積んで Re:トリック 4

DMには破壊あるのみ!

 反省して、今度はちょっとはましな例を出そうと再び沈思黙考する……思い付いた。
「被害者が答をしたためていたというのはどうでしょうか」
「ふうん。ダイイングメッセージを書いた当人が、死んだあとのことまで考えて、メッセージの意味を事細かに解説する文章の形で残していたと」
「そ、そういう言い方をされるとありそうにないと思えるかもしれませんが、僕が想定したのはそんなんじゃありません」
「そこまで言うのなら、詳しく聞かせてちょうだい」
「どうでもいいけど、二人ともいつまで立ち話してるの」
 水無辺さんの声に、我に返る。ずっと立ったまま話していた。副部長一人が、いつの間にやら椅子を持ち出して腰を下ろしている。
「では適当に座りましょうか」
 横田部長は適当にと言ったけれども、長机二脚を挟んで僕のすぐ目の前の席と相対する位置に陣取った。これは受けて立たざるを得ないと、僕も正面に座る。
「続きをお願いするわ」
「えーっと、物凄く簡単な例になります。被害者は犯人のことを普段から秘密のニックネームを付けて呼んでいた。ただしそれは実際のやり取りにおいてではなく、日記の中だけのこと。被害者は犯人に殺されたとき、とっさに秘密のニックネームを書き遺す。これなら答合わせができますよ」
「うん、そうね。ユニークだわ。探偵がそのメッセージを読み解いて答に辿り着ける物になっているかどうかが心配だけど、とりあえずはダイイングメッセージ物の難点をクリアしている。そこは評価します」
「あ、ありがとう、ございます……」
 何か変な気分だけど、認められたのだからいいか。
「ただ、ダイイングメッセージが抱えるより大きな難点の前には、ワトソン君が今言ったパターンも消し飛ぶわよ」
 嬉しそうに部長が言った。そのあとしばらく会話が途切れる。僕は察した。「より大きな難点とは?」とおうむ返し気味に尋ねてくることを、この人は待っているのだ。面倒臭いし、こっちがばかっぽく見える場合があるのでやりたくないんだけど仕方がない。
「その、より大きな難点というのは何なんでしょうか」
「ミステリ界隈では広く言われていることなのだけれども、“犯人たるもの、ダイイングメッセージを見掛けたら余計なことは考えずに破壊あるのみ”、これよ」
 僕は黙って首を縦に振った。まさしく、うなずける
見解だからだ。
 被害者の遺したダイイングメッセージらしき物を見付けても、犯人はそれに手を加えて誰かに濡れ衣を着せようなどとは考えずに、とにかくメッセージを読み取れなくするのが最善かつ確実な対策である――これに尽きるのだ。
 犯人はそのメッセージがたとえ犯人自身を差し示しているとは思えない、たとえばどう考えても別人の名前を書いてあるからといって、メッセージを残そうなんて誘惑は吹っ切るのが肝心だ。
 誘惑に負けたが最後、ダイイングメッセージを正確に読み解き、犯人あなたを犯人だと指摘する探偵がきっとどこかから現れる。
 こういう風に、横田部長の考え方に賛成の僕だけれども、ここでもまた例外を探したくなる。そんな性分なのかもしれない。
「さっき僕が言った、防犯カメラの類が、被害者がメッセージを書く様子を克明に捉えていた場合は、ちょっぴり事情が変わってくるかもしれませんよ」
「どうして」
 小首を傾げる横田先輩。
「書き遺されたのが明々白々、犯人以外の人物名だったとしたら、議論の余地なく捜査陣はその書き遺された名前に該当する人物こそ犯人、と判断するんじゃないでしょうか。そこまでおいしい状況だったら、メッセージを破壊せずにおくというのも選択肢の一つになると思うのですが」
「あなたの言った通りの状況があったとして、それだとおかしなことになるじゃないの」
「どこがですか」
 僕はよく考えもせずに聞き返した。すると部長は、やれやれこれだからワトソンは……と言わんばかりのじと目で見つめてきた。
「な、何ですか」
「犯人はダイイングメッセージを見掛けているのよね?」
「ええ」
「なおかつ、防犯カメラはダイイングメッセージが書かれる様をずっと見ていたのよね?
「はい……あっ」
「ようやく気付いたみたいね。そんな状況がもしあったのなら、防犯カメラに犯行の模様が映っていなきゃおかしいの。つまり犯人が映っているのなら、警察はダイイングメッセージとは無関係に、まずはその怪しげな人影の足取りを追うでしょうね」
 要するに、名探偵がダイイングメッセージを解こうが解くまいが、そして犯人がダイイングメッセージを破壊しようがそのままにしておこうが、警察は多分、犯人を早期に捕まえるだろうってことになる。
 恥ずかしさで今の僕の顔は赤くなってるだろうなと自覚しつつ、巻き返しを図ろうと頭の中であれこれ思い付きを巡らせる。
 犯人が覆面とか包帯とかをしていて、顔が分からなかったらどうだろう? なおかつ現場からうまく逃走することができたのなら……。
「念のために私からも言っておくけれども、君の言った仮定はかなり無理があると指摘しておくわ」
 施行の途中で副部長の声が割って入ってきた。
「犯人は防犯カメラにとらえられていると知っていて、犯行に及んだことになる。そんな危険な真似をする理由が分からないのよね。ダイイングメッセージを壊さずそのままにしておく状況をどうにか作ろうとして、他の物事に意識が向かなくなっているんじゃない?」
 一気にしゃべってだめ出ししてくれた水無辺さん。じわじわと真綿で締めるような言い方をしないのは、優しさなのかな。
 ともかく僕は白旗を掲げるほかなくなった。
「そんな雨に打たれた野良猫のような目をしないで」
 目の前では横田部長がにっこりしている。
「濡れ鼠ならぬ濡れ猫ですか」
「猫の方がかわいいでしょ」
「ま、そうかもしれませんが」
 かなわないなと感じて頭をかいた。そんな僕の前で先輩二人は目配せをし、耳打ちを交互にやった。
「何ですか。嫌な予感がします」
「大丈夫。あなたの能力を引き上げるために、もう少しテストをしてあげようと思っただけ」
 そういう部長の笑顔は魔女のようです、ええ。
「テストって、ダイイングメッセージの?」
「そうよ。もちろん筆記試験とか○×とかそいう意味のテストじゃなくって……レクチャーになるのかしら」
 テストではなくレクチャーなら、まだ多少は気が楽だ。先輩達の遊びなんだろうけど、付き合うとしましょう。
「ダイイングメッセージを破壊するのが最善の対抗策なのに何故かそうしない犯人がミステリには多い。これと同じくらいに不可解なことがダイイングメッセージにはあるのよ。分かる?」
 僕は今度こそよく考えた。程なくして、一つのことが頭の中にふわっと浮かぶ。
「ひょっとするとあれですか。死にかけている被害者があんな複雑なメッセージを思い付くなんて、不自然極まりないっていう……」
「素晴らしい。よくぞ気付きました」
 拍手をされてしまった。さんざんこきおろされた直後だけに、拍手されてもそのまま額面通りには受け取れない。
「それほどでもないと思いますが。これこそ昔から言われているでしょう」
「そうね。それじゃあ、被害者が複雑なダイイングメッセージを残し得るケースを考えてみてくれる?」
「え。そんなことは現実的にはなさそうだっていう話の流れだったのに、書く場合を考えるんですか」
 無理難題を押し付けられた気分だ。けれども、相手の表情を見る限り、そんな難しい話ではないらしいのが気配で伝わってくる。
「普通なら、そんな余裕ないですよね。死にかけてるんだから」
「そうね。そこまで余裕があるのなら、どうにかして助けを呼ぶ手段を考えるのが建設的だわ」

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