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はるきLP感想 アイドル郁田はるきが本当の意味ではじまる物語

「素晴らしいお話だと思う。だけどこのお話の素晴らしさをどう説明したら良いんだろうか?」

先日実装されたコメティックのLP編、郁田はるきちゃんのコミュを読んだ時に思った最初の感想がこれでした。

間違いなく感動したし、「なんて凄い話なんだ…」と思ったのにそれをどう表現すればいいのかまるでわからず、内容を全く咀嚼し切れていませんでした。

他の方の感想を探すと私と同じような感想を持たれていた方もいたので、もしかしたらこれを読んでいる方にも同じようなことを思われた方もいるかもしれません。

私も繰り返しお話を読んで自分なりにこのお話と向き合いましたが、そのお陰で不完全ながらも自分なりに「こんなお話なのではないか」という答えを出すことが出来ました。

私は今回のお話は、「はるきが本当の意味でアイドルとしてはじまるお話」だと考えています。

そこで何故そう考えるに至ったのかはるきLPの考察とそれを踏まえての感想について以下にまとめてみたいと思います。

少し長くなりますがお付き合い頂けると幸いです。

※はるきLP編の全編ネタバレが含まれる為、まだ読まれていない方はご注意ください!



①創作者としてのルーツ


今回の明かされた新事実として、はるきは幼少期病弱だったようでどうやら入院をしていたらしいことが描かれています。

衝撃の新情報


個人的にはこの経験がはるきの創作者としてのスタンスに大きな影響を及ぼしていたのではないかと考えています。

入院中もはるきは寝る間も惜しんで絵を描き続けていたようですが、彼女自身も「何かをしていないと不安だったんだと思う」と振り返っていたように、それは病気の不安からの逃避という要素が大きかったようです。

GRAD編では「絵をいつから描きはじめたかよく覚えていない」と話していましたが、もしこの時期からはじめたのだとすれば、はるきの創作活動は「こんな作品を作りたい」という思いより「何かを創るという行為自体を続けて不安を忘れたい」という思いから始まったものとも言えます。

GRAD編「イノセンス」より


コミュ内では「完成した作品への興味が薄い」という点が語られていましたが、それも踏まえるとはるきの創作者としての情熱は「こんな作品を作りたい」という想いよりも「創る過程を楽しみたい」ということを重視する傾向があったのではないでしょうか。


創作意欲を発散することだけで一定の満足を抱いてしまっているとも言うことが出来るこの部分が、LP編でははるきのアイドル活動において大きな壁となっていく過程が描かれていきます。


②はるきにとってのアイドル


はるきにとってアイドルは自分の意思で「これだ!」と考えて選んだものではありません。

彼女自身もWING編で「その発想が無かった」と語っていましたが、偶然出会ったプロデューサーにかけられた言葉に心を動かされて、彼がアイドルのプロデュースをしていたからその流れでアイドルを始めたという経緯になります。

WING編「走りはじめたから」より


つまりはるきにとってのアイドルは、まだ彼女がこれまで挑戦してきた様々な創作と同じく、あくまで創作意欲を発散する手段の一つでしかなく、彼女にとって特別な何かであるとは言い難い状態です。

また彼女がよく目標として語る「誰かの心を動かしたい」「色とりどりの世界を見たい」ということも、意地悪な言い方をしてしまうと必ずしもアイドルでなければならない理由はまだ彼女の中にもありません。

今回のコミュでもはるきが演出から関わったファッションショーの仕事が依頼側の不手際で流れてしまう場面があります。

プロデューサーの尽力ではるきの考えた演出のみが採用される形となりますが、結果的には演出は好評で、はるきもそれに対して疑問は感じつつも一定の満足感を得てしまっています。

予告でも意味深に使われたシーン


演出から深く関わった案件であれば「仕方ないけれどやはり自分がやりたかった」くらいは言ってもいいと思うのですが、はるきは自身の考えた演出が形になることである程度満足してしまっています。

「桜花拾」でも「作成した映像に自分が出演しないほうが良かったかもしれない」と言うシーンがありましたが、はるきはアイドルというある意味自分自身を素材として表現するアーティストでありながら、自身の考えた作品に必ずしも自分自身がいなくても良いと思っている節があります。

桜花拾「それでも、時間は連なって」より


言うなれば「自分を観てほしい」という欲が薄く、そのこともあってか作中でもトレーナーさんから「パフォーマンスは向上しているが人を引き付ける何かが足りない」と指摘されています。


はるきはこれまでも自身にとってのアイドルとは何なのかと考えるシーンがありました。

WING編でも「周りは子供の頃からアイドルになるために色々なことを学んできた人ばかりなのに、中途半端な気持ちの自分がここにいていいのか」と悩むシーンがあったり、「連綿と、桜」でも何故アイドルという表現を選んだのかと質問されても明確な答えを出すことが出来ず、「勘」という言葉で理由を説明しています。

WING編「熱にはじかれて」より
連綿と、桜「幻灯」より


LP編はこの問題をより深く描いているお話だと思います。
「自分は何故アイドルという表現を選んだのか」「こんな中途半端な気持ちで続けていてもいいのか」という部分に改めて向き合っているのではないかと思います。


③はるきとプロデューサー


はるきのコミュではこれまでもプロデューサーがパートナー・理解者として存在感を表していました。

2人は感性や雰囲気が似ているとされてきて、今回もはるきのお姉さんに「似ている」と言われています。

漂白花火「美しき時代」より
実姉公認


そんな似ている2人ではありますが必ずしも見ている世界が同じとは限りません。

もし2人の見ている世界が大きく違うものになったらどうなるのでしょうか?

はるきがアイドルを始めた理由は似た感性を持つプロデューサーの言葉に心を動かされたからです。

自身のやりたいことが必ずしもアイドルという形で無くても出来るとすればよりアイドルである必要がなくなってしまいます。


プロデューサーは悩むはるきに対して「その手に何か残したいものはないのか」と質問をします。

そこではるきは遂に自分が「創作をするという行為そのもの」「創作意欲の発散」そのものが目的になっていて「こんな作品を作りたいというこだわりが薄い」ということに気付いてしまいます。



悩みを深めたはるきはプロデューサーとピクニックに行った際に「自分が本当に欲しいのは、自分の好きな絵本のような、こういった穏やかな時間なのに真逆のことばかりしている」という弱音を漏らします。

これに対してプロデューサーははるきが好きだった物語の作者は戦争や家族関係のトラブルなど厳しい現実を乗り越えた先に穏やかな日々を得たと話します。

色々な解釈が出来ると思うのですが、私はここの会話はプロデューサーが今のはるきがただ穏やかな日々だけを望むのは逃避でしかないと指摘しているのではないかと思います。

この作家さんのモデルは「ムーミン」作者のトーベ・ヤンソン氏ではないかと考察されている方がいてなるほど…となりました


はるきの創作活動は先程書いた通り不安からの逃避で始まったものでした。

彼女は今ある幸せが絶対のものではないということを自身の経験から知っていて、充実した日々を過ごしていてもいつかそれが幻のように消えてしまうのではないかという恐怖を常に抱えています。


また幼い頃から病気で不自由を強いられた彼女は無意識のうちに自分の気持ちを押し込める癖がついてしまい、本音を言う事を恐れていたとも思います。

個人的な考えでははるきは本当に作りたい作品が無かったわけではないと思います。

壁画が壊された時も、ファッションショーに出演出来なくなった時も本当は悔しくてたまらなかったはずです。
でも自身のやりたいこと・望みを言って上手くいかず今ある幸せも失ってしまう。

無意識にそうなってしまうことを恐れてしまい本人も気付かないまま本音を押し殺した結果、自身の本音も本当に創りたい物も見えなくなってしまったのではないでしょうか。

大切な人といっしょにホットケーキとジャムを作って穏やかなひと時を過ごす。彼女の語った本当にしたいことはとても素敵なものだと思います。

しかしながらはるきはまだ何かを見つけた訳でも、成し遂げたわけでもありません。
プロデューサーの言った通りそういった日々は楽しいことも、辛いことも沢山のことを経験したその先で、何かを成してようやくたどり着ける境地であり、いまのはるきがそういった日々「だけ」を過ごしたいというのは現実からの逃避でしかありません。

言ってみれば隠居生活のようなもの?


はるきがまずしなければならないのは失うことを恐れず、たとえ理由が無くても(もしくは言葉に出来なくても)自分のやりたいことを言葉にすること、そして自分がやりたいことを選ぶこと。

プロデューサーが伝えたかったのはこういうことなのではないかと思います。

ここで凛世GRADの「ステージに立つ人間はもっとわがままになっていいんだ」を思い出したのは私だけでしょうか…


この言葉はプロデューサーにとっても賭けだったと思います。
はるきが弱音を吐くのは非常に珍しくそういった機会はこれまでもGRAD編くらいしかありませんでした。

そんな追い詰められた状態の彼女に変わってほしいと伝えるのは下手をすると状況が更に悪化する可能性もあります。

それでもはるきに伝えたのはプロデューサーがはるきを信じていたのもありますが、それ以上に自分がそばにいることを思い出して欲しかったのではないでしょうか?

GRAD編の敗者復活戦前のように自分がそばにいて、もし崖から落ちそうになっても自分が手を握っているから大丈夫だと、だからはるきの本当にしたいことを教えて欲しいと思っていたのではないでしょうか。

GRAD編「敗者復活戦前」より
実装時にもちょっと話題になりましたね

はるきはその問いかけに対し、プロデューサーに対して「わからないけど選びたい」「一緒にいてもいいですか」と返します。

はるきが表現したいことはアイドルでなくても出来るのでは?という問題点は今までとあまり変わっていません。

しかし彼女はそんなことは関係なくただ「自分の表現したいことはまだはっきりわからないけれど、アイドルをやりたい」「プロデューサーやルカ・羽那と一緒にいたいからアイドルでありたい」という望みを遂に言う事が出来ました。

はるきは感性が豊かでありながらそれを言葉で表現するのが得意な賢い子です。

それ故に自分が創作をやることへの意味を考え過ぎてしまい、感情のまま「理由が無くてもただやりたいからやるのでもいいんだ」ということが見えなくなってしまっていたのではないでしょうか。

成り行きで始まった彼女のアイドルでしたが、はるきは遂にこの時自分自身の意思で「アイドル」であること選んだのです。

コミュ名の「いたいんだ」が本当に秀逸…


はるきがこの後プロデューサーのことを「鏡」と表現するシーンがあります。

楽しんでいるときはその姿を、悩んでいる時はその姿をそのまま映す。
時にその背を押す存在で、時に「本当にこれでいいのか?」と問いかける。

良い時も、悪い時もそばにいてその時のありのままの姿を映す、自分以上にお互いのことを理解している。
そんな2人の関係を表すとても素敵な表現だったと思います。

心にしみるいくはる語録


④はるきの目指すもの


自分の意思でアイドルであることを選んだはるき。
その決意は彼女を大きく成長させました。

先程書いた通りまだ根本的な問題は解決していません。
しかしライブ前の落ち着きをみると、心の持ち方一つで大きく変わるのだなぁと思わされます。

ライブ中のMCでは自分の望みをファンの前で語るシーンがあります。


はるきはファン感謝祭編でファンから「何を考えているかわからない」と言われたときも「自分が何を考えているかはそんなに重要なことなのか」「考えていることをファンにわかってもらえなくても仕方ない」というシーンがありました。

ファン感謝祭編「望みの彼方まで」より


その彼女がファンの前で自分の夢を語り、一緒にその夢を叶えていきたいというシーンは一種の決意表明にも見えました。

ライブ後壊された壁画を再度創るためにはるきは離島を訪れます。
はるきの求めた助けに応じてクラスメイトも制作を手伝ってくれたことでより良い作品に仕上がったようです。

クラスメイトへの協力の依頼もはるきにとっては思い切った頼みだったようですが、恐らくこれも失うことの恐怖から必要以上な仲になることを今までは避けて来たからではないでしょうか。


はるきはこれまでのコミュでも必要以上に物事を考えすぎて行動に移れないことがありましたが、思い切って行動をしたことで早くも良い結果が生まれています。

それは自分の仕事が流れてしまっても先に自分に良くしてくれたスタッフの顔が思い浮かんだり、壁画が壊されても島の人ががっかりしていないかを心配するはるきの優しさあっての結果であり、プロデューサーもそういったところがはるきの人を引き付ける力、「引力」なのではないかとも言います。

強烈なカリスマ性で他人を自分の世界に引き込めるルカ、天性の愛らしさで皆に好かれる羽那とはまた違うはるきだけの「アイドルとしての武器」がこの「自分が施した優しさが他人の優しさの呼び水になり、みんなで一つの作品やステージを創り上げることが出来る」という部分なのではないでしょうか?

また、このみんなで一つの作品を創り上げていくということがはるきの出した「アイドルでしか出来ない表現」ということへの一つの答えなのではないかと思います。

ユニット、プロデューサー、スタッフ、今回であれば島の子供やはるきの友人…。

沢山の人々の想いをジャムのように混ぜ込んだ表現をしたいというのが、今のはるきが出した答えなのではないかと思います。

漂白花火「アンフォルメル」より
この経験も踏まえての答えな気がします


島を離れる際にはるきは自身のこれからに思いを馳せます。

はるきは自身の意思でアイドルであり続けることを選びました。
しかしこれからも沢山の障害があるでしょう。
これから先に待ち受けているのは、はるきの好きな作家の人生がそうであったように、誰かの涙だったり、辛い思いで舗装された茨の道なのかもしれません。


でもはるきは自身の心が望むまま、「こうありたい」という姿を貫くことを決めました。

上手くいかなくても何度でも立ち上がりまだ見ぬ「何か」を創り上げたいと決意しました。

地味にここのシャニP?のモノローグ好きなんです
晴れやかにこの言葉を言ってくれるのが…


その先の道ではるきという花がやがて実をなし、そしてその実にプロデューサー、ルカ、羽那、そしてファンとともに作り上げた様々な思いを混ぜ込んだ作品、その象徴として本で描かれていたようなジャムのようなものを作れるようにありたい。


プロデューサーとの出会いではるきの運命が大きく変わったように、はるきの創り上げたジャムで今度ははるきが誰かにとっての、その価値観を永遠に違うものに変える存在になれるようにありたい。

いつか自分がいなくなっても、はるきがみんなと創り上げ、受け継がれたそのジャムにはるか未来で触れた人の心をも動かせるように

ここ桜花拾の息吹を感じませんか?



はるきの抱いたのはそんな壮大な、そして素敵な夢だったのではないでしょうか。


まとめ


本当に素晴らしいお話だったと思います。

昔病弱であったということは全く予想していなかったので本当に驚きましたが、今までのはるきコミュで「なんでこんな描写なんだろう?」と引っかかっていた描写(例えば連綿と、桜で何故幼いはるきは窓から桜を眺めていたのかなど)がより納得いく形に昇華されたのですべて計算ずくだったんだろうなぁと脱帽しました。

またはるきの大人びた価値観や、「good bye flower」「桜花拾」などで描かれていた妙に解像度の高い「別れ」についてもより説得力が増し、今回のLP編で郁田はるきというキャラクターの深みがより深いものになったのではないでしょうか。

桜花拾「それでも時間は連なって」より
「good bye flower」3話「song」より


漂白花火「アンフォルメル」より
この問いかけも今みると…

私が今回個人的にとても嬉しかったのが、はるきがプロデューサーと「一緒にいたい」と言ってくれたことでした。

GRAD編以降の彼女は孤独な創作者としての道をどんどん進んでいっている印象があったので、いつの間にかふっと目の前からいなくなってしまうような危うさを感じていたからです。

流星パレットより
上手く言葉に出来ませんが、GRAD後のはるきはどこか生き急いでいるような印象がありました。

その彼女が最初の望みとして言ってくれたことが「理由がなくても一緒にいたい」ということだったのが本当に嬉しかったんです。

GRAD編で示唆されていた1人で進む修羅の道ではなく一緒に走って笑い合える関係を、みんなと一緒にジャムを作ることをはるきは選んでくれたんです。

GRAD編「対価、もしくは」より
当時なんとなく不穏に感じていた言葉


これから先どんな困難があっても、走った先に何も無くても、この2人ならきっと大丈夫。そう確信できるお話だったのではないでしょうか!

みんな大好き連綿と、桜より
全てのいくはるコミュはここに通ずる(そこまでではない)

こちらもはるきに負けずピカピカに鏡を磨いて、一緒に歩んで行きたいですね。

咄嗟にこういう返しが出来る、そういう人間に私はなりたい


以上がはるきLP編への自分なりの答えです。
いや、期待はしていましたがここまでのお話が来るとは…。
本当にシャニマス恐るべしとしか言えません。

はるきコミュはもともと解釈が別れるお話が多いと思いますが、個人的には今回が一番難解で複雑だったと思います。

正直なところこの解釈で正しいのかはあまり自信がありませんので、ここは違うなと思ったというところがあれば是非知りたいです。

私はいくはるコミュの「自分はこの部分はこう考えた」という皆さんの解釈から得る栄養素で生活をしているので機会があれば是非皆さんの解釈も教えてください!

お付き合いいただきありがとうございました!

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