話者が歪める真実【インド映画】Evaru
”Evaru”(2019年、テルグ語映画。原題は英語で「Who」)をSimply Southで、英語字幕で鑑賞。
公開当時、日本でも上映会があったみたいですね。
注※以下の予告編では女性への性暴力を想起させるシーンがありますのでお気をつけください
※以下、内容・結末の重要な部分に触れています
レイプ被害者の女性(レジーナ・カッサンドラ)が、加害者の男(ナヴィーン・チャンドラ)から逃れるために彼を射殺した。事件後、気丈に振る舞う彼女に世間の同情は集まり、加害者が刑事であったこともあり、警官の悪事に対して警察には激しい非難が向けられる。
裁判を控え、警察が真実を捻じ曲げて女性のみに非を負わせようとすることを恐れた女性側の弁護士は、ひとりの警官に多額の賄賂を与えて警察の動向を探らせる。ある日、その警官(アディヴィ・セッシュ)が彼女が滞在するホテルを訪ねてくる。やさしく甘い顔と冷たい目をしたその警官は、警察の掴んでいる情報を打ち明けながらも言葉巧みに彼女の隙をつき、殺人事件のほんとうの事実を語らせようとする。二人の間で交わされる会話の中で、明らかになっていたはずの真相が二転三転していく…。
この作品、どんな映画?と聞かれて洋画をそこそこ観てる人相手だったら一番わかりやすいのは「ユージュアル・サスぺクツ」みたいな映画、という答えだと思うのだ。登場人物が語る「真実」は実は話者によってゆがめられており真実でなく、何ならその話者ですら真実ではない…という…アレ。(ネタバレです)
実際にはスペイン映画のリメイクらしいので、作り手が「ユージュアル~」を意識してたかどうかってったらたぶんしてないと思うので、私の勝手な印象だけど。
この映画での「ゆがめられた真実」の話者のひとりはヒロインで、この彼女がめちゃくちゃ美しい。自分にとって都合のいい話を紡ぐ彼女の表情、そして自分の作り上げた都合のいい話の中にいる彼女はいつも美しい。そして恐ろしい。レジーナ・カッサンドラってすごくいい俳優。目を潤ませて泣いていてもどこか凛とした美しさがあるし、警官としおらしく話しつつ、自分が優位に立ったと悟るや否や突然態度を豹変させるところとか、物語のメリハリを彼女が背負っているような迫力だった。この人すごく綺麗…と思ってほかの出演作調べてたら、コニデラ親子の"Acharya"でチランジーヴィ御大と踊ったりしていた。全然記憶になかったわ。
いや、これもキレイだけどEvaruでの美しさや表情の巧みさを観ると、勿体ないねえなあ…と思う…こういうアイテムガール的な使い方は…
もうひとりの「ゆがんだ真実」の話者である男は人の弱みに付け込んで賄賂をとる警察官で、演じているアディヴィ・セッシュもまた不思議な雰囲気で良い。この人あとで調べたら「バーフバリ」でバラーラデーヴァの息子を演じていたようなのだけど、全然印象違うわ。ちょっとチャラそうなワルい男の素振りをしてみせつつ、「コイツめっちゃ出来る男なんでは?」という鋭さを端々に漂わせてくる(この人に関しては役どころにさらにあと一ひねりあるのだけど、そこでの印象がまた異なっていて、役者ってスゴイなと…)。2時間の映画の結構な時間が二人が部屋で対峙して語る場面に費やされるのだけど、この二人の微妙な表情の動き、言葉の掛け合いの迫力で、全く観る者を飽きさせない。
一方で「話者によってゆがめられる真実」の一番大きい部分を占めているのがナヴィーン・チャンドラが演じている男で、彼は冒頭からすでに死んでいるので、「もうそこにはいない(し、何も語れない)」人物なので、ヒロインにとっても、彼女と対峙する警察官にとっても、彼は、真実を話者が都合よくゆがめて語るためにいいように使われる小道具のようだ。語り直されるたびに、彼は振る舞いも、なんなら人相も、少しずつ変わる。だが、何度も語り直されていくたびに、どの話においても変わらない、彼自身の真実らしきもの-愛してはいけない女を愛してしまった、不器用で短慮な男ーが垣間見えてくるのがとても面白い。そもそもナヴィーン・チャンドラ好きで観てるもんで、まあもちろんひいき目です。(キッパリ
昔の火サスとか土ワイとかでたまに物凄い良作があって、だいたい原作が推理小説作家の短編だったりしたんだけど、それを観た時の喜びみたいなものを久々に感じる作品だった。少ない登場人物で、会話劇の要素が多くても飽きさせず、2時間にきっちり収めたいい仕事。プロットの良さと役者の良さと、諸々がとてもうまく嚙み合った佳作じゃないかと思う。
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