とんきち
こんにちは☺︎
エッセイ投稿します!
実家にいたかわいい猫との思い出の話です。読んでいただけたら嬉しいです🐱
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かつて私の実家では、白地に黒いトラ模様の雄猫を飼っていた。15歳だった私は、その猫にとんきちという名前をつけた。母猫もわが家で飼っていたので、とんきちは生まれた時から私たち家族とずっと一緒だった。なんだかいつもびっくりしたような不思議な顔立ちをしている猫だったが、性格はたいへん穏やかで、唸っているのを見たことがない。
家の中で、私や妹に見つかると、もみくちゃにするほど撫でられてごろごろ喉を鳴らしていたのを思い出す。私は、猫ってこういう時に、人間が愛情を持って撫でているのが分かるんだと、うれしさを覚えた記憶がある。
とんきちは、みんなが台所に集まって話している場が好きで、それを見つけると輪の一角に座って、しっぽをぱたんぱたんと動かしていたものだった。にぎやかで平和な場所が好きだったのだと思う。
そんなとんきちが12歳になり2ヶ月ほど経った初夏のある日、彼はいつものように外へ出かけた後、帰ってくることはなかった。そのころのとんきちは、若い頃より動きが明らかに鈍っていて、歳をとったなと思わされることも多くなっていた。ただ、それでもまだふらりと帰ってくるのではないかと私は思っていた。私はそのころには就職し、遠く離れて暮らしていて、とんきちの日常の様子を見ていることが少なくなったので、実家にいた母よりも一層その見立てを強く持っていた。そんな楽観的すぎる私に比べ、生活を共にしていた母は、かなり心配していたようだった。そして1日経っても、ひと月経っても、とんきちは帰ってこなかった。
ああ、どこかで息絶えてしまったのかなと考えはした。寂しい気持ちになることもあったけど、いまいち本当にそうだと実感できないことが事実だった。とんきちが実家に帰ってきた夢を何度も見た。自分の中で腑に落ちないまま、季節は秋になった。
その頃には、まだどこか事実とは思えていなかった一方で、とんきちはもう帰ってこないのだろうなとだんだん考えるようになっていた。その秋のおわりに、私と夫は前々から訪れたい場所だった、ある寺へ行くことにした。
そこは招き猫がたくさん供えられている、都内でも割と知られた寺だ。偉人のお墓があることは行ってから知った。お堂のかたわらに、大小さまざまな大きさの招き猫が、所狭しと並んでいる光景が有名である。
私たちは、寺で招き猫を一体供えることにした。この日、初めからとんきちの供養をする目的でそこへ行ったのか、それとも行ってからそうすることにしたのかは、はっきりとは思い出すことができない。ただ、多分後者なのではなかったかと思っている。おそらく私はその日までに、無意識に心の中の気持ちを整理して落ち着かせていたのだと思う。寺ではその頃、牡丹が咲いていた。牡丹は,実家で見慣れた花だ。ふるさとで花開く、大きく鮮やかな牡丹とともに、愛しい猫のことを改めて想った。私は境内で、小さな招き猫を一体買った。そして、招き猫の体の背中側に、夫から借りたペンで「トン吉 ありがとう」と書いた。するとなぜか、突然に自分の目からするすると涙がこぼれて、止まらなくなった。とんきちがいなくなってから泣いたのは、この時が初めてだった。とんきちがいなくなってしまったことが悲しくて、心のどこかで、とんきちの供養をすることは、もう会えないことを認めることなのだと分かっていた。
私たちはベンチに座っていて、夫は突然泣き出した私に慌てていたが、やさしい目を向けてくれていた。私は涙を止めようとしたが、止まらなかったので、しばらく泣き続けた。とんきちに会いたい。でももう多分、この世界では会えないのだ。だからとんきちが、穏やかにいられるようにと祈った。おおらかで、心優しい、私たち家族にとって世界一かわいい猫だった。
涙が落ち着いてから、招き猫をお堂のそばに置き手を合わせた。一緒に過ごした日々の中の、とんきちの姿を想った。私が死んでからまた会えるのか、そんな機会などないのかは私には分からない。だけれど、これからはここにとんきちの体があると思って、また会いに来ようと思ったのをいまも覚えている。
今でもこの日は私にとって、もうあの子はいないんだと、自分の中で受け止めた大切な1日であり続けている。
そこから何年も経った春に、私たちは引っ越し先を探していた。ある日、偶然といって良いような経緯で寺近くの物件を見学した。晴れた春先の在りし日で、沿道に桜が咲いていた。物件の近くにさしかかると、黒猫が細い路地を横切った。私はとんきちのことを思い出した。とんきちは黒猫ではなかったけど。私は、この場所は暖かくて、懐かしいから、ここに決まるかもしれないなと思った。そして実際に、そうなった。部屋にはこれといった悪い点もなかったし、日当たりがよく住みやすそうだった。それに同日の見学だったもうひと組が来れなくなったようで、それもラッキーだった。
私は引っ越しの後、例の寺へ向かった。あれから来られていなくて、とんきちに申し訳なくて謝った。でもこれからは何度も来られるよ、と手を合わせて呼びかけた。季節が何度も巡ったそのあとで、ここにいることが不思議だった。とんきちがいてくれたおかげで、この街がこんなにいいところだって知ることができたよ。招き猫を見て、ここに初めて来た時のこと、そしてとんきちのことを懐かしく思った。