淫魔屋敷・拾五話
〜淫魔屋敷〜
朝を告げる鶏鳴く、卯の刻。
明け六つの時、この屋敷の住人は夜仕事の為に全員が沼に落ちたように寝ている時間。
寝静まった屋敷内を、一人静かに歩く女。
「紀美も葵もいなくなりやがって…」紫緒
紫緒は上から命ぜられた使命を遂行すべく、あてにならない同僚を見限りながらも事を実行しようとしていた。
廊下から段差を降り、朝日の差し込む台所へと足を踏む入れた。
「例の金庫は……ここだね」紫緒
布で覆われた棚に隠れた金庫を紫緒は見つけ出し、鍵を外そうとする。
その時、後ろから誰かに肩を叩かれた。
ビクッと身体を硬直させ、紫緒が後ろを振り返るとそこにいたのは…
「おはよう紫緒ちゃん。朝早いんだね!」莉々
「あっ…お、おはよう!莉々ちゃん…ちょっと麗子さんに金庫持ってきてくれって頼まれてね!」紫緒
「あ〜そうなんだ。私も麗子さんに頼まれてたの…紫緒ちゃんをよく見といてあげてって」莉々
「そう……か…」紫緒
「うん。私はもともと早起きだからね、紫緒ちゃんが何かするとしたら、皆んなが寝てるこの時間だろうなって」莉々
「何かするって…」紫緒
「お金は全部、麗子さんが部屋に持っていってるよ。なんか前に盗難があったらしくて、それ以降はそうしてるみたい」莉々
その様子を店から見ていた麗子が一言。
「そうなのよ〜不用心だからね」麗子
「あっ、おはようございます!麗子さん」莉々
「音子達を店で待ってたら、うたた寝しちゃったみたいね…」麗子
紫緒は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「くっ…見張り役するはずだった二人がいなくなったせいで……」紫緒
「どうしたの?紫緒ちゃん。お友達がいなくなっちゃって寂しいのかな?」麗子
「わかっていたんでしょ…」紫緒
「そりゃ〜悪巧みした顔の娘さん達がこぞって押しかけてくりゃ何かと思うわよね」麗子
「どうぞ、煮るなり焼くなりすりゃいいさ」
紫緒
「そんなことしてどうなるってのさ…こっち来てお座りよ。少し話そうじゃないか」麗子
麗子は店のカウンターに紫緒を呼び寄せ、座って話をした。
「莉々、お茶入れてくれるかい?」麗子
「はい、お二つで…」莉々
「三つ、莉々も一緒に話そうじゃないか。」麗子
麗子は隣に座る紫緒の顔をジッと見据え、静かに口を開いた。
「あなた達、酷い目にあってるんだろ」麗子
「……アンタに関係ないだろ」紫緒
「紀美は逃げ出して、葵はどこかに行ったきり…彼女達はもう帰ってこないよ。自分の意志でね」麗子
「あの二人は甘っちょろいのさ!責任も何もかもアタシに押し付けて!」紫緒
「とんだ泡食っちまったね、紫緒は」麗子
「そうさ!こんな無茶な仕事させやがって…アタシだけ逃げられないのわかって…」紫緒
「アンタも逃げりゃいいじゃないか」麗子
「あの二人みたいに男で人生狂わされたくないんだよ!もう、懲りごりなのさ…」紫緒
「まぁ、お茶でも飲んで下さい。どうぞ…」莉々
紫緒は入れたてのお茶をグイッと飲んだ。
「…あんたらは凄いよね。女のアタシ達には理解できないよ」紫緒
「なにがですか?」莉々
「アタシら女ってのはさ、男を使っているようで結局のところは支配されてんだよ。平たく言うと、男無しでは存在価値がないって人種なのよ」紫緒
「存在価値…?」莉々
「そうよ、男がいなきゃ恋をすることもない。男が求めなきゃ気張って働くこともない。男を愛さなきゃ子を産むこともない…」
紫緒
「紫緒、もしかして…」麗子
「ここで何日か過ごしてたらさ、別に女なんか必要ないんじゃないかって思っちまうようになっちゃったよ!笑」紫緒
「……」莉々
「男のクセに女のマネしてさ、それで男を喜ばせて。手玉にとって良い気分にさせて…」紫緒
「マネね…」麗子
「女の偽物だろ!アンタらなんて。化粧の仕方だって、着物の着方だって!」紫緒
「そうかもね…」麗子
「仕草なんて女そのものじゃないか…そんなことされたら、アタシら女の立場がないよ」紫緒
「紫緒ちゃん…」莉々
「羨ましいよ、あんた達みたいに生きたかったね!まぁ、無理だけど」紫緒
「子供いるんだね…」麗子
「……そうさ。やっと乳離れしたとこでね。」紫緒
「えっ?それじゃその子は…」莉々
「竹中組に預けてるんだ、人質みたいなものだよね…」紫緒
「だから紫緒ちゃん…」莉々
「逃げれないよな…」麗子
「とりあえずアタシはここを出るよ、迷惑かけたね」紫緒
テーブルの上のお茶を飲み干し、紫緒は席を立った。
「ねぇ、大丈夫なの?」莉々
「アタシのこと?子供のこと?どうだろね…なるようになるんじゃない…」紫緒
「ちょっと一つ聞いてもいいかい?」麗子
「あの子のことかい?華恵ちゃんだっけ…」紫緒
「無事にすごせてるかい?」麗子
「悪いことは言わない…あんなトコにいたら長くはもたないよ」紫緒
「どこに…どこにいるんだい?!」麗子
「裏の蔵に他の遊女と閉じ込められてるよ」紫緒
「やっぱり…」麗子
「これ以上は自分の目で見てみることだね。それじゃ、アタシは吉原に戻るよ」紫緒
紫緒は店の引き戸を開け、去ろうとした。
「気をつけてね」莉々
「ゴメンよ、逃がしてくれて…」紫緒
そう言い残し、紫緒は去って行った。
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昼過ぎに帰ってきた音子は、眠気に耐えながら琴の練習を純に付き合ってもらっていた。
「そこを摘んで、こっちで弾いて〜…そうそう!上手〜〜!」純
「だんだん慣れてきました〜!」音子
「昨晩は大変だったのに凄いじゃな〜い」純
「いえいえ、早く屋敷の役に立ちたいから」音子
二人で練習していると、それを聞きつけ莉々が部屋に入って来た。
「琴の音がするから、来ちゃった〜」莉々
「莉々ちゃんもお疲れ〜!」純
「ねぇ…莉々、紫緒ちゃんも帰ったって?」音子
「うん…今朝ね……」莉々
莉々は二人に朝の出来事を話した。
「そうか…子供がね…」音子
「可哀想だね…」純
「私も麗子さんも引き止められませんでした…」莉々
「華恵のことも言ってたのね…」純
「はい…私はその辺は分からなかったけど」莉々
「ふ〜…そうかそうか…ねぇ、音ちゃん」純
「はい」音子
「さっきの曲、莉々ちゃんも入ってもらって演奏してみようか!」純
「えっ?!笛で?吹けるかな…」莉々
「暗い話ばっかりしててもしょうがないし、街中に聞こえるくらいの音を奏でちゃおうよ!」純
「はい!やってみます!」音子
「アタシは琵琶で演奏しよ〜」純
「じゃ、じゃあ笛で入ります…」莉々
「では、奏でます。
とどろけ旋律
響け淡い音色……(ポロン…)」音子
♪
言の葉を紡いで
微睡んだ泡沫
旅人迷い込む
御伽の深い霧
各部屋で皆が音色を聞き入る。
「あっ…この曲…」お蜜
「素敵な音色…」梅
「華恵の好きだった曲だ…」久美
麗子は一人物思いにふけった。
そして、迷いを断ち切るように決断する。
「助けに行くからね…待ってな…」麗子
♪
求め探して彷徨ってやがて詠われて
幾千幾万幾億の旋律となる
いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなき物語
続く…