すずらん颯のお米の生産者を紹介します。
今回は、私たちが創る"ふる里"と呼べるコミュニティの仲間であり、すずらん颯で提供しているお米の生産者である安藤理司(あんどうさとし)君を紹介します。
彼は静岡県掛川市からの移住者で、現在は約2ヘクタール(20,000㎡)の田んぼを耕す35歳の若き米農家です。
完全農薬不使用米で、すずらん颯ではオープン以来ずっと彼のお米一筋なのです。
安藤君のお話を伺いましょう。
私が農業を始めてから今年で11年目になります。
とは言っても、本格的に本物を作りたいと思い勉強し始めてからは5年目です。
私はもともと実家が農家だったわけではないし、学生時代はずっとスポーツに打ち込んでいたので農業とは無縁の人間でした。
ではなぜ、現在米農家をしているのか、経緯を少しお話しさせていただこうと思います。
私は小さい頃から身体を動かすのがとても好きでした。
学校の休み時間も休みの日でも、家でゲームをするより外に出て遊んでるような子でした。
小学3年生の頃、友達に誘われたのがきっかけでバレーボールを始めました。
最初は下手くそでチームも弱かったのですが、全国大会出場を目標に掲げ、ほぼ休み無しで練習に打ち込みました。
その甲斐もあって最後の夏の大会には県で優勝し、全国大会出場の目標を達成することができました。
小学生でしたが、その時の達成感と感動は今でもよく覚えています。
そんなバレーボールのおかげで、高校も大学もお誘いを受けて進学することができ、真剣に打ち込んで来て本当に良かったなと思いました。
支えてくれた家族や恩師や仲間には今でも感謝しています。
そして、引退をしてからいざ就職となった時に、特に就きたいと思う仕事がなく、初めは消防士を目指していました。
身体を鍛えるのは好きでしたし、やり甲斐もあると思い試験を何度か受けていましたが、本当に自分が人生をかけてやりたいことなのか真剣に考えた時、そうでは無いなと思いそこから身が入らなくなってしまいました。
次の候補として林業、農業を考えていたところ、母が移住する長野県の知り合いの方から農業をしないかと誘われたのがきっかけとなり、それが現在に至る出発点となりました。
大学を卒業する年の3月に東日本大震災があったことも農業を選択した大きな理由です。
自分も同じ境遇にあったなら、お金より何よりまず食べるものが第一だと考え、自分で作物を作れることは今後必要な能力だと強く思ったのです。
そんなことで始めた農業ですが、初めから農薬・化成肥料は使用しない方針で栽培はしていたのですが、続けていくうちに販売農業よりも本当に人の身体にとって良いものを作るにはどうしたらいいのだろうと考えるようになりました。
バレーボールをしてる時と同じで、こう思ってしまうと突き詰めるのが私の性格のようです。
それからは勤めていた農業法人の方針と自分の方向性が合わず、退職して自分のやりたい農業を模索していくことになります。
退職してから色々な有機・自然栽培のセミナーを聞きに行ったり本を読んだりしましたが、どれも腑に落ちず悩んでいたところ、母親からある一冊の本をもらいました。
それが、今実践している農法の師である柿澤宏仁氏の「毒を摂ってはいけない」という本です。
その本を読んで、本物づくりとは自然のメカニズムをよく理解することがまず第一だと気付き、とても腑に落ちたのです。
それからすぐに柿澤さんに電話をし、話を聞かせてもらいに行きました。
その際、柿澤さんはご高齢で田畑を引き継いでくれる後継者もいないということでしたので、不安はありましたが私が引き継ぐことにさせていただきました。
柿澤さんは約30年間、今の農法に至るまで大変な苦労を重ねて来られた方なので、その農法と田畑を引き継ぐ事に対してとても覚悟がいりました。
そのことで悩んでいる時、ある出来事が私の後押しをしてくれたのです。
それは、母の死でした。
そもそも母がなぜ柿澤さんの本を見つけたのかというと、体調を崩していたのを友達に相談したところ、柿澤さんを紹介してくださったそうです。
そこで本をいただいて私の手元に届いたという事です。
母の死因は子宮頚癌でした。
気づいた時にはもう手遅れという状態で、病院からも緩和ケア、要は安らかに逝けるようにすることを勧められていました。
しかし、本人も家族も諦めていなかったので、自宅療養でできる限りのことはしたのですが、間に合いませんでした。
まだ52歳という若さでしたので、まだまだたくさんやりたいことはあったでしょうし、本人が一番悔しい思いをしたと思います。
残された家族もとても悔しかったですし、とても悲しい思いでした。
結果、この出来事が私を後押ししてくれることになり、今に至ります。
現在、日本では癌患者が増え続けています。癌だけでなく色々な病でご家族を亡くし、悲しい思いをしてる人達が何人もいます。
病気になる原因は様々ですが、基本は食にあると私は考えます。
みんなが健康でやりたいことを全うできる人生を送るためには、その食が本物である必要があります。
私はそれに貢献したい思いで農業に取り組んでいます。
個人で農業を始めてから辛い事はたくさんありましたし、暗い話も多々ありますが、今まで続けていられるのは農業にやり甲斐を感じ、楽しんでいることが一番の要因だと思います。
また、そういった思いで一所懸命取り組んでいれば、理解してくれる人が必ず現れますし、協力してくれます。
私にとっては柿澤さんやお客様、友達や家族みんながそうです。
全ての方に感謝して、今後も本物づくりを頑張っていきたいと思います。
以上です。
安藤君は24歳の時に、五井野博士がきっかけで信州へ移住したお母様から農業を勧められて移住しました。
10年程前に長野県大町で開催された博士の講演会で私は彼と知り合ったのです。
東日本大震災があった当時は、私は神奈川県相模原市に住んでおり、地震を体験したので安藤君の考えはよくわかります。
また元陸上自衛官として、有事の際は都会のインフラが如何に脆弱かということもよく理解しています。
生命を維持していくためには、清浄な土と水が最低限必要という思いは、私も安藤君と一緒です。
人脈も土地勘も無いところで、独立開業することはとても勇気とエネルギーのいることです。
しかし、それ以上に、後に引けない「やらなければならない必要性」というものが私達にはあるのだ、という実感が強く湧いた彼との会話でした。
それから、お嫁さん募集中、とか言ってなかったかな?
今は一人じゃ手一杯、と言っていたのはそういう意味かと思ったんだけど、私の勘ぐり過ぎだったかな。
【おまけ】
10月初旬から浮世絵ギャラリーの前に駕籠を展示しています。
かなりの関心と好評を頂いています。
当館の駕籠の由来は...よくわかっていません。