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「かわいい」はずっと手に入る

大学時代、仲の良かった男友達が二人いた。一人は高校の同級生の沢木くん(仮名)、もう一人はその子に紹介されて友達になった梶川くん(仮名)。

整った顔立ちの沢木くんは高校時代から女子にモテてたけど、不器用というか照れ屋さんで、そしてちょっと偏屈で、何を考えてるか分かりにくい子だった。

でも彼に何かを言われて私が返事をすると、楽しそうに「女は予想外の発想をするからおもしろいな」って笑う顔が屈託がなくてね。自分にはない感性が好きだったんだろうな。彼には固定の価値観にとらわれないような透明感があった。

私は彼の車の助手席によく乗った。電話をして「家まで送って」って頼めば何も聞かずにいつでも彼の最寄り駅まで迎えに来てくれたから、私はわざわざその駅で電車を降りて、彼を待った。

私の家までの30分ほどのドライブのあいだ、いろんな話をして一緒に音楽も聴いた。家について「ありがとう」と言うと「おん」って感じの返事をさらっと返すだけで、またその次も車を出してくれた。

そんなやんわりした曖昧な関係が好きだった。

梶川くんともたまに二人で遊びに行った。本当は真面目だけど真面目じゃない人間になりたがってるような子で、いつも軽い言葉を発していた。でも紳士的でそれなりに女性の扱いを心得ていて、一緒にいて楽しかった。

冗談っぽく何度か口説き文句を言われたけど、ぜんぶ笑ってこちらも軽く返した。いまも彼の口説き文句がどこまで本気だったのか分からない。でも去年会ったときには私の友達を口説いていて、それは本気に見えたけど。

そんな二人と私はいつも別々に二人っきりで会っていた。

それがある日、私の女友達のサキ(仮名)と4人で会うことになった。なんとなく4人で遊ぼうって集まったんだ。

運転席は沢木くん。助手席には私。後ろにサキと梶川くん。

いつも通り私はあれこれとおしゃべりをした。サキもよく話す子で、4人で楽しく話していたはずだった。でも何かいつもと違う。

沢井くんと梶川くんの私への言葉、態度がどことなくきつい。

それぞれと二人で会ってるときには感じたことのない少しトゲのある言葉が私を戸惑わせた。どうしていつものように私に優しく接してくれないんだろう。

会話がうまく弾まず、彼らの代わる代わるの突き放すような、少し私を否定するような言葉の選び方に私は次第に我慢できなくなってしまった。

「どうして二人ともそうなん?!」

とうとう私は怒りを爆発させて、なぜ今日は私にそんなにきついのかと責めたてた。二人ともそんなことないと答えるけど、あきらかにいつもと違うと食い下がる。

だんだん私は泣き出して、「私はあなたたちを大事に思ってるのに、こんなふうなきつい言葉をかけられるのは嫌だ」と吐き出した。

車内の空気がピリッとするなか、サキが私をなだめはじめる。

「ごめん」とたぶん彼らは言ってくれたように思うけど、はっきり覚えていない。

でもそのときサキが言った言葉はしっかり覚えている。

椿は「素直でかわいい」と。まっすぐに思いをこうやって男友達にぶつけられるってすごくいいと思うって。

若い頃のそんな青春の一場面を「かわいい」のエッセイ募集で思い出した。

あの頃からもう、たくさんの月日が流れた。

「かわいい」はとても好きな言葉だ。いつでも「かわいい」と言われたい。「かわいい」は「かわいい」を倍増してくれる。

でも結婚して、子供が生まれて、自分自身の「かわいい」を意識する時間がない生活を過ごしてきた。

それが少し前に仕事を再開してから「かわいい」をまた意識するようになった。服やアクセサリーもたくさん買った。新しい付き合いや、昔の友人たちとまた繋がって、「かわいい」をまだもらえるんだと知った。

「かわいい」は魔法の言葉だ。

私は「かわいい」がほしい。

それは外見が「かわいい」でも、心が「かわいい」でも、どんな「かわいい」でもいい。何歳でも、何歳になっても「かわいい」自分でありたい。そうあろうと心がければ、きっと「かわいい」はずっと手に入る。

そんなことをnoteに来てもっと思うようになった。

あまい小説で「かわいい」自分も素直にたくさん描けるからね。

また書きますね。

かわいくてあまいお話をね。


#エッセイ #かわいい #わたしの愛するかわいい

こちらの企画に参加しています。



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