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僕のペルー旅行記(10) パラカス諸島&ワカチナオアシスアクティビティ編

キャシングカードを落とした僕ら一行。圧倒的金欠の中、太平洋沿岸地域で僕たちは、生き延びなければならない。


ペルーの首都 リマ(Lima)でホテルまでのUberを拾う

僕たちは深夜の便でクスコから首都リマへ移動し、Uberでタクシーを拾って、宿へ向かう。事前の調べでは、リマの空港はタクシーの客引きがすごいらしく危なさそうな印象だった。確かにタクシーの客引きがすごいが、身の危険は全く感じなかった。

Uberでタクシーを頼むと、タクシーで来ているのかそれともそうではないのか判別がつかない。リマ国際空港の作りがそもそもそんなに大きくないことも関係している。イメージとしては埼玉の大宮駅くらいの規模感だ。実際、空港ロビーは道路を跨いでもう駐車場になっている。日本の中核都市にあるターミナル駅の駅前かをイメージして貰えば問題ないはずだ。

タクシーの運転手は、中年の男性で、お馴染みのJhoelくんよりはお茶目な人だった。なお、車は汚い。僕はUberで車を拾う、君は汚い車を披露。Oh Yeah。
Uberの履歴を見ると、名前はヘンリーというらしい。
南米っぽくない。よし、「ラモス」にしておこう。今日から彼はラモスだ。

ラモス君がお茶目だというのは「君たちは何人か」と聞いて、日本人だとわかると、「この楽曲を知っているか」と言って、花澤香菜やVtuberの楽曲を流してくれたことだ。それはもう自信満々にね。どうやら過去に日本人を乗せたことがあるのだろう。よく大学生とか20〜30代とかの若い年代でペルーに行ったブログに載せている人がいるから、そういう人を客として捕まえて、流したらそこそこ反応があったんだろう、と推察する。
連れはノってあげているように見えた。ノリはいいからね。
僕は「花澤香菜すげー」となっていた。南米でまさか聞くとは思っていなかったからだ。「花澤△(さんかっけえ)」

リマの民泊

僕たちの宿はリマ市のサン・イシドロ地区にある民泊だ。空港から20キロ程度の距離にある臨海部に位置する。あらかじめ深夜に着くと連絡していたが、建物のフロントの係員は爆睡している。鍵が閉まっているため、彼が起きないと中に入れない。仕方ないので、ガラスを拳で連打して、微睡から起こしてやる。
「4F」に行けと案内される。

エレベータから出たところがすぐ玄関で、真っ暗な中、履き物を脱いで、客室はどこだろうか探し回る。差し詰め深夜に不法侵入しているかのようだ。間違えてホストファミリーのベッドルームに言ってしまい、「突き当たりだ」と教えられる。

もう午前1時すぎ。起床は4時。3時間しか睡眠時間はない。僕は徹夜することにした。連れはシャワーを浴びて束の間の仮眠へ。なお、エアビーのサイト上ではシャワーが温水かどうか記載はなかったが、シャワーは温水もちゃんと出る。

僕はその間薄暗く寒いリビングで、一人研究を進める。一応、これでも博士課程在籍者だからね。

翌日に撮影したリマの夜景

リビングから見えるオーシャーンビューは一級品だろう。今は夜の帳が邪魔をして本来の美しさは影を潜めている。時折、サイレンの音がするのが、南米らしい。

4時くらいになるとホストファミリーの一人、家主のおじさんが起きてきた。彼の名前は知らないが、細身のお金持ちそうなビジネスマンといった感じだ。いい企業で部長さんとか役員とかをやっていそうな佇まい。「ミシェル」っぽい顔つきなので、彼を「ミシェル」と呼ぼう。

ミシェルはこの辺りが治安の良い場所であること、これからランニングに行くんだ、といっていた。そういえば、キング爺もランニングしているらしい。比較的若めの年代にもランニング仲間がいたので、もしかすると友達かもしれない。

さて、時間だ。連れの携帯からアラームが聞こえる。寝室に戻ると、連れは寝ぼけ眼だ。僕は準備を済ませ、連れを待つ。
集合時間ギリギリ遅刻する時間に僕たちはUberで出発する。
今回の運転手は体躯の良いハードボイルドな親父だった。名前は……リチャードだ。リチャードは、無口で無愛想なタチで、10ガロンハットが似合いそうなサングラスをかけたおっさんだ。

サンイシドロからミラフローレスへわずか2キロばかりの移動だが、途中で装甲車が警備していたために、リチャードは目的地の2ブロック手前で苛立ちながら、「降りろ」という。

ミラフローレス地区に配備された警備体制の様子。小銃を肩から下げた軍人たち、装甲車と物々しい様子だ

リチャード、良いことを教えてあげよう。ビジネスは愛嬌だ。

パラカス・ワカチナオアシスアクティビティ

そうだ、忘れていた。僕たちが向かっているのは、この日参加するアクティビティの集合場所だ。差し詰め海浜公園といったていの海辺の公園に面した大通りに人だかりができていて、これがどうやらアクティビティに参加する人たちのようだ。

笑顔の素敵な溌剌としたお姉さんが居て、どうやら彼女が本日のアテンダントのようだ。連れの名前が読み上げられるが、暦のような名前のせいで、読み間違えられている。ちょっとだけ面白い。

僕たちが参加するアクティビティは大体一人13,000円程度のもの。
パラカスでバジェスタス諸島を見た後、レストランで食事(自由行動内)、そしてワカチナオアシスでバギーとサンドボードを楽しむ。追加料金でワカチナオアシス観光時間を減らしてバギーとサンドボードだけを楽しむこともできるみたい。僕たちは標準的なパターンにした。

バスで4時間程度南下してパラカスへ向かう。長距離バスでやることといえば一つだ。
UNOでもトランプでも将棋でもない。
そう、睡眠だ。

ようやく僕の睡眠時間だ。アテンダントのお姉さんが、皆に寝ないで「話を聞いておくれ」というが無視だ。こっちは伝家の宝刀アイマスクも持ってきているんだ。

パラカス/バジェスタス諸島

バジェスタス諸島に向かうボートの船着場。このボードと一緒に写真を撮れると写真代を請求される仕組み

船着場でチケットが配られ、同意書にサインしろとアテンダントのお姉さんが言う。僕たちはサインする。何が書いてあるかわからない。

パラカスの浜辺の風景。奥にマリンアクティビティの遊具が置いてあって風光明媚さがだいぶ損なわれている。

船着場で並んでいると、連れは青いジャージを着た地元の中学生に写真を撮ってくれと頼まれていた。連れのどこが珍しいのだろうか(失礼)。

そして、救命胴衣を着て、ボートに乗り込む。ここからは波に揺られつつ、海の生物を楽しむ時間だ。僕の言葉はいらないだろう。アシカ、ペンギン、ヒトデ
ウミガラスなどなど、普段野生で見ることのできない動物たちがそこに棲息していた。

救命胴衣を着る乗り込んだボートは狭い


ボートは自然の岩石のアーチの中をところどころ進んでいく
アシカ
フンボルトペンギン
宮崎駿がアニメにしそうな風景 ヒトも棲息している

連れは大興奮だった。そして僕もそうだ。
僕は目眩く光景をこぼすことなく目に焼き付ける。

ただ興醒めだったのは、後ろに座っていた自称インフルエンサーのような若い女性だ。そいつは、自分が座った席が写真撮影に向かないと知ると、臆面もなく、後から来た僕たちに席を譲るかのように「どうぞ」という。そして自分は一番見やすいところに座ると、強い日差しを避けるため、ボートの中では横になって、いざ見どころになると、猛然と立ち上がり、ペンギンを撮影しつつ、ボートの縁に腰掛けてポーズを取って自分も撮影する。
このような人間は嫌いだ。ボートから落ちて仕舞えばいいと心の中で思っていた。

パラカスの船着場にもどり、僕たちは昼食を撮りにレストランに入る。

僕たちはここでセビーチェを食べた記憶だ。相変わらず連れは酒を飲む。ここの料理も美味しかった。港町ではやはり魚介を食べるに限る。

連れがトイレに行っている間に集合時間になってツアー参加者が集まっていた。急いで連れを呼び戻す。
バスでは今度は連れが爆睡していた。

イカ(Ica)という街を経由して1時間ほど移動するとワカチナオアシスだ。

オアシス(ワカチナ)

ワカチナという町にあるオアシス。ここがこの日の最終目的地だ。

まさに砂漠の中のオアシス

オアシスという言葉が字義通り当てはまる光景を人生で初めて見た。僕と連れは、オアシスの周りでちょっとした撮影会を楽しむ。

オアシスの岸辺を歩く鳥

オアシスの周りは石のタイルで綺麗に装飾され店舗が並ぶ。

ワカチナのオアシスに面して建つHotel MOSSONE

僕たちはオアシスの周りにある店の値段を見ながら、少し不便そうなところが安いんではないかと仮説を立てて、のぞいてみる。そこで夕飯を食べることに。
僕はご飯が食べたくて仕方なかった。だからパエリアを注文する。
連れは肉と揚げ物のプレートだ。

レストランの裏口から出れば、目の前が実は集合場所になっている。

そこで皆で集まってバギー乗り場まで、砂漠を歩く。
連れはトイレに行くといって隊列を抜けた。僕は待つ。だいぶ皆が先に行ってしまったがなかなか連れが戻ってこない。少し不安になる。
ようやく、連れが戻ってきた。慌てて皆のいるところに向かう。

しかし、砂漠は歩きにくい。踏み込む足が埋まり、踏ん張りが効かない。
これでは体幹が鍛えられてしまうではないか。

僕たち以外にも隊列から逸れた人たちがいたおかげで、なんとか置いていかれずに済む。

10人程度が1台のバギーに乗る

バギーが走るコースは、段階的にアトラクションとしての刺激が乗客にもたらされるように工夫されている。
エンジン音を轟かせ、砂の上を快速に飛ばしてく。少しずつ、左右に振動が加わる。そして坂に差し掛かりスピードが落ち、力むエンジン音を響かせながら斜面を駆け上がる。そして頂点に差し掛かる頃に、ほとんど止まるかのようなスピードになって、一気呵成に斜面を駆け下る。まるで、ジェットコースターのようだ。
思わず声が出てしまう。

後で発覚することだが、このジェットコースターの中で、連れはメキシコの友人とお揃いで購入した装飾品を紛失してしまう。

そうして20分程度、バギーを楽しんだあと、バギーの集まる一帯でバギーは止まる。皆降車して砂漠の写真を撮る。

砂漠の夕景

そして、サンドボードの体験だ。
ボードが配られる。バギーの後部の荷台を開いて、バギーの運転手が皆に渡していく。木製のボードはだいぶ傷んでいて、ボードのへりはささくれ立っていて、さらに紐がちぎれている。その板に運転手は固形ワックスをざざっと適当に塗りたくる。

左上から右下へとボードで滑り落ちていく。左上にいる三人のうち、二人の方を向いているのが運転手

最初にアメリカ人の退役軍人のお爺さんがいく。皆が顔を見合わせているので、そ僕は次に立候補する。怪我したらその時はその時だ。
高さは、10メートルから15メートルほどの高さのある斜面のヘリにボードを乗せて、さらにその上に自分の体をうつ伏せに乗っける。
眼下にはなかなかスリルのある光景が広がる。
ええい、ままよとばかりに身を乗り出すと、一気にボードは斜面を駆け下る。
こういう時、変に抵抗をかけると体勢を崩すのでかえって危ない。むしろスピードを出すようにした方がいいのだ。
終盤になると、ボードが弾む。バランスを崩しそうで怖い。そしてようやくボードは止まる。
先に降りたじいさんは「こんなの軍の訓練でもやらなかった」とこぼしていた。
僕は砂丘を上がって行こうとする時、連れがあられも無い声をあげて落ちていくのが見えた。それを大変面白そうに退役軍人じいさんは動画で撮影し、「あなたが一番最高だった」と連れに笑いながら話しかけていた。
なぜか知らないが、連れの方がモテる。

僕たちはバスに乗って、クスコ市街へと帰ってくるのであった。



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