点と線と発達障害
今日投稿すると連続2か月投稿だよという優しいnoteのお知らせで何か書いてみるかということで最近思ったことを。
何かを覚えることを点とか線とかで考えてみてた、そんな話。
いきなりつらつら書くんですが、私は発達障害があって臨機応変とかその場対応みたいなのが苦手だなあなんて思っていたんですよ。
ただ、突き詰めていくと「変化」自体が思った以上に苦手だなあということに気が付きまして。で、特に「並列」みたいに似たことでも少しずつ違ってきているのが嫌いということに気づいた。
例えば、Aの作業があって、Aの作業の中のごく一部を変えたA1が派生したとする。すると多分通常はAを枝分かれさせる形で分岐させて記憶していくのだろうが、私の場合はA1はA1として記憶しておく感じがある。だから大きくひとまとまりのAの作業でもどんどん線が増えて雑多な感じとなり、とっちらかっているのではないかと気づいた。これが応用が中々できない所以かもしれない。
しかもその線は一部が薄くて細かったり、風化が早かったりするので記憶がすぐにおぼろげになったりする。
で、実際に違っているパターンもこのような雑多感はあるが、AはAでもその指示が微妙に違っているとそれはそれで「別の線か?」「あれ?一緒?」「これでほんとに大丈夫?」ということが起こる。
これは電話とか何かしらの口頭でのやりとりに起こりがちな気がする。こういう口頭のことになると、聞き返すという方式をとっても微妙に言葉や表現を変えられることがあって少し混乱することもあり、こちらもとっちらかる。
昔、「点と点をつなぐのが大変なのかもね」という話をされたことがあって「それな~!」となったことがあった。その話は今も納得しているが、つなぐ作業もだけど線を引く前に打っていく点もなかなかでは?と最近は思うようになった。点打ちすぎてたくさんありすぎてもどうすんねんだなあと・・・。
不変なものって実生活ではもうないと思いつつも不変をすごく求めたくなる。変化に慣れられねえよ。というか聞きなおした時は言葉を変えないでくれよ。そんなぼやきで終わる。
記憶するという面での点と線って皆どういう図で頭に入っているんだろうか。
点と線というと中学校の2次関数のグラフが高校になったら理解不能になったことを思い出した。数学は点と線が良く動くよね。あと何故かAよりPのが登場多い気がする。数学という現実での点と線とわかりあえねえんだからそりゃ難しいっすな。乱文失礼しました。
後で見返したら文章ちょっとひどかったんで直して更新しなおしてます。申し訳ないです。