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良い人はやめた

前までは他の人に
自分がどう思われているのか
よく気にしていた。

学生の頃は
悪口や容姿を嘲笑う言葉がよく耳に入った。

社会人になり始めは
私のことを何も知らない大人たちに
よく優劣をつけられては、肩を落としていた。

だから私は、
「良い人」でいることにした。

どんな時にも笑顔で優しく。
特に社会に出たての頃は、
感情を表に出さないように、
心を殺して生きようと必死に心掛けていた。

そうすれば、能力は低くても
「あの人は良い人」と評価がつくから。
それだけでも嬉しかった。


でも、もうそれはやめた。

社会人として数年経った今。
もう、「良い人」を演じるのは疲れた。


無理に笑顔を作るのは疲れる。
良い人でいようとして、
後で「あの発言は傷つけていないだろうか?」などと1日の終わりに反省会をするのも疲れた。

疲れが溜まってからは、
無愛想とまではいかないけれど、
「普通」にしていた。

不要な「常識」や「優しさ」も捨てた。
嫌われている人間には挨拶もしなくなった。

正確には、相手が無視をしてきたら
挨拶はこちらからしなくなった。

仕事仲間だとは思うけれど、
無視するとわかっていて、挨拶するのも
無駄にエネルギーを消耗する。

無視なんかする奴のために頑張りたくない。

私は私を好きな人のために頑張りたい。




前の自分はどうしたって「嫌われる」ことに
恐怖感を抱いてしまっていた。

「嫌われたからどうした?」って
思いたくても思えなかった。

でも今は不思議と「嫌われたからどうした?」と自分に言える。

私の人生には必要のない人だった。
相手の人生には私が不要だった。

それだけのことじゃん?

人間なんてものは元々は
自分が一番可愛くて、自分が主人公。
自分のことしか考えれない生き物。

そこに環境や性格がプラスされ、
自己を作り出している。
ただ、それだけだ。

人間なんてみんなそんなものだ。

あの天才も、あの優秀な上司も、優しくて可愛げのある後輩も、期待されている同期も、
そして私も。

人間なんて「そんなもの」。


他の人にこんなことを言えば
批判が飛び交うかもしれないが、
こう思うことで、気楽になれる。


最近は
私を好きだと思ってくれる人のことを
よく考えるようになった。

類は友を呼ぶと言うけれど、
私を好きになってくれる人はどんな人だっけ。

周りを見渡すと、
仕事ができて、常識的な価値観を持っている
穏やかな人が多かった。

これだけでもう、私は自信を持っていいんだ。

私の周りには素敵な人がたくさんいる。
それは私も同じ人間だから。

類は友を呼ぶ。

こうやって良いことを考えると
なんだかもっと穏やかな気持ちになれる。



良い人はやめた。
これからは自分を大事にして生きていきたい。

人間らしく、
自分が一番可愛くて、人生の主人公として歩んでいきたい。

どうしたって、人間だから自分のことしか
考えられないけれど、

感謝や謝罪、挨拶は大事にしていきたい。
強制力はありませんけども。
したくなければしなくていい。

それが私の今の生き方です。






優劣、つけたいのならつければいい。
あの人より優れているとか、劣っているとかどうでも良くなってきた。

今を生きるのに必死で、誰かと比べるなんて
もう、どうでもいい。

生きることさえできればいい。

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