無功徳
無功徳(むくどく)とは、禅の教えにある言葉で親切や善行におけるご利益や見返りなどはなく、求めているようであればそれは真の善行や親切な行いではないということです
私自身にも経験があることを例にお話させていただきます
以前、私が中心となって任されていたある仕事があり、当時とても苦労して資料を探し回り時間をかけて提案して構築した成果物を、あっさりその時の上司に何の断りもなく手柄を横取りされたことがあります
私には何の承諾も相談もありませんでした
その上司は私にわからないように知らないところで他のスタッフから資料をもらって発表したようです
この話も上司の行動を不審に思ったスタッフが私に教えてくれました
会社組織においては、上司が部下のしたことをプロジェクト全体の功績として報告するのは当然なのですが、その上司は業務内容を理解していないにも関わらず、その成果物はまだ試作の段階にもかかわらず、課題や問題など全くお構いなくただ「こんなすごいことをやってます!」くらいの安易な軽い気持ちで自分の手柄のように会社に発表をしていたのです
とても悔しい思いをして夜も眠れませんでし、その時はまだ報告に挙げるには早い内容でしたからその後の対応も面倒なこともあり、その上司も会社も信じられなくなり怒りが収まらず仕事を辞めようと思いました
もし、その上司が私に何か一言でもあればこんな気持ちにはならなかったと思います
人は皆自分を認めて欲しいという承認欲求があります
この世を生きる上である程度の欲は必要です
決して悪い意味だけではなく、向上心につながり原動力となる場合もあるからです
上司に横取りをされた手柄は、もちろん私一人でできたことではありません
ですが、自分も苦労し、携わったスタッフも苦労しただけになかなか平常心を保つことなどできませんでしたので、会社に話しをしてこれ以上この上司とは仕事ができない、異動を希望し、できなければ退職するという意向を伝えました
退職したら生活ができるかどうかの心配はあるものの、私自身はこれ以上我慢せず自分の意思を出してもよいと思ったからです
私はこの上司とは違って自分にはアイデアがある、自分なりに経験した仕事の知識や知恵もある、それは誰にも盗むことはできない、会社を辞めてもまた何かできることがある、と自分に言い聞かせました
このような心情の時に『無功徳』という言葉が目につきました
「それでよい」守護霊様からのメッセージでした
そしてここまで意思が固まってきた時に、状況が変わってきました
私ではなく、その上司が異動させられることになったのです
とても驚きました、会社は私に理解を示してくれたからです
ビジネスの世界で承認欲求や見返りを求めることは問題ありません
見返りとして評価や、昇給などを求めることは当たり前のことです
無功徳とは神仏に見返りやご利益を求めることを言います
神仏に自分は善い行いをしたからご利益をお願いします、というお願いは通じません。なぜなら求めた時点でそれは真の行いではないからです
神とつながるのは日ごろの行いとその人の心根です
この上司との経験はその時の自分の殻を破ることになりました
これがなければプロジェクトを一番理解している自分が退く気持ちになるなど考えもしませんでした
この時もし私が神さまに自分の功績を棚に上げてこの上司が異動するように祈っていたら状況は違っていたと思います
人の生き方に正解、不正解などありません
どのような局面であってもただ己を向き合うことなのだと思います
そんな一例にしていただけると幸いです
守護霊様からのメッセージです