積んで Re:トリック 2

人は何故ダイイングメッセージを書く? そこに犯人がいないからだ

 という心中でのつっこみはさておき、真面目に思い返してみる。この部屋に入ってからの僕の心と身体の変遷を。
「まず驚きました。けど、メッセージに気付いてからは別の意味でびっくりして、消しかけたところでしたよ」
 そういえば床にダイイングメッセージもどきの落書きを残しておくのはまずい。あのままにしておくと、まるで僕が記念?に自分の名前を書いたみたいじゃないか。先生に見付かったら怒られるかもしれない。
「犯人ではないのに?」
 床の文字に気を取られていた僕は、横田部長の質問の意味をすぐには飲み込めなかった。“きょとん”を擬人化したような顔をしたであろう僕に、部長は補足した質問をため息交じりに繰り返してくれた。
「あなた、犯人でもないのにダイイングメッセージを改竄するというのですか、と聞いています」
「え、ええ。だって馬鹿正直に残していたって、害しかないですよね? 偽りの情報なのだから警察の捜査には悪い影響しかなく、真相に辿り着くのが遅れるだけ。僕だってやってもいない犯行で警察にこってり絞られるのはごめんです」
「ふうん。分かったわ」
 合点顔でうなずく部長。理詰めでだめ出しされるのかと覚悟していた僕は拍子抜けした思いだ。
「これは実験だから、サンプルが採れればいいのよ」
 水無辺さんのフォローを聞いて、まあ納得。が、実験はここで終了ではなかった。横田先輩はメモ帳に何やら書き付けながら聞いてきた。
「メッセージに何か書き足したり、あるいは逆に一部を消したりして、違う人物に罪をなすりつけようとは考えなかったのかしら」
「そうですね。そこまで気が回らなかったというのもありますけど、自分に着せられようとしている濡れ衣を他人に押し付けるという発想そのものが、僕にはないかもしれません」
「言い換えると、もしも自分のやった犯行ならば、他人に濡れ衣を着せることも厭わないと解釈できるけど」
「……僕の場合、その殺人の性格に因るかな」
 滅相もない、僕は虫も殺せない人間ですから他人に罪を擦り付けるなんてとてもとても、なんて答えてもよかったんだけど、ここは先輩方にお付き合いしましょう。
「というと?」
「最初に確認ですが、自らの犯行を他人に擦り付けるのって、元から計画していた場合と、その場の成り行きでとっさに実行に移す場合があると思うんです。横田部長が今言及しているのは、後者のみですよね」
「ええ。君の言った前者だとそもそも改竄とは呼べない」
「ですよね。それで殺人の性格というのは、突き詰めれば動機につながってくると思うんですが、捕まるのも覚悟の上、正義の名の下に犯したつもりの殺人なら今さらダイイングメッセージに小細工して罪を逃れようなんて気にはなれない。むしろそんな行為は自らを貶める。
 こう言うとメッセージ改竄が卑しい行為に聞こえてしまうかもしれませんが、そうでない場合もあると思います。たとえば僕には幼子がいて自分が捕まったらその子を育てる者はいない、もしくは学校でいじめに遭う可能性が高いなんて事情があれば、絶対に捕まる訳にはいきません。疑われることすらNGかも。そんなケースなら、ありとあらゆる手を尽くして罪から逃げ切ろうとしますね。ダイイングメッセージの改竄だってやるでしょう」
「理屈をこねているけれども、じゃあ君が一方的に悪い殺人犯で被害者には何の落ち度もないとしたら、君はダイイングメッセージを改竄するのかどうか?」
「……その場になってみないと分かりません」
 正直な気持ちを吐露した。だいたい、最前の理屈こね回しも普段から考えに考えていた論理的思考の産物ではなく、この場での思い付きだ。
「んー、サンプルとして頼りないわ」
 腕組みをして首を傾げる部長。こんなことでポンコツ認定されてはたまらない。
「まだしかとは聞いてないんですけど、これ、一体何の実験なんでしょう? ダイイングメッセージについてなのは当然分かるとして」
「どんな場合にメッセージが改竄されるか、よ。実験台になった君ならとうに理解してるでしょうけど、私が関心を向けているのは、犯人以外がメッセージを改竄するとしたらどんな理由や背景が考えられるか、なの」
 だったら僕が犯人だった場合の議論はいらなかったのでは。
「もちろんついでに犯人が改竄するパターンを収拾しておくのも悪くはない」
 さいですか。
「重要なのは犯人以外による改竄よ。推理を組み立てる過程で邪魔になるイレギュラーな要素をできる限り把握しておきたいから」
「でしたら、被害者が複雑なダイイングメッセージを残す可能性が本当にあるのかを、先に見当すべきのような」
 僕が何の気なしに呟くと、部長は手帳をぱたんと閉じて、またも僕を指差した。
「いいことを言いました、ワトソン君」
「はあ」
 これは部活なのだろうか。部活なのだろう、うん。
「私も常々疑問に思っているわ。ミステリ作品に登場する被害者は何ゆえ、ダイイングメッセージを残したがるのだろうかと」
「何ゆえって、自分を殺した憎き犯人を、最後の力を振り絞って告発するためでしょう?」
「――言い方がまずかったかしら」
 ふっと視線をずらして、僕から水無辺副部長へと向く横田先輩。
「まずかったかもね。璃空はそもそもダイイングメッセージが好きじゃないから」
「え?」
 トリックなら何でも好きなように見える横田部長に、嫌いなトリックなんてあったのか。天地がひっくり返ってもあり得ないと思ってた。いやあ、びっくりびっくり。
 ここで念のために説明をしておこう。しておかないと僕自身が何大げさなこと言ってるんだとお調子者に見なされかねないので。
 横田璃空はツンデレ探偵である。何に対してツンデレなのかというと、ミステリに出てくるトリックに対して。
 こう書いただけでぴんと来る人は少ないだろう。大丈夫、僕も最初はぴんと来なかったから安心してください。
 横田先輩は高校生ながら、探偵の実績がほんとにある。さる圧力によって警察から捜査協力を求める形で依頼させるのだ。しかも扱う事件はいかにも本格推理小説に描かれそうなものに限る。そういう条件付きでもそこそこ依頼はあって、僕が入部後だけでも四件は解決している。目の当たりにしているのだから間違いない。
 問題はその事件における謎とトリックに対する部長の態度だ。(渋々やって来た)刑事さんから事件のあらましを聞き、どこに謎たるポイントがあるのかを知るや、真相究明はひとまず棚上げにして、あれこれこき下ろし始める。
 たとえば密室だと、「また密室! 飽き飽きしました」「密室を作るためにドアの前で鍵をがちゃがちゃやって糸を手繰って、そうしている間に誰か来て目撃されたらどうするつもりなのかしら」「そこに必然性はあるの?」という調子で。聞かされる刑事さんはたまったもんじゃないだろうな。
 そこまでがツン。このあと、周囲に横田部長の癖を知っている人ばかりになると、途端に態度を変える。いかにもミステリ的なトリックが用いられた事件に遭遇できたことを感謝するのだ、トリックの神様に。それから事件で用いられたトリックへの熱の籠もった愛を語る。さっき言った密室トリックだと、どんなに陳腐で繰り返し使われてきたトリックであっても、それは密室に根強い人気のある証拠だとして擁護して愛おしむという具合に。

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