風さんと風の〇〇のナウシカ
no+eを始めて8か月ほどになります、まだまだな私ではございますが、ここで自己紹介がてら、PN(ペンネーム&芸名ワラ)のお話をひとつさせていただきとうござります(。-人-。) しばしの間、お付き合い下されば幸いです。
わたくし、"風の歌のナウシカ"と申します。
コメントで質問してくださった方もいましたので、改めてではありますが、
読んで字のごとく、「藤井風さんの楽曲の歌と、宮崎監督作品である、風の谷のナウシカが大好きな私」を融合しまして『風の歌のナウシカ』とさせて頂いてます。
当然の事ですが、物語的には"谷"が公式ですので、私の名前がどのように皆様に捉えて頂いているかはある程度承知してはおります。今になってなんでこの話…と思う方もいらっしゃると思いますが、ここで記事を投稿して皆様と交流させて頂くうちに、大切なことに気付かされ、ここに記すことにいたしました。
私は、no+eを始めた当初、ここではコメントのやり取りができないものなんだなと思っていて、日記を書くように記せばいいと気楽に考えていました。ところが、初めてコメントをもらった時、自分の記事の下にあるコメント欄に、相手の名前を打ち込んでから、皆様がそれぞれのコメントを書いた人に当ててお返事を書いているのを見て、「あ~そういうこと!」と、それを真似てコメント返しをさせていただくようになりました。
するとどうでしょう!皆様のお返事に様々な違いが生まれました。
私は、その違いに心を動かされることになろうとは思いもしませんでした。
「風の谷のナウシカ」と呼んでいただくのは当然のこと。原作がそうなっていますから。文字どおり、青き衣をまとったナウシカそのものを指してですね。それから、「風の詩のナウシカ」「風の唄のナウシカ」は、同じ読みでも、詩を読むナウシカ、唄を奏でるナウシカと情緒豊かな芸術性のあるパーソナリティーを高く評価してもらったような気がして、大変嬉しく思いました。
中には、「風の家のナウシカ」と呼んでくださる方がいたのに驚きました。私は常々、藤井風さんもいつも言ってくれるように、"人類みな家族やし。兄弟姉妹やし"だと思っていて、藤井家の一員に、風さんと家族になれた気がして、すこぶる感動したものです。よくぞ呼んでくださったと…。
皆様が人として「今」を生きる中で、何を大切にして生きているか。それをこの「風の〇〇のナウシカ」の"○○"の中に当てはめてみて下さい。
最近、私はよく、こんなことを考えます。
光があれば影ができ、影ができるのは光があるから。
私は今世、地球人として生きていますが、もしかすると前世は地球以外の惑星で生きていた生命体だったかもしれないと思うことがよくあります。
地球という星、とりわけ日本という国は本当に生きづらい国です。日本の勤勉で真面目な性質が美化された結果、競争社会の中で「できる」人「できない」人に分けられ、同じようにスポットライトが当たらない「影」の存在が出来上がってしまった。周りと同じように動けない人々は脱落し、なぜか日陰を歩くはめになる。同じ人間でも「違い」を認めることができなくて、真面目に働く人は『光』。同じように動けず、怠惰に怠ければ『影』または『闇』と、二つの相対する世界に分けられてしまいました。二極化なんて言葉が現代の世の中ではよく聞かれますが、その二つを作ったのもまた、我々人間なのです。本来は上も下も、縦も横もない、同じ平らな線の上の同じ人間です。
私は大好きな押しがこの世に二人もいて、本当に本当に幸せです。しかも、宮崎駿監督が、『風の谷のナウシカ』というネーミングにしてくださったおかげで、風さんのご両親が『藤井風』という名前を風さんにつけて下さったおかげで、その両名がこの中にしっくりとはまり込むという、なんともハッピーなセレンディピティ(幸運な偶然を引き寄せる力)が生まれたのですから!私は声を大にして言います。
ありがとう!ありがとう!ありがとう!(3回ねw)
作家のひすいこたろうさんがこういっておられました。
「良いことが起こるから感謝するのではなく、感謝するから良いことが起こるのです。感謝が先なのです。」
no+eという居場所が、誰からも制限されることなく、皆様が居心地よく表現できるオアシスでありますよう、そして自由に描けるキャンバスであり続けますように。
私の風は今日も、青き衣をまといながら、私の内側の世界を守り続けてくれています。皆様の世界もきっとそうであるように・・・。
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