僕のペルー旅行記(4)オリャンタイタンボ編
現地に行ったことのある人やペルーについてある程度知っている人を除けば、おそらくほとんどの方が、どのような旅をしているのかわからないと思う。
だから、Googleマップを使って簡易図を作ってみた。黄色の矢印は初日の旅程、水色の矢印はこれからの旅程を示している。
というわけで、ペルー滞在二日目はマチュピチュに向かう。
オリャンタイタンボ遺跡とペルーレイル
午前7時、僕たちは朝ごはんを食べずに宿を出て、オリャンタイタンボの遺跡に徒歩で向かう。10分程度の距離だ。
オリャンタイタンボの町並み
雨は止んだが、まだ雲は残っている。石畳の道には昨晩の雨が水溜りとなって残っていた。昨晩はしっかりみる余裕がなかったが、オリャンタイタンボはゴツゴツした道の両側に赤い瓦と土壁でできた建物が立ち並ぶ、それなりの規模のある集落だ。街並みはせいぜい2階建ての建物しかない。だからこそ、街の真裏から山肌を迫り出して天へと突き抜けるように聳え立つ山々に、この小さな町並みが取り囲まれてしまったかのような気持ちになるほどだ。
オリャンタイタンボ遺跡
アンリ・ファーブルの『インカ文明』(小池佑二訳、文庫クセジュ、1977年)によれば、オリャンタイタンボの砦はクスコのサクサワマン砦と並んで「軍事用建築の最も優れた事例である」(103頁)という。少しだけ引用しておこう。
砦の小口に配された大きな石、日本の城郭における横矢掛りのように進路の側面からの攻撃が可能であるような構造が見られ、ペルーの歴史に疎い僕ですら、ファーブルの「軍事用建築の最も優れた事例である」という言葉は的を射ているように思えた。
スペインに征服されたインカ帝国だったが、その後インカ帝国を築いたインカ族は、マンコ・インカという族長に率いられ、いわば「反乱」を起こすことになる。1536年4月のことだ。その反乱の際に、ここオリャンタイタンボは激戦地の一つとなった。
この事実からでもオリャンタイタンボは軍事的な要所だったということがわかる。
最上部には神殿らしきものや巨石(巨石信仰があったらしい)があり、単なる軍事要塞に止まらないオリャンタイタンボ遺跡の祭祀的宗教的側面が垣間見られる。
しげしげと遺跡鑑賞する僕の横で、連れは高所恐怖症のせいでおっかなびっくりしながら石段を下り、かと思えば「アルパカじゃん」とか言いながら写真を撮りながら、「でも触ったらべっとりしてそう」と嫌そうにいう。こういう些細なことが一人旅にはない楽しさだと思わせる一幕だ。
ペルーレイルでパノラマを楽しむ
気がつけば、列車の時刻になっていた。このまま歩いていくと、列車の出発時間ぴったりに駅に着くことに。小走りになる僕と連れ。
息絶え絶えになりながら駅に着くと、人だかりが。そして列車も停車している。間に合うか。急いで、駅員にチケットを見せる。
すると、「あ、この列車は次の列車だよ」という。時計とチケットを思わず取り出して見比べる僕。やはり時間は合っている。けれども客車の横を急足で歩くと、チケットに記載されている車両番号がない。つまり、列車は時間通りこないということだ。これぞペルークオリティ。
そこで連れと僕は駅にあるカフェで朝食とコーヒーを買うことに。連れはカフェオレっぽい飲み物と肉の入ったパンを、僕は普通のコーヒーとパイのようなもの(甘そうだと思ったらほうれん草のキッシュだった)を買った。
マチュピチュに行くのに、ペルーレイルのチケットは実は高い。今回はちょっとリッチなチケットにした。リッチなチケットには社内サービスが含まれており、饗応としていくつかの菓子(コカ飴やキノアチップスなど)が出された。
ペルーレイルの美点は車内から絶景を見ることができる点だ。晴天の下、遠くには氷河を湛えた峰々が聳え、目の前には断崖が迫り、ウルバンバ河の急流が岸辺を抉るような荒々しい自然の姿がそこにはある。僕はそれを夢中になって目に焼き付けながら、マチュピチュ駅に向かう。
総評すると、行きはペルーレイルがいいのではないかと思う。ただ、帰りは別の安いルートで帰ったほうが良いのかもしれない。ただリッチなチケットにする必要はないという印象。帰りはリーズナブルなチケットを購入したが、パノラマを見る分にもリーズナブルなチケットでも変わりはなかった。