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障害は、扱いにくい最強の武器という結論に至った。

最近、YouTubeで「自分は発達障害だった。それがわかって少しショックを受けた」と話している動画を見た。


それを聞いて、「障害」について
よく考え、あることに気がついた。

それは人間皆、障害を持っているということ。

障害を持っていない人などいないということ。

そして障害は最強の武器であるという
結論に至った。

そのことについて、今回は綴りたいと思う。




障害者と言われる人の定義

障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な障害を有する者であって、様々 な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げら れることのあるものを含む。

厚生労働省のHP

これが、厚生労働省が定義する「障害者」だ。極簡単に言えば、日常生活や社会生活で支障のある人のことを「障害者」と国は定義している。

また、障害には多くの種類がある。
身体障害、知的障害、精神障害、発達障害。ADHDや、パーソナリティ障害など。
様々な症状があり、様々に名称がついている。

このように文字や説明文で定義されてしまうと、これが「障害者」であると「枠」を決めてしまう。

だけど、私は自分自身を含め、生きている人間皆、障害を持っている者だと思っている。

目に見えるようなものや、
名称がある障害を持っていないだけで、

「名前のない障害」を誰しもが
持っているのではないかと思う。  


「名前のない障害」

例えるなら、勉強で言う「苦手な科目」が
一番わかりやすいかもしれない。

例えば、私は物理が苦手だった。
どんなに勉強しても、物理だけは良い点数が取れなかった。理解しているつもりが、実は全く理解できていなくて、答えも大外れ。

解説を読んで「あぁ…なるほど?」と渋々納得はするが、次の日になるとどう納得したのかも忘れてしまう。

「苦手な科目」は何故か頭に入ってこない。
理解したくてもできない。

半数の人は
これと同じような経験があると思う。

まさにこれは障害の一種だと考えた。

「学習障害(LD)」と名称がつけられている
レベルほどではないにしても、理解力の妨げにはなっている。
「名前のない学習に関する障害」と言えるのではないだろうか。

またそれなら、全科目…家庭科、保健体育、美術、音楽などの副教科までもがオール5の人は
障害がないと言えるのか、というとそうではない。


次は性格や能力について考えてみる。

・勉強はできるが、仕事はできない。
・仕事はできるが、人の悪口ばかり言う。
・優しい人だが、人に甘えることができない。
・中立的な存在だけれど、詰めが甘い。
・完璧に物事や人間関係をこなせるが、
それができなかった日は自分を責める

上に書いた例の人たちは
前提に東大生であるとする。

果たしてこの人たちに「障害」がないと
言い切れるだろうか?

人の悪口ばかりいう人は
本当に「障害」がないと言えるだろうか?

人に甘えることができないというのは
本当に「障害」ではないと言えるのだろうか?

自分を責めることは
自分を殺してしまう危険性が最も高い
「障害」なのではないか。

それが例え、名の付いている「障害」のレベルに達していなかったとしても、

それは、人生の中で妨げになっている
「障害」と言えるような気がする。


私たちは誰でも障害を抱えている。
その障害に名前がついているか、
ついていないかの違いだ。

名前がついているだけで、
それを差別するのは本当に変な話だと思う。

名前がついていないだけで、障害はある。

差別をすることだって、障害の一種だ。
これは「受容することができない」障害と
言えるのではないだろうか。


障害は扱いにくい最強の武器

今まで、「障害」とは「悪いもの」と想像してしまうかのように書いてしまったけれど、
「悪いもの」とは思っていない。

むしろ、障害があるからこそ、
人は生きていけるのだと思う。

障害が全くなければ、
きっと痛みや苦しみを共感できない。

障害を認識しなければ、
自分自身を成長させることができない。  

障害があったからこそ、
私たちの生活が、あるのだと思う。

また、前に「障害は個性の一つ」という
素敵な考え方を耳にした。

障害はある意味、他の人にはない
「特別なもの」

活かし方一つで最大の魅力にもなる。

先程例にした、「悪口」を上手く使って
「面白い!!」に繋げて、テレビで売れたりしたケースだってある。


障害は、
自分を変える「チャンス」なのだと思う。

活かし方一つで、良くも悪くもできる。

まさに扱いが難しい武器のようだ。
扱い上手になれば、きっとさらに魅力的な人間になれるのだと思う。


まとめ

障害者と定義されている方に伝えたい。

「〇〇障害です」と診断されても
落ち込む必要は全くない。

自分の持っている扱いにくい武器に 
名前があっただけなのだから。

私たち人間はもともと、
「障害」という武器を持っている。

しかし、それは扱い次第では
良いようにも悪いようにも転ぶ、
まさに最強で、最高に難しい武器だ。

むしろ、名前があることは良いことで、
既に詳細もあるから、扱いやすくなる。

逆に厄介なのは
名のない障害を持っている、
世の中では「普通」と呼ばれている人たちだ。

自分の武器について、よくわからないからこそ、単純に振り回してるだけになっている。

だからこそ、人を傷つけたり、
自分を責めてしまったりする。


こう綴る私の中にも
「名のない障害」がある。

これからどう扱い、付き合っていくのか
よく考えていこうと思う。

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