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感情は切り取れないでしょ。

感情って一番初めに湧いてきたものは、まっさらの混じり気のないものなんだけど、その一瞬後に湧いてくる感情はもう「純」ではなくて、一つ目の感情の上に重なるように現れるものだと思う。混じり合って次の感情に変化する感じ。

物事が重なって、感情はどんどん変化して、良い感情も悪い感情も分量を変えながら次の感情へと繋がる。そういうものだろう。

だからなぜそうなったのかの重なりを無視して、最終的な仕上がりだけを見るのは違う。過去のいろんなことは切り捨てて、次の建設的なところに進もうというのは無理やりすぎないかな。もちろんそうしないと進めないこともあるけど、簡単にそうはできない場合も本当に多くて、本来は次なるところへ進むときには積み重なった感情を消化して終わらせないと本当には進めない。

自分のなかで混ざり合ったまま、うまく解けず消化できずに、それでもそれらを自らの意思で切り捨てて進むのはいいと思う。だって自分の感情の整理をどうつけるかは自己判断でやればいい。

でもこれ、他者から最後だけを切り取って、それをもとに無理やり進められようとすると、どうなるか。たぶんそれをされると何もわかってくれないという悲しい気持ちや納得できない気持ちが生まれるんじゃないかな。少なくとも私はそうなるよ。

ここのところ、体調が悪いというほどではないけど頭痛がよく起こる。4日くらい続いてて、そのうち2日くらいは頭痛薬を飲んだ。でもすっきり消えてくれない。昨日の夜はお薬なしで眠ろうとしたけどズキズキしててね、子供が「手当て」をしてくれた。

おでこに手を当てて、ハンドパワーを送ってくれる。頭痛が治りますようにと念を送ってくれる。子供がハンドパワーを持っているのかは分からないけど、人って本来誰かを癒す力が備わっているんだと思う。お母さんが子供のどこかに触れて「痛いの痛いの飛んで行けー」ってしたら痛いのが消えた気がするように、手を当てることで癒されるかもしれない。

なんか頭痛がかなり軽くなったよ。

それを子供に伝えると、これはきっと受け取る側が素直にその力を信じられるかどうかも関係するのかもしれないと言う。ママのようにわりと何でも「そうかも」とか「そんな気がする」という性格の人はこういうのが本当に効くんだよと。

なるほどねー。んー、でもなんかそれって「信じるものは救われる」みたいなどこかの宗教が言いそうな台詞で、信じやすいのは危険だよねとかチラリと思った。いや、私は変な宗教とかに傾倒することはないけどね、でも信じる相手を選ぶことは大事。私の頭痛を軽くしようと思いながら手当てしてくれる子供は当たり前だけど無条件で信じられる。ぼわーんとハンドパワー出てるよ。たぶんね。



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