プロレスに詳しい人の意見を聞きたい、昭和プロレスの「ん?」その6
6.ドリーvsテリーの兄弟対決は何故、千葉大会で急遽実現したのか。
テリー・ファンクが亡くなってから約一年が経ちました。今日(8月31日)はテリー・ファンクの“引退試合”が行われた日でもあります。
そんなわけで今回はテリーと兄ドリー、唯一のシングルマッチについての「ん?」。
昭和56年4月30日、全日本プロレスのインターチャンピオンシリーズ最終戦・千葉大会にて、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのシングルマッチが実現しました。本来ならこの最終戦では、シリーズを通して行われたインターナショナル王座決定トーナメントの決勝が行われる予定でした。組み合わせはドリーvsブルーザー・ブロディ。
ところがブロディが準決勝のvsジャイアント馬場にピンフォール勝ちをしたものの、足を負傷してしまい、欠場を余儀なくされます。全日本が執った措置は、決勝戦はドリーの不戦勝として王者に認定。千葉大会のメインはドリーの初防衛戦とし、挑戦者は、他のトーナメント参加者がリング上でくじを引き、当たりを引いた者が選ばれるというもの。対象となる選手を列挙すると、馬場、アブドーラ・ザ・ブッチャー、テリー、ジャンボ鶴田、ジャック・ブリスコ、タイガー戸口、キラー・ブルックスの七名。そしてくじ引きの結果、運命のいたずらによりドリーの弟であるテリーが挑戦者に。夢の対決に会場がどっと沸く……。
この頃はリアルタイムで追っかけてプロレスを観ており、上記のテレビ中継も家で観ました。一週間前のプロレス中継の最後に、予告映像としてブロディ欠場&くじ引きで兄弟対決実現!と発表されましたから抽選のどきどきはなかったのですが、ドリーとテリーが戦うこと自体にとても興奮したのを覚えています。
さて、小さな子供の頃ならまだしも、大人になって振り返ってみると、あのときの抽選はがちだったのか、どうして兄弟対決を実現させたのかという疑問が湧いてきました。
まず大前提として、昭和56年頃の全日本プロレスは低迷気味で、ライバル団体の新日本に人気・興行収入とも大きく後れを取っていたのを認めねばなりません。テリーやミル・マスカラスといった人気外国人レスラーが参加するシリーズはどうにか盛り返すものの、そうでないシリーズはブッチャーにおんぶに抱っこになることが多く、必然的にブッチャーはマンネリ化、テリーは二年後の引退を宣言。そもそも人気外国人レスラーはギャラが高い――と、八方塞がりに陥りつつあったというのが大方の人が抱く傍目から見た印象だったと思います。
そんな状況下で、残された切り札的対戦カードがいくつか考えられました。テリーvsマスカラス、テリーvsリッキー・スティムボート、ハーリー・レイスvsニック・ボックウィンクル。中でも究極の、当時全日本最後の奥の手がドリー対テリーだ、という位置付けだったんじゃないでしょうか。二年後に予定されるテリー引退試合は、ドリーとの兄弟対決になるのではという観測も出ていたと記憶しています。
究極の切り札を、前宣伝のできない形で実現させてしまうなんて、正直言って理解しがたいのですが、実際には実現しています。どうしてこうなったのか、妄想を働かせてみるに……。
たとえば、ドリーvsブロディに代わるカードとして、兄弟対決しかないと判断した? いや、それはないでしょう。ドリーvsブロディはこのときが初対決でフレッシュさはありましたが、待望の対戦というものではなく、他の選手が対戦相手になってもそれなりの大物であれば、会場のファンは納得したと思います。具体的に考察すると、ドリーがトーナメント勝ち上がりで直接当たった戸口とブッチャーは除く、弟のテリーももちろん除く、ブルックスは格落ちなので除外ってことで、残る馬場、鶴田、ブリスコの三名であれば誰が挑戦者になっても文句は出なかったはず。逆に言えば、わざわざここで兄弟対決を行う意味がない。
では、もしかするとリング上でのくじ引きは、何ら細工のない純粋な抽選だったのか? それもちょっと考えにくい。先にも記したように、ドリーvsブルックスなんて組み合わせになったら盛り上がらないこと甚だしいと予想されます。さらに言えば、ガチ抽選でドリー対テリーが実現してしまうなんて「もったいない」「このカードはもっと大会場で、充分に前宣伝を打ってからにすべき」という計算が働くに違いないと思うのです。なので、くじ引きには仕掛けがあり、前もって決まっていたと見なすのが妥当でしょう。
となると、他にどういう状況が考えられるか。思い付いた中でこれなら理屈が通るかなと思ったのが、次の通り。
――テリーの引退宣言を受け、全日本プロレス及び日本テレビは引退興行での兄弟対決を行いたい意向を示した。が、当人達に拒まれてしまう(兄弟対決後に雑誌掲載されたインタビューでは、ドリーもテリーもやりにくかった旨をコメント。昔タッグで一度だけ対決したときもやりにくかった、とありました)。団体側はならば引退までにどこかで兄弟対決をやってほしいと譲歩、ちょうどいいタイミングでブロディ欠場、よしここでやれば自然な形で兄弟対決が成立する!
――てな流れでゴーサインが出たのかなあと。ただ、この仮説だと観客動員や話題性に結び付かないのがネックなんですよね。
他に何かよい解釈、あるいは“真相”についての情報がありましたら、教えてください。
それでは。