敗けを認めた私は勝者
2024/11/07
私は昨日気づいたことがあった。
それは「私に足りないのは物事に向き合う姿勢」だと。
好きなものややりたいことは年々変わっていく。自分がその時何に触れるか、何を体験するかで。
でも物事に向き合う姿勢はこれまでの過去の自分の習慣で作られていると思った。
人間できることが増えると、マンネリ化して新しいことに手を出したくなる。
私の周りにも自分でコンテンツ販売をしている人がいたが、最近飽きたと言っていた人がいた。
きっとその人は最初はそれがやりたくて始めたに違いないけど、その中でできないことやきついこともあったと思う。それでも少しずつ歩みを進めていって、そして100パーセントやり切って飽きたのだと思う。
飽きたというよりそのことに対して完全燃焼したのだと。
「継続」って私は少し抽象的な表現だと思った。
継続という言葉を具体的に私の考えで述べると、核とすることは変えないけど、その核をより生かす?ためにどうするかさまざまなやり方を試す、型にはめることはせず、でも核は変えない。これが継続の本質なのではないかと今になって気づいた。
今の私の人生の中で核というのがわからない。何を大切にしていきたいのか。
でもそのなにか守りたいもの、大切にしたいものができた時に、これまでの自分の「物事に向き合う姿勢」がきっと生きてくると思った。
だから私は今は何かに絞るのではなく、大切ななにかを見つけた時に、それを本当に大切にできるために、今目の前のことを本気でやってみようと思う。
私は完璧主義だ。
やると決めたら100パーセント思い通りの結果にならないと気が済まない。
でも結果はやるまでわからない。だから結果を見るよりも得たい結果を得るためになにをしたかという過程にもっと目を向けて、より自分の理想に近づけるためにブラッシュアップしていこうと思った。
きっとしんどいこともある。できない自分にイライラすることもある。
仕方ない、これが今の私だから。
"俺たちの箱根駅伝"という本で「敗けたことを認めることで勝者になる。敗者だからこそ得るものもある。」と学んだ。
そう、今の私は何もできないことは認めた。だから私は勝者だ。