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文章が一人歩きしはじめた

文章が歩きはじめたと、先日書いたように「思う」。書きすぎてだんだん分からなくなってきた。本当に書いたか探す気力もないので、もういい。

ともかく、まだそのときは私の見える範囲で文章が歩きはじめたと思っていたけど、今はもう、私の意志と関係なく文章が一人歩きしはじめた、と感じている。ハイペース投稿なので「そのとき」は昨日だったのかもしれないけど。

私の投稿を読んでくれる人が少しスピードを上げて増えはじめている。とりわけプロフィールに紐づいている記事はどんどんビューの数が加速している。ちょっとどうしていいのか分からない。

はじめはポツポツと、緩やかにかわいい数字がカウントされていて、その小さな数字であれば、読み手の顔が見えそうな気がしていた。読んでくれている人たちの空気を感じていた。

次に、小学校1クラス分くらいだな、と思うようになり、これでもまだ、読み手の姿が想像できた。クラスの子供たちが教室に並んで座ってワイワイしているような姿が。

今は、どうだろう。数字が数字に見えてきた。顔のない多くの人々がとりあえず試しにと現れる、そんな奇妙な感覚を覚える。

数って怖いな。1はあくまでも1なのに、はじめのポツポツの1と、今の1では何か大きさが違う。例えば5分の1と、500分の1の違いと書けば、わかりやすいか。

背負っている「1」は、はじめて背負った「一人」と何も変わらないはずなのに、「500のうちの1」を小さいと感じてしまうことが怖い。そうはなりたくない。

あぁいよいよ本当に逃げられないな、という気持ちも感じ始めた。そして、もう責任も取れないと。

読んでくれた人のどこかに少しでも響いてもらえたか? 私の文章は読んでもらえるに耐えうるものなのか? ということを気にし続けるのは危険だという意味だ。

読んでくれる人が増えれば、特に何も響かなかったと感じる人もその分、増える。もう、何かをどうにかして届けないといけないという焦りにも似た責任を感じつづけるには私には数が大きすぎる。おそらくそこを不安がっていたら精神がもたなくなるだろう。

だから私は、ただ、書き続ける。

数を意識して、無理して背伸びしようとしないようにとだけ気をつけながら、誰かが読んでくれるなら、私の文章で暇つぶししてくれるなら、拙いながらも自分の思いや日常をただ書きたいときに書き続ける。

今日は、noteを始めて以来、最高の早起きとなった。睡眠時間は4時間半。これは専業主婦から在宅ワークを始めるようになった数年前に起こった事態と似ている。交感神経が常に優位になり、脳が休まらない状態だ。

でも大丈夫。一度経験している。たぶん乗り切れるはず、と自分に言い聞かせる。

noteのユーザーは一体どのくらいいるのだろうか。noteのアカウントをお持ちでない方からの「スキ」をいただいたことがある。こうした人も含めると、どれほどの人がnoteを開いているのだろう。

私の文章が、川に投げ入れた小石の波紋が広がるように、noteの世界の中で少しずつ一人歩きしはじめている。

1252文字

#エッセイ #ビュー #文章 #責任 #一人歩き

お時間のある方はこちらも覗いていってくださいね。これで大丈夫か? と不安になる投稿が多い中で、わりと自分で気に入っている投稿です。


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椿 -TSUBAKI-
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