キッシンジャーから学ぶこととは!

キッシンジャーとはどんな人物だったのか?

山岡鉄秀氏が語るキッシンジャーを通しての外交論。
非常にわかりやすく解説してくれました。
ありがとうございます。

戦争犯罪人?外交の巨人? ?キッシンジャーとは〜前編〜|山岡鉄秀×やまたつ

戦争犯罪人?外交の巨人? ?キッシンジャーとは〜後編〜|山岡鉄秀×やまたつ




前半


西側が弔辞をよせるなか、岸田総理も弔辞を発していた。
「米中の関係改善に大きく貢献した。大きな偉業を成し遂げた人で非常に敬愛している。」との趣旨のことを言った。
一方、東南アジアや南米からは「あいつはとんでもない戦争屋(戦争犯罪者)だ」と言われている。

キッシンジャーはバランス・オブ・パワーという大国の勢力均衡で安定を保つという発想で推し進めていた。
しかし、その狭間にある小国はどうでも良い、すり潰してもいいという発想だった。

根底にあるのはアメリカの国益。
その為には小国はどうでも良いと思っていたとしか思えない行為がたくさんある。

東南アジアでは、カンボジアやラオスはベトナム戦争の絡みで供給路を潰すという名目で苛烈な爆撃を行う。
南米では選挙で選ばれた政権をクーデターで倒して、独裁政権を支持するということも平気でやる。
今もやっていることですが。

ベトナム戦争終結に努力したということでノーベル平和賞と言うが、一方では戦争屋、戦争犯罪者と罵られることもたくさんやっているという人物。

キッシンジャーから何を学ぶか。
岸田首相ではないが、「キッシンジャーに教えてもらう」ということを日本人が言いかねない。
実際にキッシンジャーをスタジオに呼んで、色々と質問して教えてもらうという企画も毎年のようにあったりする。

キッシンジャーから教えてもらうのではなく、キッシンジャーの行動や言動から何を学ぶかということ。
そういう学び方が本来の学びだと思う。

1971年、突然に中国へ行った。
冷戦構造が厳しくなっていく最中、日米は台湾を支持していて中華人民共和国というのは敵側なわけです。
敵である中華人民共和国の北京にキッシンジャーが現れた。
バレないように同盟国経由で突然居なくなり北京に現れた。
周恩来と毛沢東と長時間話してニクソン大統領訪中の道をつけた。

ソ連という強敵と実は仲の悪い中国。
中国も共産主義ですが、敵の敵は味方という発想で中国を味方につけるということです。
日本もショックを受けるのですが、その後に田中角栄が総理となってアメリカよりも先に国交を回復してしまう。
それにニクソンとキッシンジャーは怒りまくり、キッシンジャーはテーブルを叩いて「ジャップは最低の裏切り者だ」と言って叫んだらしい。
その数年後にロッキード事件が発生する。

講演でこの辺のいきさつを話すと知らない方が多かった。
若い方は知らないが、私自身も当時は子供だった。
後から知った事実ですけども、そこを知らない人が多い。

すごく重要なことで、知らないでは済まされないくらいの事実。

日本は日中国交正常化を国内抗争の対立軸に使ってしまい、アメリカに相談せずに中国と話をつけた。
中国は最初から日本を利用するつもりだった。
経済大国になろうとしている日本と国交を回復して、いかに金や技術を抜き取って中国のためにするかという発想。

日本は友好とかいう善意で考える悲しい性善説の信奉者。
中国の日本に対する浸透工作というのが今日まで続いているわけです。
最初から利用されながら、なおかつアメリカも怒らせてロッキード事件も起こされた。

当時の中国の国力は圧倒的に低いわけです。
元々、共産主義という危険性もある。
台湾を支持するという体制だったのでアメリカが動いたのは驚きだが、だからといって日本が先んじる必要はなかった。

まずはアメリカに対して「どういうことですか?」と聞くべきだった。
アメリカの属国だが同盟国の日本に何の説明もなく強行された理由は何ですか?と。
アメリカはどうしようとしているのですか?
何が目的ですか?と明確に説明してくださいと言う。

アメリカは「まあ大人の事情がありまして・・・」と説明してくる。
日本は「そうですか。その戦略に沿って日本に何か期待していることはあるのですか?それともないんですか?」

その答えを言質に取り、「日本はこういう風にしていきます」ということで別に進める。
何も慌てる必要はないわけです。

日本は外交的な観点より、国内で誰の手柄にするとか政治的にリードするかというドメスティックな発想になっている。
結果として中国にもアメリカにも嵌められることになる。

戦後、吉田茂が首相になり、そのなかで対米従属体制を作るわけです。
今も岸田首相はその時代に戻ったんですが、完全にアメリカの保護国、属国となり、その中で繁栄をしていこうという属国平和主義、属国繁栄主義という考えで進めた。

国民にそんなことは言えない。
吉田ドクトリンは非常によく考えていて、当時の国際情勢は非常に苛烈ですので、安全保障は非常に重要で日本の独自の防衛力を持たないといけないのは明らかだった。
それをアメリカに委ねる。
アメリカを番兵として雇い、アメリカに重荷を背負わせて自分たちは経済に専念し経済発展を短期間で実現する。
「だから日本人は賢いんだ。戦争では負けたが外交では勝ったんだ」と説明するわけです。
それが吉田ドクトリン。

実態は完全にアメリカの言いなりになり、アメリカは日本の占領を継続する意味がある。
場所的、地政学的にソ連や中国と面している。
日本をまさに防波堤として、軍事基地を自由に設置し運営することが出来ることはアメリカの国家戦略上重要なことです。
素直に無条件に受け入れる日本は大事にしてあげようという構造です。

アメリカは、国益のためなら日本の頭越しにやるんだということに気づかないといけない。
単に言うことを聞いて良い子で従属していれば守ってもらえるかと言うと、何かのタイミングではしごを外されたりすることは十分にあり得ると悟らないといけない。
自民党内の権力抗争に対中問題を持っていこうとかせこい発想よりも、対米関係を真面目に見直し、同盟関係や体裁は維持しながらも相対的に日本の自立度を高め、アメリカ依存度を低めていかないといけない。
何かあったときに危ないことになる。

今、ヨーロッパの軍備がスッカラカン。
ウクライナに武器を全部送ってしまい、フランスのマクロン大統領はアメリカ依存を減らさないといけないと言っていた。

ドイツは全力で戦うと2日分の弾薬しかない。
イギリスもすぐに使える戦車が40台しかない。
フランスもちょっとしかない。

彼らはNATOの中にいるから大丈夫と思っているが、結局はアメリカ依存なわけです。
NATO全体で7割がアメリカ。
そこでトランプ大統領のような「NATOの役割は終わった」と言う人が出てくるとはしごを外されてる感もある。

ウクライナ戦争はアメリカ議会では支援を拒否してきている。
ロシアは核保有国だから直接は戦わないと早々に宣言していた。
自分たちは戦わないがお金と武器をあげるからどんどん戦いなさいと。
停戦なんかするな。最後の一兵まで戦いなさいと。勝つまで支援する。
と言って、ウクライナが消耗しながら延々と続いてしまう。

かなり早い段階で停戦合意に至りそうだったが、それも潰して延々と続ける。
ウクライナも消耗する、NATOも消耗する。

ロシアは大きな国で、食糧もエネルギーもあるから消耗してもバラバラになることはない。
東部の占領された地域を奪還することは不可能だと、ペンタゴンは警告していた。
バイデンが支援すると言うが否決され、在庫も尽きてしまった。

ロシア弱体化のために噛ませ犬としてウクライナは使われてしまったわけです。
多少はロシアを消耗させることは出来ただろうが、領土は失い人もたくさん死んで荒廃する状況。

アメリカが本格的に参戦しなければロシアを倒すことは出来ないに決まっている。
それをやると第三次世界大戦になるのでやりませんというと、ウクライナに散々戦わせてはしごを外す状態になる。
そういうことが現に起こっているわけです。

今目の前で見ているが、本来は1971年にキッシンジャーが無断で中国に行って、周恩来は「あなたは仲良くしようと言うが、日米安保条約があるじゃないか。あれは対中ではないか。」と。
キッシンジャーは「あれは対中国ではない。あれは日本という潜在的に危険な国を押さえておくために米軍がいるんだ。」と。
これが有名な「瓶の蓋」なんですね。

後々に在日米軍司令官も言っていること。
日米安保条約在日米軍というのは、日本の暴発や軍国主義化を防ぐために存在するという、そういうロジックがその後ずっと言われるようになってしまった。

黙って中国に行き、尚且つそういうことを言うんだから、その時点で日本人は「これはヤバいな」と思わないと、完全に従属して依存すると、どこかで大変なことになる。
まさに今のウクライナみたいになってしまうということです。

主体的に自立性を高めていかないとまずいと考えないといけない。
これがキッシンジャーから学ぶということを言いたいわけです。
キッシンジャーという外交の巨人に教えを請うではなく、彼の行動原理や実際の行動から学ばないといけない。主体的に日本がキッシンジャーから学ぶということの本当の意味だと。

仏大統領が、米への軍事的依存軽減を欧州諸国に呼びかけ

日米安保につきまとう「瓶のふた」論


後半


伊藤貫氏は、外交の巨人キッシンジャー氏とズビグネフ・ブレジンスキー氏に会って話をしている。

ブレジンスキーは強行派で攻めまくってレッドラインであるウクライナも引っぺがし、ロシアが発狂するところでとことん攻めてバラバラにして西側に組み込めという発想をしていた。
実際にそっちへ行ってしまったが、ブレジンスキーは日本のことを馬鹿にしていたようです。
外交的センスなし、分析力なし、度胸もないと。

日本に対する敵意や嫌悪は感じなかったと。
個人レベルではプライベートな会話で日本も核武装したほうが良いと思うよと。
公には言えないが。

キッシンジャーは日本に対する生理的嫌悪感を持っていて、そういうものを漂わせていたらしい。
実際に中国人を尊敬し、日本人はトライバルだと言ったそうです。
(トライバル=部族的)

要は下に見ていたわけです。
中国をどんどん成長させ、中国を利することをやってきた。
その中国がアメリカの覇権に挑戦するようになった。
その意味においてキッシンジャーの外交は失敗じゃないかと批判する人もいる。

キッシンジャーの反日的部日的なキッシンジャーを褒めていたらお話にならない。

国内政治しか考えていなかった日本人ということです。

J-CPAC2023に参加した。(CPACの日本版)
今まで話してきたことはいろんな人と話をした。

伊藤貫氏の言う、ダブルコンテインメントポリシー(二重封じ込め政策)。
日本という国を封じ込め、その日本を使ってソ連を封じ込める。あるいは中国を封じ込める。
これをずっと継続している。
これがある限り自立した大人のパートナーにはなれない。
共和党政権、トランプ政権が復活したときにアメリカの伝統的なポリシーの変更する意思はあるかということをぶつけるわけです。

アメリカの著名なジャーナリストの皆さんも驚いてしまう。
「そうだったのか?」と。

アメリカの誰であろうと、日本の戦後とマッカーサーGHQの統治、その後の今日に至るアメリカの対日ポリシーは認識していないんです。
「日本は友好国、同盟国だ」というくらいに思っているわけです。

トランプが安倍さんに対して「日米安保条約はメチャクチャアンフェアじゃないか。日本が侵略されたらアメリカが守る。だが、アメリカが攻撃されても日本はソニーのテレビで見ているだけじゃないか。」と言った。
安倍さんは「実は思いやり予算があり、たくさん払っている。」と言った。

本来、そこで言うべきことは「より公平な大人の関係にすべきでしょう。そのためには日本が自立する必要がありますね。
ところであなたは戦後アメリカが一貫して適用してきた対日ポリシーについて、どの程度ご存知ですか?こういう問題があるから日本の自立がずっと妨げられてるってことご存知ですか?そこから議論始めましょう。
そして是非この問題をあなたの政権で解消して、真に対等なパートナーシップにしようじゃありませんか
」と。
これは僕の考え方ですけどね。

トランプは「そんなことがあったのか。日米地位協定?条約の下にそんな協定があったの?日米合同会議?」と。
その程度の知識しかないわけです。

聞いた話では、トランプさんは安倍さんと会うたびに「日本はサムライの国なんだから、もうアメリカに依存してないで自立したらどうだ」と言ったそうです。
安倍さんはそれに答えず、ニコニコとしながら話をそらしていたと。

アメリカの軍事力の庇護を受けて、そのなかで繁栄すれば良いという考え方自体が、安倍さんが脱却したい戦後レジームなんです。
単に日本の名誉を取り戻すとかだけでなく、アメリカが設定し日本人が積極的に受け入れた属国としての繁栄論から脱却しないと戦後レジームにはならないわけです。

なぜ、米軍が定期的に政治家抜きで、日本の官僚と会議をしているのか?ご存じでしたか?」と詰めていかないと物事は解決しない。

重要なポイントは、CPACであった米国ジャーナリストだけでなく、トランプさんレベルでも、そういった歴史的経緯や実際の日米関係のあり方を理解していない。
キッシンジャーやプレジンスキーは知っていたでしょう。
でも、知らない人が多いわけです。

僕が英語で記事を投稿したときに、アメリカ人のジャーナリストや学者に言われたのは「いや、それみんな知らないよ」と。
「そういうレベルだから、その前提で書かないといけない。」と言われた。それで書き直したこともあった。

もともとは1971年の段階で気づかないといけなかった。
それを必要もなくアメリカに先んじて日中国交正常化をして台湾を切ることをやっても国益にならない。
国交回復よりもアメリカと徹底的に議論して、言質を取ってやるということです。

チャンスを潰す理由は2つある。
国内の政争がメインとなり、気づきのチャンスに気づかない。
吉田ドクトリンに象徴されるように、コンフォートゾーン(快適な空間)があり、慣れ親しんだアメリカに守ってもらい、その中で発展するのが正しいということから出たくない。
ぬるま湯から現実を直視して、キッシンジャーリアリズム外交と言われているリアリズムが日本にはないということです。
主体的に変えていくという発想、意思、勇気がなかったということ。

アメリカを批判するだけじゃなく、日本人自身の生き方にも問題があったということです。
今は1940年代に戻ってしまった感じがしますね。

日米合同委員会組織図(国会議員不在の会議です)

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100060689.pdf


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