#40 心の声
月曜日の今日はオフィスに飛び込むように出社して、帰りは逃げ出すように退社した。つらくて今にも泣きそうな自分を必死でおさえながら駅に向かう。
中山さんの奥さんからの電話を受けてすごく動揺したのに、それだけじゃなくて電話の向こうから中山さんの声が聞こえた。中山さんが奥さんを「利香子」と呼ぶ声が何度も頭の中でこだまする。
聞きたくなかった。その声がものすごく重く深く私の心に刺さっている。入院した奥さんのそばに中山さんが付き添っているのは当たり前のことだと分かっているけど、私に何も連絡をくれないままで聞いてしまったその声は私を絶望的な気分に突き落とすのに十分だった。
自分と中山さんの奥さんの立場の違いを強く感じ、それは同時に彼からの愛情の違いのように思えてならなかった。
ショックと悲しさで混乱したままの帰り道のことはよく覚えていない。夕方からひどくなっていた頭痛はもっと悪化していて、一気に物事を考えすぎた頭を一層痛めつける。部屋の鍵を開けたときには吐き気まで起こっていて、乱暴に靴を脱ぎ捨ててそのままトイレに向かった。
涙とともに胃の中のものが出た。
あんな電話取らなきゃよかった。そう思いながらもその電話を取ったのが私で良かったとも同時に思う。もし私じゃない誰かが奥さんに対応していたら、日帰り出張だったはずの中山さんが奥さんに嘘をついて1泊していたことがバレてしまっていただろう。それは中山さんと私の関係が壊れることに繋がるかもしれなくて、だから電話に出たのは私で良かったんだ。止まらない嘔吐と流れ続ける涙に苦しみながらも、そんな悲しすぎる慰めを自分にかける。
でも泣いている心の行き場はどこにもない。2年も思い続けてきた恋心がやっと中山さんの胸の中に届いたのに、夜を一緒に過ごして中山さんのぬくもりに包まれたのに、それなのにほんの少し状況が変わるだけで何もかもが崩れそうになる。私たちの関係だけじゃなくて、私の心も自分が思う以上にもろい。
もう吐くこともできなくなった体を起こし、洗面所に向かった。
鏡に映る自分を見て、また泣いた。
しゃがみこんで、膝を抱えて、また泣いた。
中山さん、私、頭痛がひどいんだよ。すごく苦しいよ。お願い、来てよ。抱きしめに来てよ。そう心で叫んだけど、どこにも、誰にも心の声は届かない。ただ自分の泣き声だけが部屋に響いている。
もう、無理かも。楽になりたい。終わりにしたい。
そう思った瞬間にインターホンが鳴った。誰かが来た。中山さんが心に浮かぶ。まさか。中山さんはここの住所を知らないはずだよね。それなのに期待する自分がいて慌てて立ち上がって鏡を見る。急いで髪を整えて玄関に走ってドアスコープに目を向けた。
「・・・春菜」
玄関の外に立っていたのは中山さんじゃなくて大学のときの友人の春菜だった。馬鹿な期待をしてまたショックを受けてしまう自分が惨めだ。でも落ち着かなくちゃ。ゆっくりと息を吐いて気持ちをしずめる。中山さんのことは誰にも相談できない。こんなボロボロの気持ちのときでも絶対に言えない。
そう強く思いながら、無理やり笑顔を作って玄関ドアを開けた。
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第1作目からずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼っています。それぞれ掌編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を最初から追ってみてください。
『中山さん』専用マガジンも作りました。
ほかにもいろいろ書いているのでよかったら覗いてみてください。