ルートヴィヒの憂鬱(続々)
久しぶりに言葉の話をする気になってきた。
まずは、前回の結論をおさらいすることにしよう。
言葉は指示対象をもたない。しかし例外がある。
いきなりだが、問おう。この「例外」とは何か。
実は、例外のうちの一つは、上の文中に既に登場している。
スクロールする前に、是非頭をひねってみてほしい。
正解は、「代名詞」である。つまり、これ、それ、あれ、等だ。
何故、代名詞が指示対象をもつなどと言えるのか。まずは前回同様、犬を例に説明しよう。
僕は言う。
「犬見てよ」
あなたは尋ね返すだろう。
「どの?」
何故、あなたは尋ねるのか?僕の言う「犬」が、何を指しているか確定していないことをあなたは知っているからだ。
僕は答える。
「何を言ってるの。この犬だよ」
「あぁ、それね」
君はなるほど、と得心顔で頷く。今や僕達は、合意に達することが出来た。僕達の「犬」が、同じものを指示していることが、確認できたのだ。
しかし……
見逃してはならない。
ただ一つ存在する、制約条件を。
つまり。
代名詞が特定のものを指示していることは、代名詞単体では確定できない。
ややこしい言い回しだが、韜晦したい訳じゃない。理解に役に立つのは、やはり具体例だ。以下のやりとりを想像してほしい。
僕は言う。
「これ見てよ」
彼は不思議そうな顔をしながら、尋ね返す。
「『これ』って、どれ?」
僕は、答える。
「これ」
「ああ、それね」
僕達は、合意に達することができた。
あなたは今、混乱しているかもしれない。何故なら僕の論理では、代名詞単体では指示対象を確定できないはずだ。しかし上の会話で、僕は「これ」としか言っていない。それにも関わらず、僕は、彼と合意に達している。明らかに矛盾しているのではないか、とあなたは主張する。
矛盾していない。
読んでくれているあなたにはよく考えてほしいから、下にヒントを記した。
……逆転の発想だ。もし代名詞が単体で何か特定のものを指し示すことが出来るのなら、上のやり取りは、以下の通りでなければならないはずだ。
「これ見てよ」
「ああ、それね」
つまり、僕が最初に「これ」と言った時点で、彼が「どれ?」と問うことなど起こり得ないはずなのだ。しかし、上の会話はナンセンスだ。起こり得ない。
……さて。
改めて、あなたに問おう。
何故、最初のやり取りで、僕と彼は合意に達することが出来たのか。
何故、二番目のやり取りは、現実的に不可能なのか。
両者に横たわる違いとは、一体何か。
その答えを、貴方はすでに知っているはずだ。
まだ分からないのであれば。
今一度、僕と娘のやり取りを思い出してほしい。
〈続く?〉
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