#42 友達
「・・・好きな人がいるの」
涙と一緒にその言葉がこぼれた。でもそれを言うだけで精一杯で続きを話せなくなった。私がそのまま黙っている間にオルゴールの音は途切れ途切れになって、次第に止まった。
私のことを心配して来てくれた友達の春菜が、私をじっと見つめ次の言葉を待っている。でもこれ以上、何をどう話していいのか分からなくて戸惑っていた。好きな人が奥さんのいる人だなんて、軽蔑されそうで告白するのが怖い。
言葉が出てこなくて下を向きそうになった瞬間に春菜が言葉を繋いだ。
「私に言えないような相手との恋なの?」
ストレートな問いかけにごまかす余裕なんてもうなくて、握りしめていた手のひらに涙がいくつも落ちた。
「やっぱりそうだったんだね」
春菜が落ち着いた声で言った。
「奥さんがいる人?」
春菜の問いが続いた。
「うん」
私がそう答えると、春菜はしばらく黙ってしまった。今度は春菜が言葉に迷っている。言ってしまった以上、責められる覚悟はできているけどやっぱり怖い。自分でも良くないことをしているって分かってる。でもどうしてもやめられない。中山さんへの想いを断ち切ることができない。それに誰かから強く非難されなくても、私は毎日ずっと自分を責めている。中山さんと一緒に過ごせば過ごすほど生まれる幸せと同じだけ、罪悪感も生まれているから。
「さやか、あのね」
ようやく春菜が話し始めた。
「私はさやかのやっていることは良くないと思う。人として道を踏み外してるよ。だけど、さやかとずっと友達をやってきたからね、分かることがある。今の自分を一番責めているのは、さやか自身だよね。きっとさやか、すごく苦しいよね」
責められる覚悟で身構えていたのに、春菜の口調に責める空気はなくて、むしろ優しさを含んでいる。決壊しないようにとなんとかブレーキをかけていた涙腺が一気に壊れた。つっかえていた苦しさが涙と一緒に流れていく。私の苦しさを春菜が分かってくれたことにもホッとして、安堵の涙も混ざっていた。泣き続ける私の背中に春菜がそっと手を置いてくれていて、労るような気持ちも伝わってくる。
春菜、ありがとう。
私は春菜への感謝の気持ちを心の中で繰り返した。そしてひとしきり泣いた後、徐々に気持ちが落ち着いてきて、涙が止まった。
ようやく泣き止んだ私を見て、春菜が少し笑って「コーヒー冷めちゃったね」って言ったから、私も小さく笑って頷いた。今日やっと笑えた。張り詰めていた糸がやっとほぐれたよ。
それから私は中山さんのことをゆっくりと話し始めた。職場の上司だということ、恋心を伝えるつもりはなかったのに中山さんがその扉を開けたこと、岐阜で一晩一緒に過ごしたこと、奥さんが入院したこと、奥さんからの電話を取ってしまったこと、そしてラインへの返信がないこと。春菜は一つずつ頷きながらちゃんと聞いてくれた。
一通り話し終えた私は、わざと大きめの深呼吸をして重い感情を全部吐き出した。体に新しい空気を入れる。頭痛がいつの間にか消えていて、心がちょっと軽くなっていた。ずっと一人で抱えていた思いが行き場を得た感じがした。春菜に甘えちゃ駄目だとは分かっているけど、それでもやっぱり気持ちが救われる。
「このオルゴールって、もしかしてその中山さんからもらったの?」
春菜がオルゴールに触れながらそう言った。
「うん、そう。誕生日プレゼント」
「そっか、こういうのくれる人なんだね。さやかをそこまで本気にさせちゃった中山さんって人、きっと素敵な人なんだろうね」
「うん」と答えながら、またじんわりと目に涙が浮かんでしまったけど、春菜は優しい笑顔を私に向けてくれた。
「ねぇ、お腹すいたよね?」
そう言われて時計を見ると春菜が来てくれてからもう2時間近くも経っていて、すっかり夜になっていた。
「ごめん。何か作るよ」
私が慌てて立ち上がったら、春菜も一緒に立ち上がった。
「うん、一緒に作ろうよ。私、パスタがいいな。パスタならあるでしょ? コンビニでプリンも買って来てるしね。パスタの後に食べようよ」
そう言いながら先にキッチンに向かう春菜の背中に、私は少し大きな声で素直な気持ちを伝えた。
「春菜、ありがとう」
春菜がいてくれて良かった。
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第1話はこちらです。よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を最初から追ってみてください。さやかの切ない思いがたくさんあふれています。
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