音のない門
「せいやん! そろそろ行こうか」
『たくみくん、ちょっと待って…』
僕は描きかけの絵を急いでカバンにしまい込み
荷物のなくなった殺風景な部屋をゆっくりと見渡して
心の中で“さよなら”を言ってから扉を閉めた。
今日、僕は生まれて初めて“引っ越し”という大移動を経験する。
たくみ叔父さんの転勤先の海の見える田舎の町へ。
僕の父は、トンネルを作る仕事をしていて、
僕が生まれてすぐに、作業中の事故で亡くなった。
叔父さんは僕の母の弟で、いつも僕の面倒を見てくれてる。
本当に世話になっている…僕の一番の理解者だ。
僕の絵を「せいやんの絵の才能は世界レベルだ!」
そういって励まして、応援してくれる面白くて優しい人だ。
僕は絵を描くことで自分の居住領域を確保している。
絵を描けば、その絵を見てみんなが僕を褒めてくれる。
時には涙を流して喜んでくれる人もいる。
だから僕は絵を描く。描くことで自分の世界を拡げていく。
僕にもこの世に存在する価値があるとそう思えるから…
母の記憶…覚えているのは、体が弱かった僕を
背中におんぶして子守唄を歌ってくれたこと。
「ぼうやのお手てはもみじの手👋」
「くるくるくるくる回していって♪」
「くるくるくるくる水車♬くるくるくるくる風車♪」
温かい背中に耳を当てると、母の声がよく響いた。
母は僕を一人で育てるために昼も夜も働いた。
でも、ある日夜の仕事で知り合った男性とどこかへ消えてった。
結局、僕は一人になった。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀
『先生、今日は星矢君とこ仕事でこれなくなったみたい』
星矢君がこの学童に手を引かれてやってきた時、
私はてっきりお父さんだと思っていたのだが
彼の叔父さんは気さくでとても面白そうな人だった。
その日は仕事で迎えにこれなくなったと連絡が入り、
私は家の近くまで、彼を送ることになった。
海に落ちていくオレンジの太陽に手を振りながら
明日も穏やかで平和な一日になりますようにと心の中で祈り
石ころを蹴っ飛ばしながら、スニーカーを滑らせて歩く
まだ幼い彼を横目で見つめながら、のんびり歩幅を合わせる。
「星矢君はやっぱり将来は絵描きさんになるの?」
『もちろん絵は書いてると思うけど…それだけじゃね…』
「どうして?充分やっていけると思うよ!」
『もし将来家族ができたとき、絵描きってそれだけで
生活していけないでしょ…』
『好きなことだけして生きていけるほど人生って甘くないよね』
はい、出ました。君は一体何歳だ~い!!(こころのこえ)
「ははは…星矢君はしっかりしてるんだね。すっばらすぅい~と♡!」
少しおどけて答える自分がなんだか恥ずかしくなり、
もう一度、今度は真面目に彼と向き合って話した。
「今は昔と違って、いろんな働き方があるから。SNSとかで発信することで、たくさんの人に見てもらえるし、星矢君なら世界でもすぐに有名人よ」
すると、彼の表情が少し険しくなった。
『僕は有名になんかなりたくないよ』
『真面目に働いて、家族に迷惑かけないように…』
そう呟いて、一瞬何か頭に浮かんだ表情を見せた後
「先生はどうして学童の先生になろうと思ったの?」
ん!?そう来ましたか?少年よw
私は肩ひじ張らずにありのままの心を見せた。
「子どもが大好きだからよ!」
「ほら、私他の人と違ってちょっと変わってるじゃない」
「大人になりたくなかったの。時間の流れに逆らって生きてたかった」
こら、私。いい大人がなんちゅう~話を、未来ある小学生に語っておる…
「純粋で素直な子供たちと一緒にいると嬉しくなるから…だなっ」
よし。決まった。どや!どやどや顔の私に彼は冷静にこう言った。
『先生は神様に認めてもらえたんだね。ちゃんと願って夢かなえて…』
『先生の家族…先生の子供さんは幸せだね…』
「いやいや。家族となるとまた違うのよ…だっていいとこばっかじゃないから、恥ずかしいかっこ悪いとこもいっぱい…一緒に暮らすといろんなとこお互いに見せ合いながら生きてくことになるからね…」
彼といると、まるで家族のようにいろんなことを喋ってしまい
この少年のこれまでの生い立ちや家族への配慮のない自分の発言に
後からたくさん後悔の念を抱いた。
「私はこの学校に星矢君が転校してきてくれて、本当によかった!
小学生とは思えない大人なかっこいい生き方や、芸術的才能に出会えて
先生はラッキーだわ!!」
すると彼は、突然立ち止まり、ゆっくりと水平線に背を向けて
胃のあたりをギュッとつかんでこう言った。
『僕はどうしてあなたの子どもに生まれてこなかったのかな…』
そういって大きく息を吸い込んだ、その声音は小さく震えて途切れ
彼はその瞳を伏せ、自分の家の中に静かに入っていった。
返す言葉が見つからなかった。
その日からしばらく、彼は学校にも学童にも姿を見せなくなった。
彼の叔父さんに事情を聴くためお電話をさせて頂いた。
叔父さんの話によると、毎日部屋に閉じこもり
これまで描いた作品を処分しているとの事。
叔父さんも懸命に彼に寄り添って対応してくれている様子だが
手繰り寄せた糸が途中でプツンと切れてしまったかのように
彼は心を閉ざし、出てこようとはしなかった。
“星矢は私の姉を許さないと思います。幼かった星矢の心に大きな傷を付けてしまった…私は母親に代わって星矢の人生を背負う義務があります”
学校やこちらの対応には何一つ文句を言うこともなく、
たくみ叔父さんはどこまでも誠実に、切実な思いを語ってくださった。
その日の夜、私は不思議な夢を見た。
綺麗な朝焼けの海に向かって立っている一人の女性。
私は彼女に話しかけようとするが、どうやっても声が出ない。
そのうち彼女が振り返って、私の手に一本の風車を手渡して
こう呟いた。
「あの子の未来に私はいない。お願いします。あなたの手で紡いで…」
大きく澄み渡った瞳から一粒の黒い涙が零れ落ち、水たまりに落ちた
その瞬間、眩しい閃光と共に真っ白な門が現れる。
その時私は静かに悟った。
この世界の『闇』という闇を、この女性がすべて
その肩に背負って行ったのだと・・・
星矢君のお母さんは星矢君を捨てたんじゃない。
彼の人生を誰よりも応援し願っていたのはこの女性。
間違いなく彼の母親、その人だと・・・
To be continued
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?