#28 私だけの中山さん
岐阜行きの新幹線に座る私の斜め前の席では大学生らしいカップルが楽しそうに話していた。私もあんなふうに無邪気に彼の横で笑っていた恋愛もあったなって思い出す。いま私が抱えている恋は誰にも知られてはいけない恋だけど、どんなに苦しくても手放せない恋。
私は奥さんがいる上司の中山さんに恋をした。好きになって2年、やっと二人の時間を持てるようになったのは約3ヶ月前。週に1度のデートを繰り返し私たちの距離は少しずつ近づいていると思っている。でもキスだけをくれて奥さんの元に帰っていく中山さんの背中をいつも寂しい気持ちで見つめてきた。
中山さんの私への気持ちがつかめなくて、でも怖くてそれ以上を求められない。だけど今日はね、今日は覚悟を決めてきた。中山さんの愛が見たい。今日の夜は中山さんの腕の中で眠りたい。
岐阜に着く少し前に中山さんからメッセージが届いた。「4時ごろには終われそう」と書かれている。4時なら夜まで時間があるから一緒にたくさんの時間を過ごせる。だけどそれはつまり今日中に東京に帰ることにもなるかもしれない。そう思うと切ない気持ちが湧いてきたけど、中山さんに会えるうれしい気持ちで無理やり切なさをおしのけた。
駅前のカフェで中山さんが来るのを待つことにした。ハーブティーを頼むと、一緒に小さなハート型のピンクのクッキーが2つ添えられていてかわいい。口に含むとあまい苺の味がして思った以上においしかった。
スマホを開いて中山さんのラインの文字を追う。好きな人が送ってくれた文字からは優しい空気を感じる。「好き」とか「愛してる」とかそんな恋人らしいやりとりはどこにもないけど、「おはよう」とか「また明日」とかの言葉を大切に読み返す。中山さんを思う時間は切ないけど愛しい。
4時過ぎに中山さんがカフェのドアを開けた。少しキョロキョロしてからすぐに私を見つけて急ぎ足で来てくれた。うれしくて心が弾む。急いでくれたと分かるくらい中山さんの頬は上気していたけど、私の頬もうれしさでほんのりピンクかもしれない。
「ごめんね、待たせたね」
息を整えながら私の前に座る中山さん。
「ううん、大丈夫です」
笑ってそう答えると、ホッとした顔で笑い返してくれた。
店員さんが来て中山さんはコーヒーを頼んだ。「もう少し何か頼む?」って顔でメニューをトントンとしてくれたけど私は首を左右に振った。
「お客様は納得してくれましたか?」と聞くと、今日のお客様とのやりとりを教えてくれた。運ばれてきたコーヒーを口に含むためにときどき言葉を止めながら、どこに誤解があったのかなどを詳しく説明してくれる。一通り話し終えると中山さんは「結城さんはこういう話を詳しくしても理解してくれるから話しやすいね」って言って安心した顔をした。会社では見せてくれないそういう表情に私は胸がぎゅっとなるんだよ。
それからこのあと二人でどこで過ごすかを話した。美しいアルプス山脈の大自然を楽しめる新穂高ロープウェイに乗りたかったけど時間がもう遅いから間に合わない。営業時間を見ると朝9時から夕方までになっている。「もし今日お泊まりしたら明日乗れるね」って言いたくなったけど、勇気がなくて言えないな。
結局、足湯めぐりをしようと決めて良さそうな足湯をマップからピックアップした。レンタカーを借りて移動することにしたから中山さんが運転する車に初めて乗ることになった。
横に並んで座ったら思う以上に距離が近い気がしてうれしかった。運転席を向くと中山さんがいる。こんなこと東京だと考えられない。誰かに見られることを気にしながら過ごすいつもの私とは違う。中山さんをどれだけ長く見つめてもいい、触れたいときに手を重ねられる、こんなに幸せな時間があったんだね。そんなことを思いながら中山さんを見ていたら、ふいに彼がこっちを見てこう言った。
「いまきっと、結城さんと僕は同じことを考えているだろうね」
赤信号で止まった瞬間に中山さんが私の手を優しく繋いでくれた。
今日の中山さんは私だけの中山さんでいいんだよね。
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中山さんはシリーズ化していて、マガジンに整理しているのでよかったら読んでみてください。同じトップ画像で投稿されています。
続きはこちらです。
第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。
『中山さん』シリーズ以外にもいろいろ書いています。よかったら覗いてみてください。