サボテン暮らしの宇宙人

  明らかに、サボテンは昨日より大きくなっていた。始めは気のせいだと思っていたけれど、この柱型サボテンが家にやってきてから日に日に大きくなっている。ミクリはメジャーを持ってきて、サボテンの高さを測った。昨日より十八センチもでかくなっている。壁に掛かっているカレンダーの日付に、測った数字を記録した。

十二月十九日 六十二.五センチ

 誕生日の五日前。ミクリはもうすぐで二十二歳になる。女友達の優里から小包が届いた。中に入っていたのは高さが十五センチばかりのサボテンだった。殺風景なお部屋に植物を贈ります、と手紙が添えられていた。贈られてきた柱型サボテンは、バンザイをしているような恰好をしていて、角度によっては今にも踊り出しそうだ。以前、youtubeで見かけたフラワーロックに見た目が似ていて、試しにサングラスをかけさせてみると、思いのほかよく似合っていた。

 ところが、そんなのんきな日常はすぐに終わりを迎えた。翌日、仕事から帰ってくると、サボテンが成長しているように思えたからだ。床に落ちているサングラスを拾い上げた時、窓台に置いてあったサボテンの頭のトゲが、顎に刺さりそうになった。あれ?とミクリは思った。メジャーを持ってきて高さを測ってみた。

 十二月十四日 二十.二センチ

 さらに、その翌日、もう一度測ってみると、もはや、気のせいではないことがわかってしまった。インターネットで調べたら、サボテンは一年に十センチ成長することもある、と書いてあった。

会社からの帰り、たまたまエレベーターで一緒になった優里に聞いてみたけど、何も知らなさそうだった。

「ねぇ、贈ってもらったサボテンって、どれくらい成長するの?」

「うーん。お店の人に聞いたら、一年で十センチくらい成長することもあるって言ってたけど。どうして?」

「ううん。ちょっと気になっただけ」

 自宅に帰ると、どんどん成長しているサボテンが目に付いた。椅子に腰を下ろし、缶ビールをプシュッと開けて、一口ぐいと飲んだ。ミクリはどうしたものかと考えた。

「こんにちは」

 どこかから声が聞こえてきた。

「驚かれているようですね」

 どうやら、声はサボテンから聞こえてくるようだ。

「私も驚いているんです。この星にやってきて、目に付いた箱の中で休んでいたら、名も知らぬ植物の中にいたんですから」

 ミクリは、テーブルの上に置いてあったハエたたきを手にすると、サボテンの頭めがけて振り下ろした。

「何するんですか!ちょっとやめてください。暴力反対です」

 もう一度、思い切りよくハエたたきを振り下ろした。

「ちょっと落ち着いてください。とりあえず、座りましょう。ね?」

 ハエたたきを手にしたまま、ミクリは言われた通り椅子に座った。飲みかけのコーヒーを一口飲んだ。

「何しに来たわけ?」

「たまたま立ち寄ったんです」

「よくわからないんだけど、あなたはサボテンなの?」

「いえ、私はあなたの星で言うところの宇宙人です。サボテンの身体を借りているんです」

「でも、それって、私の部屋に不法侵入したことになるんじゃないの」

「まあ、そうですね。だから、本当は黙っていようって思ったんです」

「なんでしゃべれるの」

「地球には何度も来たことがあって、それで覚えたんです。こう見えて、日本語以外にも話せるんですよ」

「こう見えてって、あなたはサボテンにしか見えないんだけど」

「こう見えてシャイなんですよ」

「あ、そう」ミクリはコーヒーを口に含んだ。「それで、どうして話そうと思ったの?」

「寂しそうだったから」

 サボテンにそう言われて、ミクリはハエたたきをテーブルに置いた。

「身体が休まったらすぐに帰りますよ」

 サボテンがそう言うと、ミクリは立ち上がった。

「おやすみ」

 部屋の中は静かになった。

 

 日に日にサボテンは大きくなっていた。

十二月二十二日 百八十二.五センチ

ミクリの予想に反し、サボテンは縦に細長く伸びていた。

「ねえ」

「はい?」

「このサボテンはどこまで大きくなるの?」

「私の身体と同じくらいになったらですね」

「あなたどんな見た目なの」

「地球人とあまり変わらないですよ」

 宇宙人と感覚は違うのかもしれない、と思ったところで、ミクリは服を脱ぎ始めた。

「ちょっと、何をしているんですか」

「風呂に入るのよ。いけない?」

「この星の女性はそんな風に服を脱ぎ散らかさない、と聞きましたよ。それに、人前でそんな風に脱ぐなんて」

「だって、あなたサボテンじゃない」

「まあ、そうなんですが」

 そう言うと、ミクリは裸のまま、さっそうと浴室へと入っていった。

 

 別の日、ミクリは、優里との会話の中で再びサボテンの話題になった。

「どう?あのサボテン、変わったサボテンだったでしょ。私もね、ああいう見た目ならミクリが気に入ると思ったの」

「確かに、最初見た時はびっくりしたけど、今はとても気に入ってる」

「そう?それならよかった」

 仕事から帰ってくると、サボテンは元の大きさに戻っていて、テーブルには置手紙があった。宇宙人とは思えないほどの達筆で短い文章が記されていた。

「ミクリさんへ

 体が休まったので帰ります。お話しできて楽しかったです。

 お元気で」

 置手紙をテーブルの上に置くと、ミクリは無性に腹が立ってきた。なぜ、こんなに腹が立っているのかわからないからますます腹が立ってきた。

「ねえ」

 サボテンはしゃべらなかった。

「ねえ聞いてる?」

 サボテンはしゃべらなかった。

 ハエたたきを手にして、サボテンの頭めがけて振り下ろした。が、サボテンはしゃべらなかった。

「何やってんだろう、私。バカみたい」

 ミクリがそう呟いても、部屋の中はシンとしていた。

          ✳︎

 女性たちがざわつき始めている。そこかしこからため息が漏れる声が聞こえる。誰かが通っただけで、一瞬にしてこんな数のため息が生まれるのを聞いたのは、ミクリにとって初めてだった。

「あ、彼が来たみたい」優里は言った。

 ミクリが振り返ると、桝本政樹(ますもとまさき)が近づいてくる。年齢は二十八。背は一九〇センチ近い。体全体がシュッとしていて、顔は小さく、歩く姿勢もモデルみたいだ。

「ねぇ、どこで知り合ったの?」

「向こうから声を掛けてきたの」

「ええ、どうして」

 会社の前で優里と話しながら待っていると、宝石みたいな笑顔を浮かべた桝本が声を掛けてきた。

「お待たせ」

 こんなに笑顔が素敵な人っているのかしら。

「どうしたの?」

「なんか、会うたびに緊張する」

「そう?」

 一言発するたびに高級なサービスみたいに笑顔をふりまく。

「ねぇ、今日さ、君の家に行っていい?」

「何もないけど」

「そんなことないさ」

 一月の空がこんなに清々しいと思ったことはなかった。ミクリの自宅に向かう途中、電車に乗っている間や、通りを歩いている間も、桝本は常に注目の的だった。

 十分ほどして自宅に到着すると、ミクリの予想とは裏腹に、桝本は窓際においてあるサボテンを前にしてじっと立っているだけだった。

「サボテン大事にしているんだね」

「え、うん」

 どうして、サボテンの話をするんだろう。

「ちゃんとお水を上げてる?」

「そう見えないかしら」 

 桝本はにこっと微笑んだかと思うと、テーブルの上に置いてあるハエたたきを手に持った。

「ねえ、このハエたたきでサボテンたたいたことない?」

「どうして、知っているの」

 桝本の顔は真剣だった。

「忘れ物をしたのさ。この部屋にね」

 ミクリは、何といってよいかわからなかった。

「だって、声が全然違う」

「ああ、あれは、サボテン越しにしゃべっていたから」

「それに、年齢だって二十八って」

「本当さ。僕の星じゃ二十八なんだ。僕の星の一年は、君の星の一千万年さ」

「じゃあ、ここにいる時間はほとんど一瞬なのね」

「そうでもないさ。地球の常識は宇宙じゃ通じない」

「何か飲む?」

「ああ」

「座ったら」

「ああ」

 ミクリが缶ビールをグラスに注いでいる間も、桝本はじっとサボテンを眺めていた。サボテンの中にいた時とはちがって、ほとんどしゃべらなかった。ミクリは、自分の心臓がさきほどからバクバク鳴っているのに気がついた。この音が聞こえるんじゃないかと思うほど、部屋の中は静まりかえっていた。ビールを一口飲むと、桝本はじっと視線をミクリの瞳に据えた。

「そう。君に言うのを忘れていたんだよ」

 時間にするとどれくらいなのだろう。一秒?二秒?いや、もっと短かったかもしれない。次の言葉が出てくるのがとても長く感じられた。桝本が言葉を発する間、ミクリは呼吸をするのを忘れていた。

「君に言わなかったんだけど、僕がサボテンの身体を借りたのは、サボテンが好きだったからだ」

 そう言うと、桝本はグラスに残ったビールを飲みほした。ミクリは次の言葉を待っていたけれど、いつまでたっても次の言葉は出てこなかった。

「それだけ?」

「なんで?」

 そんなことはどうでもよかった。私にはほかにもっと必要なことがあるはず。

「帰るって言ってたのに、どうして私の前に現れたの?」

「もう一つ、言い忘れたことがあったから」

「本当に?」

 桝本は憎たらしいほどの素敵な笑顔でうなずいた。

「君をさらいに来たんだ」

 そう言うと、二人を淡い光が包み込んだ。

          ✳︎

 目を開けると、ミクリは見知らぬ土地にいた。頭上から太陽が照り付けている。だが、その太陽はミクリの知っているどんな太陽よりも大きかった。周りには桝本よりも背の高い柱型サボテンがいたるところに生えていた。

「ここはどこ?」

「ここは僕の星さ」

 とても暑い。照り付ける太陽の光に体からどんどん水分を吸いとられていくような気がする。

「この星にいるのは僕だけさ。星にいる決まりでね。一人前の大人になるまで、独りで星で過ごすことになっている」

「大人になるまでってどれくらい?」

「十二年。つまり、四十歳さ」

「あと、千二百万年。途方もない時間ね」

よく見ると、サボテンは左右にうねうねと体をくねらせているように見える。風が吹いているわけでもないのに。それに、サボテンの中から人のうめき声が聞こえる。

「どうして、サボテンがこんなに生えているの?」

「とても気に入ったんだ。だから、大人になるまで、僕はここでサボテンを育てることにしたんだ」

「何のために?」

「暇つぶしさ」

「ねぇ、もしかして、あの中に人が入っている?」

「そうさ。この星の環境に適応させるために、地球のサボテンを改良したんだ。そしたら、あのサボテンは人が好物になったみたいでね。ただ、幸運なことに、地球にはたくさんの人間がいる。特に、この辺のサボテンは女性が好きらしいんだ。誰か一人行方不明になっても、特に困らないだろう?」

「逃げればいいんじゃないの?」

「ああ、逃げてくれてもかまわないさ。ここには食べるものなんてない。だから、そのうち君は疲れ果て飢えて死ぬ。その時を待てばいい」

 だが、逃げる気力など湧き上がってこなかった。照り付ける太陽がどんどん体力を奪っていく。桝本は顔色一つ変えず平気な顔をしていた。

 一本のサボテンが立ったままミクリに近づいてきた。ミクリに覆いかぶさるように身体をくねらせると、サボテンの中心がぱっくりと割れ、そのままミクリを身体ごと吞み込んだ。ミクリは抵抗することもなく呑み込まれた。こんなにあっけない最後。サボテンの中は生ぬるかった。痛みはない。ぬるぬるとした何かが体中を覆っていく。きっと、溶かされているんだわ。少しずつ意識が遠のいていった。

       *

「ミクリさん、ミクリさん」

 誰かの声がする。私はもう死んだのかしら。

「ミクリさん、ミクリさん」

 目を開けると、猫が顔を覗き込んでいる。誰の猫だろう?

「ここはどこ?」

「ミクリさんの部屋ですよ」

 辺りを見渡すと、確かに見覚えのある殺風景な部屋だ。窓台に置いてあったはずのサボテンがなくなっている。

「サボテンがなくなっている」

「あいつが持っていったんですよ」

「誰?」

先ほどから猫がじっとこちらを見つめている。だが、よく見ると両足で立っているし、服も着ている。上着の胸ポケットにはサングラスが入っている。

「ここです」

猫がしゃべっている。

「あなたは誰?」

「忘れちゃったんですか?」

「サボテンの中にいた僕です」

改めて目の前にいる二足歩行の猫を見た。身長は五十センチほど。

「あなた宇宙人なのね」

「ええ」

そう言うと、チェシャ猫みたいににたりと笑った。ミクリは急に笑いが込み上げてきた。

「でも、なんかホッとした」

「それは良かったです」

「私、夢を見ていたの」

「いや、夢じゃありません」猫は首を振った。

「じゃあ、桝本は何だったの?」

「あいつは僕のふりをしてミクリさんに近づいたんです。あいつの星の技術はすごいんですよ。人に幻覚を見せることができる。たぶん、ミクリさんの願望を見せていたんだと思います」

「あいつ、人間をさらって、サボテンにしているって言ってた」

「ええ、本当です。危なかった」

「なんで、私を助けてくれたの?」

「僕らはあいつをずっと追い回していたんです。とても危険なやつだから。そしたら、ちょうどミクリさんに人間のふりをして近づいているのを見かけたんです。あいつの犯行現場を目撃するためにずっと近くにいました。ミクリさんのおかげで捕まえることができました」

「あいつはどうなるの?」

「あなたたちの言うホワイトホールに送り込みます」

「ホワイトホール?」

「ええ。吸い込んだものをすべて別の宇宙に吐き出す大きな穴です。もうこの宇宙にはこれません」

猫はミクリに缶ビールを差し出した。

「どうしてビール?」

「好きでしょ」

「ありがとう」

飲みたくもなかったけれど、そのまま一口飲んだ。

「ねぇ、あなたはいくつなの?」

「二万八歳です。僕らは長生きなんで」

 ミクリは、猫の着ている上着のポケットに入っているサングラスを見た。

「ねぇ、そのサングラス」

「ああ、これですか。床に落ちていたんで」

「よかったらあげる」

「いいんですか?」

二足歩行の猫型宇宙人は嬉しそうにそう言うと、サングラスをかけた。

「どうですかね?」

「似合ってる」

サングラスを外すと、恥ずかしそうに言った。

「僕からも贈り物があります」

猫型宇宙人は、器用なしぐさで箱から柱型サボテンを取り出した。優里に贈られたものと同じくらいの大きさだ。

「あいつがサボテンを持って行っちゃったんで、この新しいのを置いておきます」

「地球のサボテン?」

「ええ。そうです。メキシコの砂漠によさげなのがあったので持ってきました。このサボテンは花を咲かせるらしいですよ」

サボテンを担いだまま窓台に飛び乗ると、猫はサボテンを置いた。

「また来るの?」

「どうでしょうね。僕らはいろんな星に行ってますから」

窓台から飛び降りると、猫型宇宙人は肉球のついた手でサヨナラの合図をした。

「ねぇ、なんで猫の格好をしているの?」

「地球にいる猫はもともと宇宙から来たんです。僕らの子孫なんですよ」

「知らなかった」

「じゃあ」

 猫型宇宙人はサングラスをかけ、胸ポケットに入っていたペン取り出した。ベランダに出てそのペンを高く掲げると、あっという間に球体の宇宙船がどこかからやってきた。その球体に乗り込むと、猫は空の彼方へと飛び去って行った。

          *

「どうしたの、なんか嬉しそうじゃない?」

「ううん」

「無理してるんじゃないの?」

「どうして」

「だって、彼に振られたんでしょ」

「いいの」

 自宅から帰ってくると、ミクリはしゃべらないサボテンに話しかけた。心配して一緒に自宅にやってきた優里の足元に猫が近づいてきた。

「かわいい。何カ月?」

「そう見えてもう千歳を超えてるんだって」

「え?」

「知ってた?猫ってもともと宇宙から来たんだって」

「変な人」

 優里はあきれたように言った。

「あなたは素敵なサボテン。ううん、奇跡のサボテン」

 あの後、ミクリはいろいろ調べたけれど、このサボテンが花を咲かせるだなんて情報を見つけることはできなかった。けど、このサボテンは確かに花を咲かせた。ずっとサボテンの花を眺めていた。そして、信じていた。この花はきっと枯れないだろう、と。(了)

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