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教員養成・教員育成って、どうあるべき?

最近、「10年に1度の〇〇になりそうです!!」というワードを1年間で何度も聞いているので、再定義した方がいいんじゃないかと思ってしまっている教育探究マンのかつやです。
(こう思っているの僕だけ??)


さて今回は「教員養成・教員育成って、どうあるべき?」というテーマでお話しさせていただきます。

その前に紹介させてください!
もうすでに聞いた人も多いかと思いますが、5月8日の苫野一徳先生のVoicy!!

これはもう本当に教育関係者、教員を目指している学生さんたち全員に聞いてもらいたい!!!!
(自称、苫野一徳先生の弟子 を名乗りたいと思っている)

今回の記事を書こうと思ったのも、こちらのVoicyがきっかけです。

そして!

僕の中でも非常に関心が高いテーマなんですよ!!
(熱苦しくて申し訳ありません)

感想も含めながら、自分の考えもお話しさせてもらいます。

教員は「教育の専門性」も兼ね備えていなければならないので、
①教育の本質を考え抜いていること
②教育の歴史を知っていること
③世界の教育を知っていること
④教育の実証研究を知っていること

が大事であると苫野先生はおっしゃっていました。

お恥ずかしながら、僕はまだ浅く②〜④を知るにとどまっています。
(日々読書やオンライン勉強会などを通じて学んではいるが)

中でも①をできている(もしくはやっている)教員や教員を目指している学生さんはどのくらいいるのでしょうね?
(肌感覚ではかなり少数な気がする)

現場の教員はあまりにも多忙すぎる。
よって、そんなこと考えている暇なんてない訳です。

学生さんたちはどうでしょう?
教員養成がプログラム型になっているため、教育の本質を考えること自体がない。
(与えられたものに取り組むことしか知らない場合が多い)

言われてみれば僕もそうだったなぁ。
教員免許を取得するために、必要な単位を得るためにひたすら「座学」と「課題(レポートやテスト)」をこなし、模擬授業をやり、教育実習を行う。

教員採用試験に合格するために、対策講座を受講し、面接練習をし、一般教養・教職教養・専門教養の知識を詰め込む。

大学のやっている「教員養成」の定義が、「教員免許を取得させるための単位履修」と「教員採用試験の対策」とされていないだろうか?

もしそうであれば、僕は非常に危機感を覚えます。

今の学校現場に「合う」教員を養成するのではなく、
教育の本質を考え抜き、基本である「子どもを信頼し、任せ、待ち、支える」ことを実践できる教員を養成し、学校をイノベーションしてもらいたいと願っています。
(もちろん僕もその一員として)


そう考えると、やはり教育には「哲学」が必要で、学校の外側に「学び場」が必要だと強く感じます。

どういう学校なら「ワクワク」できるのか。
どういう教育なら「ワクワク」できるのか。

どうせ選ぶなら「ワクワク」する方を選びたい。


今回は「教員養成・教員育成って、どうあるべき?」というお話しでした。

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