された西尾維新さんの小説『ヴェールドマン仮説』でも少しだけ触れられていた。旅行を趣味とするらしい、ミステリアスな覆面作家の、数少ない現況報告と言えるかもしれないし、そうでないかもしれない。
 そんな風に、細かい部分で連続して同じ題材を用いている、直近の例としては、『まよいゴースト』と『見え見えのオミット』が当てはまるか(幽霊と、死後の思い)。

 
 で、始めに読んで感じたものとしては、まずは、読み終わったときに得られる気持ちの良さだった。読後感。
 物語の締めかた──それが西尾維新作品の大きな魅力のひとつだいうのは、本を読むたびに感じるところである。 
 優しかったりちょっとだけ切なかったり、スタイリッシュだったりシュールだったり、エグかったり。   
 本作は優しかった。良い意味で、プラスマイナスがゼロへと還元されるような感覚。実質、主人公たちがやってきたことは全て無駄だったと言いかねないようなオチで、そんなところも西尾維新さんだなと感じるところではあるのだけど、その上で優しく締め括るのが素晴らしい。

 
 それから、例によって清々しいまでの変人賛歌。 
 先述もした、本作のひとつ前に掲載された西尾維新さん原作の読切漫画『覆面探偵 マスク ・ド・ホームズとキス泥棒』は、「J(ジャンプ)ラブコメ祭り」という企画の中で描かれた作品のひとつである。そのすべての作品を読み比べて、強く感じたのは、同企画に参加した他の作家の作品がおおむね、全力で「かわいいヒロイン」を描きにきていたのに対し、『マスク・ド・ホームズ』だけは全力で「ヘンなヒロイン」を描いていたこと。 
 その方向性のブレなさに感心と安心を抱いたものである──そしてそれは、本作においても変わらず、変わったことをしようとする変わり者たちへの、力強い愛と肯定を感じさせられた。

「面白そうな所なら私はどこにでも行くんだけど 史織ちゃんが一緒じゃなきゃつまんないからね!」

 西尾維新作品と言えば、処女作『クビキリサイクル』に始まる戯言シリーズなどに代表される、孤独や人間不信、薄暗さや人生のままならなさを突き付ける闇の作風が思い浮かびがちだけれど、対照的に、本作のような明るいベースの物語もまた、漫画原作を中心に多く存在する。 
 普通ならざる者の悲哀もよく描く一方で、まるでそれを感じさせない、変人奇人がひたすら楽しく愉快に動き回る物語も、西尾維新さんの持ち味である。 
 本作は特に、旅をテーマにしているのもあって、人と人との出会いや繋がりが前向きに、肯定的に押し出されている。ベルリンの壁を壊すように、異国の壁を突破する、人々の絆が描かれている。勿論(?)、人の悪意も忘れずに描かれているけれども。

「『逸脱』したって『独り』じゃないって 
言ってあげなきゃ⋯」

 ただ、その中で珍しいと思ったのが、今回描かれた“絆”が、主人公たちと、名前のない多数の人々とのそれであるということ。 
 どうして珍しいのかと言うと、以前書いた、『めだかボックス』と『症年症女』を比較した記事でも似たようなことを述べたけれど(あちらのほうが後に書いた)、西尾維新さんって、いわゆるモブキャラ──一般人、通行人的な存在を、極めて描かない作家、といった認識が私の中で強いからである。
 そのことに関する作者の言及としては、例えば『箱庭辞典』では、脇役を書くのが苦手、メインキャラ以外描写したくない病にかかっていると述べていたし、こちらに関しては私は所持していないので言及するのはやや気が引けるのだけど、『偽物語 アニメコンプリートガイドブック』では、アニメ物語シリーズにおいて通行人が描かれないのは、主人公や作者自身が、世界には自分たち以外の人間が多く存在していることを実感できていない証だと述べていたのだそう。

 そんな作者の視界、世界観が強く体現された作品こそが、主人公の少年と少女以外のすべての人物の顔や名前──“個性”が漫画的表現で覆い隠される『症年症女』である、と勝手に考えているのだけど(きみとぼく以外全人類モブキャラワールド)、逆説的に、『症年症女』を描き切ったからこそ、名前がなく、主要人物たり得ない「多くの人間」の存在や、彼らとの結び付きを、実感をもって描けるようになったのかなとも。⋯⋯と、いうのはただのこじつけに過ぎないが。

 名前のない多数の人々の絆を描いている作品と言えば、2018年3月にジャンプ+に掲載された読切『くずかごマウンテン』もそれに当てはまるか。捨てられたドクターと捨てられた人々の話。今でも読めるみたい。

 ⋯⋯因みに、西尾維新さん×岩崎優次さんの漫画は、『少年法のコロ』『くずかごマウンテン』『見え見えのオミット』の3作があるのだけど、この2人の組み合わせで短編集の単行本が出ないだろうかとひそかに期待していたりする。『見え見えのオミット』以降まったく音沙汰がないが⋯⋯。

 

 主人公2人──了子ちゃんと史織ちゃん──のキャラクターについて言及すると、何度も旅を繰り返している、変人と、変人に付き添っては振り回される常人(?)のバディといった点に関しては、『僕らは雑には学ばない』(河下水希さん作画、『大斬』収録)の2人と似通っている。博士先輩と助手子ちゃん。 
 と同時に、史織ちゃんの、悪態をつきながらも了子ちゃんを心配する辺りは、男女の違いはあれど、人吉善吉を連想させられるものがあった。というか、意図的に『めだかボックス』と被せている印象も受けた。西尾維新さんが好んで描くタイプのバディと言えばそれまでだが。了子ちゃんの小悪魔っぽい感じは、『症年症女』の少女ちゃんに近いかな?(デザインは羽川翼に似ている)


 それから、物語終盤の盛り上がりを支える、探偵(ミステリ)要素。同年発表された『見え見えのオミット』『覆面探偵 マスク・ド・ホームズとキス泥棒』にもそうした要素が大なり小なり伺えるし、ミステリでデビューした西尾維新さんだけど、いちばんミステリを書いている時期って、普通に今なのではと思わなくもない(デビュー当時から追いかけているわけではないので、迂闊な発言になるが)。
 本作は史織ちゃんと了子ちゃんの掛け合いを中心に、序盤から西尾維新さんの味は十分に出ていたけれども、起承転結──順当に壁画が完成してからの急転、そしてそこから結びへと至る流れこそが、彼の物語の真骨頂だよなと改めて感じた。 
 「証明」が導き出した真相に、そこに込められた思いに、物語の力強さに、ガツンと心を持っていかれた──後日談でそれをあっさりと無に帰しかねないオチが入るのも安定の西尾さんだけど。


 ⋯⋯以上が、1年前、fc2ブログで書いた感想記事に少し追記修正を加えて再投稿したものとなる。
 掲載から1周年と言うことで、改めて振り返ってみたかったのである。 
 この作品自体、ジャンプSQ.創刊12周年、そして『めだかボックス』10周年の時期に描かれたものでもあるので。
 
 改めて、西尾維新×暁月あきらは不滅なり。
 ──『ふたたびデーモンストレーション』に期待!!


 ⋯⋯ところで、本記事を書き直すに至り、当然漫画を読み返していたのだけど、ラストで了子ちゃんが次のような台詞を述べていた。

「もうすぐアクアアルタの季節らしいから ヴェネチアに新作水着で泳ぎに行こうよ!」

 ヴェネチア⋯⋯『人類最強のヴェネチア』!! 本年11月11日発売!! てか今月!! 楽しみ!!


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