年を重ねることでしか手に入らないものもある
色々な賞に応募している作品が、かすりもせずに落選しています。
そこでがくーーっと落ち込んでショックを受ける……と思っていましたが、そんなことはありませんでした。
受賞した作品を読むと、もう本当に面白くて楽しくて素晴らしくて……学ぶものが多すぎることに気づけるのです!
そんな嬉しいことはありません!!
落選したこと以上に、「そんな素晴らしい作品が受賞したことへの嬉しさ」という感情が圧倒的に目立っていました。
そこは、普通は「自分が頑張って書いたものが評価されないの悲しい!」って泣いたり落ち込んだりして、そういうのをバネに成長するのがよく聞く話だと思うので、その方程式で言うと、私は成長しない人間なのかもしれません。
でも、私は自分が成長しないとは思いません。
また挑戦したい、って思えているからです。
私は、受賞した作品には足元にも及ばないことがわかりました。
受賞した作品の方々の伝え方や内容の面白さ、タイトルのつけ方、惹きつけ方から引き込み方……どれをとっても私には真似が出来るセンスも理解力もありませんが、たしかに学べるものがあったんです!
それを知ることが出来て、私は朝からずっとワクワクし続けております。
まだまだ走れる!
そう思ったんです。
創作の面白いところというのはきっとそういうところなんでしょうね。
どんなに上り詰めても、限界という頂点もゴールもない……エンドレスマラソンと言えばしっくりくるけどしんどくなる……ゴールを目指す人にはしんどく苦しいものかもしれません。
でも、逆を言えば、いくらでも走れるんです。
もちろん、10年前から比べると、原稿に向かう体力や視力・握力などの衰えは感じます。なんならある一定の年齢から、睡眠時間を削ることも厳しくなりました。(私はもともと睡眠を削ることには向いていない体質でしたが、それでも)
けど、体力やなにやらの衰えがある代わりに、別の能力がついている、と私は思うのです。
若い時には若い時にしかない能力があり、逆に年齢を重ねた人にしかない能力もある、と。
どちらが勝っている劣っているということではない……。
そして創作の世界は、若い頃にしかない感性はあれど、その逆もある。それを強みに出して、武器にすることも出来ます。
私はテレビなどで、どの分野でも「最年少受賞」という言葉を聞くと、「すごいね」という以上に絶望が湧きます。
可能性が狭まってくるからです。
最年少の年齢が下がって行けばいくほど、それを超えることがどんどん難しくなっていきます。仮に1歳で受賞、なんて日が来たら、もうそれを超えることが出来るのは0歳児しかいなくなります。0歳児が受賞するなんてことがあったら、それを下回ることが出来る人がいなくなります。詰み、というやつです。
逆に「最年長受賞」は希望が湧きます。
「頑張れば、あるいは何歳になってからも夢を叶えることは出来るんだ!」と。
若い世代が頑張るのは励まされる部分もあります。
ただ、常に若さを求めていくと、どうあがいてもそれ以上はない限界値というものがいずれ来ます。そこから先に、希望は持てなくなるのです。
生き物はみんなこの世に生きている限り、年齢を重ねていく。
そうすると、そういうものにとって希望となるのは何か。
未来だと私は思います。
何歳になっても希望が膨れ上がっていく、と思えば頑張れると思いませんか?
もちろん、就職などに年齢が制限され、自分の思うようにいかないこともあります。
でも、創作活動はそれに縛られない例の一つだと思っています。
確かな成功や安定が約束されない不安定さこそあれど、だからこそ自由な部分が大きいのです。
どこまでも駆けていける、羽ばたいていける。
自由とは自分が自分で責任が持てる最高の幸せだと思っています。
危険や不安と隣り合わせであれど、自分の道を自分で切り開いていける。
そして、失敗もまた成功と言える、それが創作というものだと思います。
長くなりましたが、私は受賞を逃したことを失敗とは思えません。
受賞する自体が目的で目標なら、絶望しても致し方ないかもしれない。
そこに受賞することが、最後の目標ならば、たしかに絶望かもしれない。
けれど、私は「一生創作活動をしていきたい」のです。
だから、今回受賞しなかったのは、私が生きていきたい世界には、もっとこんな高い山があるよ、と教えを賜れた好機だと思っております。
だから、こんな素敵な作品にめぐり合わせてくださり、教えを賜れたことを、私は幸福だと思っております。
さて、仕事します。