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100%悪い人はいない

誰かが何かをしたとき、何かを言ったとき、何かをされたとき、何かを言われたとき、それを良いふうに受けとめるか悪いふうに受け止めるかは自分次第になってくる。

この自分次第がわりとややこしいなと最近思う。

正直、私にとっては良いふうに受け止めるほうが楽なんだと思う。人を悪く思うのはしんどいからね。でもその受け止め方に歪みがあるとしたら、つまりちょっと無理して良いふうに解釈してしまっているとしたら、それはなんとなくまずい気がする。

そのことで自分への害がまったくなければよい。ずっと良いふうに受け止めていれば気楽なもので幸せだから。

でも実は無理している場合、だんだん混乱してくるんじゃないかと思う。そう考えると、物事を良いふうににばかり解釈し続けるのも問題だなと感じる。とはいえ悪いふうに考えることに慣れていない場合、なかなか難しい。

「100%悪い人はいない」と子供が私に言った。それについて何か詳しく説明してくれたけどちょっと私の理解が追いつかず、その言葉だけが強く心に残っていた。だからもう一度説明してもらったところ、「何かした人がいて、それがある人にとったら悪いことになるかもしれない。そしたらその人は悪い人ということになる。でも別の人にとったらそれが良い結果をもたらすことになる場合もある。じゃあその人は良い人になる」という感じ。

ふむふむ、そうだな。私は物事には両面あるとよく思っていて、ここにもそうしたことを書いたことが何度かある。それの「人」バージョンというわけで、人の良し悪しも、見る人や見方が違えばその人の人柄というのは変わってくるということだ。

これ、そういえば今やっているドラマで「整君(ととのうくん)」も言っていたのを思い出した。

真実は一つじゃないけど、事実は一つなんです。

これだ。たぶんこれと似たようなことだ。真実が一つだと思い込んでいると見誤るという話。真実が一つじゃないなら、事実をしっかり見たほうがいい。これ、言葉の使い回しは違うけど、何度となく子供にこれまで言われてきたような気がする。ちょっと私の説明能力が足りなくて、文章力というより説明力ね、それが足りないのでこれ以上整理して書けないんだけど、まぁなんか私にとってはすごく重要なことなんだと思う。

うまくまとめられないけど、noteにはこういうのを上手に理解してくれる人が多いので、この辺で終わります。

今日も元気でがんばります。

あ、今日はね、noteの仲良しさんが「かまくら」を作るんだって。完成の写真を見せてもらうのがとっても楽しみ。

いいなぁ。ご近所なら入りに行きたいのになぁ。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨