産後1ヶ月の寂しさ
出産して、1ヶ月が経った。
あんなにぶかぶかで、前紐を閉めてもゆるゆるだっただった50サイズの単肌着が、ぱつぱつになってきた。
こんなことで、こんなに寂しい気持ちになってしまうなんて。
今は、これからどんな服を着せようかなと考えるのが楽しみだけど、そのうち自分で選びたがるようになるんだろうな。自分自身が思春期の頃に、着たい服をなかなか買ってもらえなかったことを思い出す。
小さなことから大きなことまで、本人の希望を聞きながら、人生のいろんなことを選択していくようになるんだろうな。親の私は、そのサポートをしていくのがその役目。子の人生は、親のものではない。
まだ、たった生後1ヶ月の娘に対して、そんな未来を想像する自分がいる。
子は親の所有物ではない。
そうわかっていても、子に執着してしまいそうな自分が、既にいる。
子の立場だったときにに、あんなに自分が苦しんだのに、親になってみると、子が成長していくことが、そしていつか巣立っていくことが、もう既に寂しい。
この意思や主体性を奪うのではなく、尊重する親になりたいと思いつつも、この寂しさは否めない。
知らなかった。育児がこんなに寂しいものだなんて。
私は以前から、変化によって”失うもの”の方に意識が強くはたらいて、寂しい気持ちになりがちなところがある。子どもの時からそうだったのかもしれないけれど、最近特にそう感じる。
出産後、産婦人科を退院したとき
1ヶ月検診が終わり、産婦人科を卒業したとき
新生児期が終わり、乳児期に入ったとき
生まれたての痩せっぽちな体つきから、どんどんぷくぷく・しっかりした体つきになってきたと感じたとき
産後のメンタルも相まって、なんだかとても寂しかった。
変化しながら、前に進んでいかなくては困るのだけど、そこには同時に、”今あるなにか”を失う寂しさが伴う。
遡れば、妊娠・出産して失うものにも意識が強く向いていた。
例えばそれは、自分の時間や自由にうごける身軽さ、夫婦2人の時間。
そして、”妊娠しなかった方の自分” 、等々。
もっとも、ありがたいことに、望んで子を授かることができて、とてもとても大切に感謝して日々過ごしながら、無事に出産に至ることができたのだけど、新しい家族の存在が加わることで同時に失うものに対しても、どうしても思いを馳せてしまい、妊娠中は気持ちが不安定になりがちだった時期もある。
妊娠・出産を通して、そんな自分の思考の癖に気がつくことができた。
育児をしていけば、これからもこんなことの連続だろう。
生きていて、成長しながら日々過ごしていけるということは、寂しいけれど、嬉しいこと。幸せなこと。当たり前なんかじゃない、ありがたいこと。
寂しい気持ちが湧いてきても、決してポジティブな側面を忘れないようにしていきたい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
唐突ですが、今の私のありのままの内面を書いてみました。
今後は、出産・育児を話題とした記事も、書いていくかもしれません。
もしご興味お持ちいただいた方には、読んでいただけると嬉しいです。