「歌を抱えて」が聴けるようになった話


岡野昭仁さんのソロアルバム、「Walkin' with a song」のラストに収録されている「歌を抱えて

優しくて、あたたかい歌だよね。


けれどアルバム発売当初は、この歌だけちゃんと聴けなくて。2〜3回聴いたきりだった。大好きな昭仁さんが作った歌なのに。オタク失格だ…

私の父。
私が19歳の頃に他界したけれど、話せるような父との思い出がない。
昭和の頑固親父みたいな父。因みに殴られた経験はない。あ、お酒買ってきて〜はあったなぁ。

ほとんど関わっていなかったように思う。
父は職人で、いつも仕事が忙しかったし土日も不在が多かったから、遊園地や公園に行った記憶、欲しいものをねだって買ってもらった記憶など…ひとつもない。
上に二人いて私は末っ子だけど、あまりかまってもらえなかった。

だから「歌を抱えて」は、羨ましさや埋められない寂しさが込み上げて聴けなかった。
愛に溢れた歌…眩しかった。
聴いたら、自分はこんなに愛されていなかったかもしれないと考えてしまうのが怖くて。

転機が訪れたのは今年の初夏。
私物整理(主にポルノグラフィティグッズの回収!)のため、実家に帰ったとき。
何気なく開けた本棚の引き出しの中に一冊の手帳。母に許可を得て、手帳を開いてみた。そこには、大事そうに何枚かの手紙が挟まれていた。
子どもの字や10代の女の子が書いた字…。
全部、私の字だった。私自身、書いたことを覚えていないけれど。
「お誕生日おめでとう」「早く退院できるといいね」みたいなことが、キラキラとしたラブリーなメモに書かれていた。

それを見て、特に泣くことはなかった。
けれど、すごくホッとした。
愛されてて良かったー!大丈夫だったー!という気持ち。

それから父を懐かしむ気持ちが芽生えるようになって…ふと、歌を抱えてを聴いてみようと思った。

相変わらず話せるような思い出話はないけれど、
・小学生のころ、宿題で作ったダマだらけの白玉団子を何も言わず最後まで食べてくれた。
・療養のため休職中だった父が、いつも大学まで車で送ってくれた。「行ってらっしゃい」と、運転席から声をかけてくれた。
・癌が進行してどんどん痩せていく中、私だけが変わらない態度で父に接していたことに救われたと言っていた(と、母から聞いた)。

歌を聴きながら、こんなことを一気に思い出した。
なんでずっと忘れていたんだろう。

父は、不器用ながら私を愛してくれていたのかも。
愛に溢れた歌、「歌を抱えて」
聴くと思い出が溢れてくる。
そのうち、話せるような出来事も思い出すのかな?

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