傷つけることと傷つくことの同時進行
「これはこうです」と、自分が正しいと思うことを理路整然と伝えたあとに相手からの反応がないと、だんだん不安になってきたりする。間違ったことをたぶん言ってないんだけど、どうなんだろう。それに正論ほど人を追い詰めるものはないからそういう意味でもどうなんだろう。
何かを突き詰めてしまうって、突き詰められるほうはもちろんしんどいけど、突き詰めてしまう側になってしまうのも意外ときつい。
でも突き詰めてる側なんだから、突き詰めたことで自分がしんどくなったり傷ついたりするのは間違ってると思う。相手を傷つけておいて、傷つけてしまったことに自分が傷つくとか、そんなの勝手すぎる。だけど現実的にそういうときにそうなってしまって、しんどいなと感じる。
こういうのって傲慢とかいうのかな。そうなのかもだけど、それでもそういう感情が湧いてくるのは正直なところだから仕方ない。自分のなかで自然と湧いてくる感情を否定しないほうがいいから、それはそれでそうなんだと受け止めるだけのこと。
傷つけたことで自分も傷ついた、なんてことを匂わせることもしないほうがいい。何それって話だよ。ただ粛々とクールな顔して物事を整理するのがベスト。
それとすごく重要なことがある。それは本当に相手が傷ついたかどうか、実は私には分からないということ。「私なら傷つく」と、私は私の感覚で判断してしまうんだけど、あくまで「私なら」なわけで、「私=相手」ではないんだよね。傷つきかたも、立ち直りかたも全然違うかもだから自分目線で勝手に想像して自分が傷つく必要はない、と人から言われ確かにそうだなと思った。
そもそも誰かを傷つけるようなことをしなかったらいいという話なんだけど、生きているとそういうわけにもいかない時期もあるんだと思います。ほんと難しいところだけどね。
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